2011年7月19日火曜日

46. チクタン村のつれづれなるままに 其の五。

 この季節のチクタン村の朝は村々を回っている行商人の声で目覚める事が多くなる。この行商人たちはインドの各州からやって来る人々だ。売り物の商品には様々なものがあり、絨毯、カップ、服、ラジオ、クッション、皿、靴、その種類には枚挙にいとまがないほどだ。

 日本にも昔は行商人がたくさんいた。田舎のローカルな鉄道の早朝の車両は、風呂敷袋に商品を詰め込んで各地へ行商に回るおばさんやらおばあさんやらで溢れていた事を思い出す。彼女らは固いシートに座ると膝の上に朝食のおにぎりを取り出し、窓の外の朝靄の景色の中、朝食をとる風景は日本の一番列車の風物詩であった。

 それがこのチクタンエリアでは毎年、廃れない風物詩として田舎回りの行商人の姿が至る所で見られる。ある黄昏時に僕の部屋の扉が開き、入ってきたのは肌の色が黒い南からの行商人たちだった。

 彼らは部屋の入り口付近に座り込み、背中に背負っていた大きな布製の汚れたリュックを降ろすと、その中から一つづつ商品を取り出して床に並べ始めた。僕はその時は行商人の事を良く知らず、彼らが何をしているか理解が出来なかったのだが、面白そうだったのでしばらく様子を見てみる事にしたのだ。

 彼らはその商品を右端から一つづつ説明し始めた。その商品たちは色鮮やかな絨毯で、さすがに大きなアラビアンナイトの絨毯は無かったが、小さな絨毯について独特の名調子でそれらについて語り始めたのだった。その名調子の中で僕は始めて彼らがペルシャ製の絨毯を売り歩いている行商人だと知った。

 僕は自身の正体について明かすと、彼らは僕が田舎を渡り歩いている乞食旅人の類いのようなものだと知ってがっかりしたようで、並べた商品を再び大きなリュックに詰め直すと立ち上がり、部屋から出て行き次の家へ向うのだった。

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 またとある日の黄昏時、僕の部屋の扉が開き、入ってきたのは頭にバグホと言われる黒い布を巻いた男たちだった。その男たちは部屋の入り口付近にもくもくと座り込んだのだが、僕には彼らが一体全体無いものなのかを理解できない。

 行商人が持っているような大きな荷物も無く、黒い肌に、鼻が曲がる程の体臭に、話を聞くとお金が欲しいらしい。僕はこんな田舎で物乞い?と訝しんだが、もっと深く話を聞くと彼らが田舎を一軒づつ祈りを捧げながら回っている人だと知って、日本でもあなた方のご活躍は伝えますよと云いつつ、丁重にお断りして玄関先まで見送った。

 最近はめっきり見なくなった日本でいうところの托鉢乞食坊主だ。彼らはインドのイスラム圏を托鉢しながら回っているのだ。祈りと引き換えに時にはお金を受け取るだけではなく、食事や今晩泊まる部屋の提供を無償で受けたりもする。

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 今日僕は近所のとある家族より写真を撮って欲しいと頼まれた。その見返りとして僕は夕食の提供を受ける事とした。チクタン村では写真はすごく喜ばれる。まず高性能のカメラを持っている人がいない。もし写真が撮れたとしても現像やプリントをする場所がない。

 僕はここ数ヶ月の間、いろんな場所で写真撮影を頼まれるのだが、一週間後くらいに出来上がりの写真を持っていくと凄く喜ばれる。次の朝の部屋の扉の前にはウォーター・メロンやりんごやアプリコットが山のようにおかれたりする。この村の良心はお金が介在しない物と物との交換。

 まるで昔の日本ようであり気質はまるで日本の下町だ。玄関の扉に鍵はかけたりしない。男がたじたじとなるほどのたくましいおかみさんが多く住んでいる。子供が悪い事をしたら自分の子でなくてもつよく叱りつける。時には耳がちぎれる程の勢いで麦畑の真ん中まで子供を連れて行きどやしつける。

 そして家族はどこの家庭でも大人数なので、川の字で寝るのである。たまに来るムスリム指導者が話す悲運な預言者についての浪曲のような名調子に涙し、全国を回ってこの村にもやって来る寅さんのような迷調子の行商人がする全国行脚の話には笑いも起こる。

 娘たちは時には楽しみのフォークダンスや歌も少しはたしなみ、惚れた腫れた事は非常に奥手だ。まるで昔の日本を見てるようであり、体感してるようでもある。僕は夜七時に招待された家族の家に向う。

 その家は割と新しい家で、作りの基本的な部分は古い家と変わらないのだが、部屋の天井部分が火炎樹の枝を敷き詰めたようにはなっておらず、板を何枚も張り合わせたような形になっている。これはやはり虫対策のためだろうと思われる。

 昔風の屋根の作りだと敷き詰めた火炎樹の枝にたくさんの虫が住み着くのだ。とくにパタプテ(南京虫)と云われる虫は、火炎樹の居心地がいいらしくこの部分に良く住み着いていて、夜のみんなが寝静まった時間になると天井からぽとぽと落ちてきて、人を厄介な目に遭わせるのだ。

 だからこのような家の作りの人は頭まですっぽり布団をかぶり寝る。話を戻して僕は写真を頼まれた家で食事をとる。「いただきます」こと「アウズミンラ・ヒミナシ・シャイタヌ・ニル・ラジム。ビスミンラ・ヒル・ラヒマ・ニル・ラヒム」を唱え食事を家族全員で食べ始める。

 この家族は大家族で村で二番目に大きな家族だ。全員揃うと二十数名にもなる。この季節は街に出て行っている兄弟が多いがそれでも今日の家族は十数人にもなる。食事は「ごちそうさまでした。」こと「シュクリ・アラー。アルハンドリッラー・ヒラビル・アラミン」と唱えて終わる。

 そして食事の後はみんなで僕が撮り貯めたチクタン村のビデオを鑑賞する。部屋の中は家族の笑い声が渦巻く。そして最後に家族の写真をとる事にするのだが、家族みんなが一つの部屋に集合してほの暗い灯りの下、シャッターを切るとやはり想像していた以上に暗い写真になっている。

 村の夜の漆黒の闇は写真にまでも染み出してきている。僕はちょっぴりがっかりしている家族に向って、明日朝早くもう一度来ますので明るい陽の下で取り直しましょうと云うと家族の表情にまた明かりが灯った。
 
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