Saturday 23 July 2011

49.コクショー村への道。

 僕はチュリチャン村での友人の結婚式を終え、チクタン村に帰る途中一人の男に出会った。その男は頭にちょこんとリボンがついた茶色の帽子をのっけ、口の周りに白い髭を蓄え、背中に2、3の荷物を背負ったブッディストの老人だった。僕は老人に訪ねた。

「ガルソミン?ガルチェ?」

 どこから来てどこへ行くのかと聞いてみた。老人は答える。

「ボド・カルブー村からビャマ村までいくところじゃ。」

 老人は二回大きな咳をして、右手を大きく上げながら

「ジュレー」

 と言うと、僕にその担いだ荷物の背中を見せつつ、ゆっくりとした足取りでビャマ村へ向った。たとえ老人であっても、それが剛健な足である事は僕にはすぐに分かった。なぜならばボド・カルブー村からビャマ村は30キロ以上あるからだ。逞しい足でないと、とてもこの距離を完遂できないだろう。

 チクタンエリアを貫いているこの道を、カングラル村からサンジャク村まで横切ろうとするブッディストの人たちをよく見かける。老若男女、みんな日に良く焼けているけれど、涼しい顔をして、近所に玉ねぎでも買いにいくかのごとく、その足取りは非常に軽い。

ladakh


 朝方降っていた雨も、今はすっかり上がり、雲の間から太陽が顔を見せたりしている中、僕はチクタン村に歩を進める。陽は神秘の光を林に射し、しっとりと濡れ青く濃く香る木々たちは、その葉の下に七色に輝く小さな羽衣を架けている。そんな道を歩いていると後ろから一台の車がやって来た。そのクラクションは僕の歩を止めた。

「どこまで行くんだい?」

「チクタン村まで」

「乗せてってあげるよ。」

 僕は男の車に乗り込むと、車はさっそく出発した。男は僕の事を名前まで知っていて、しかし僕は男の事を知らない。チクタン村での生活が長くなると、どこかで出会って自己紹介もするが、その僕自身が相手の事を全く覚えていない事がよくある。

 道を歩いていると、車が通りすがりに僕の名前を呼んで挨拶を交わす事がよくあるのだが、当の本人はまったくその運転手の事を覚えていないのだ。

 そこで「やぁ」とか「ひさしぶり」とか「元気でやってる?」とか云う返答をしてお茶を濁すのだが、やはり心の歯車がうまく噛み合ず、歯車の不協和音のぎしぎしした音が二人の間に若干の影を落とす事がよくあるのだ。

 男の仕事は電気技師であり、まだ未婚だという事は分かった。そして男は云う。

「チクタン村に行く途中で、ちょっと寄りたいところがあるんだがいいかな?」

「どこに寄るの?」

「コクショー村。」

 男の話ではコクショー村の入り口付近で、送電線工事の物件を持っていて、現場で働いている職人たちに指示を伝えにいきたいらしい。このコクショー村というところは、僕の中でも1、2を争う神秘な村で、とにかく遠いというのとバスも通っていない不便な場所なので、行く機会をずっと逸していたのだ。

 もちろん僕の返事は「オーケー」だ。なぜこの村が神秘的なのだと云うと、このエリアではダルト系の人々によって作られた始めての村であり、同じ系統のダー・ハヌーやビャマが霞んでしまうほどの謎が多く素敵な村らしいのだ。

 またその伝統的文化は、最近特に注目されており、フォークダンス、ミュージック、花の文化、摩訶不思議な結婚式など、驚くべき神秘なところがまだまだたくさん眠っているという噂も囁かれている。

 カルドゥン村手前にある年代不明の崩れかけたチョルテンを左に曲がるとコクショー・ロードが続く。ここからのコクショー村までの18キロ区間は全く村は無く、ダートな道が続き、かなり大変な道のりだと言う事を聞く。

 この道沿いに渓流が流れていて、それはチクタン・ルンマと呼ばれており、その両岸は険しい砂や岩の山肌がずっと続くのだ。道は渓流に沿って続くが、真っすぐに伸びているその方角には遮る物がなく、目の前のとてつもなく奥にそびえ立つヒマラヤの山脈の頂上まで続いている気配がある。

 道は徐々に高度を上げていくが、自身の存在以外には人の痕跡がまったく感じられず、ヒマラヤの裸の荒野が目の前に広がりを見せながらも、上空では風が孤高なまでの音を奏でている。

 僕はきっと気づくのだ。人の痕跡が感じられないのではなく、人の痕跡をこのヒマラヤの荒野が飲み込んでいるのではないか。

 人は荒野を支配したつもりでも、荒野は始めから人間なんぞ意識下になく、その絶え間ない寡黙な太古がここには生き続け、人間の爪痕なんぞ一瞬の出来事で、つぎの一瞬には、太古なヒマラヤの荒野が何事も無かったようにまた続くのではないか。そんな事を考えながらもチクタン・ルンマの峠に到達する。

 車を止め、僕が振り返るとヒマラヤの嶺々がはるか彼方まで波打っているのが分かる。1ルピーコインがポケットからこぼれ落ち、ヒマラヤにゆっくりと共鳴する。キーン。カーン。太古に立てた爪の音だ。そして車は再び高度を保ちながらヒマラヤの尾根を走っていく。

 いつの間にか風はやみ、偉大なるヒマラヤのしんしんとした砂漠の中、車の音だけが反響の増幅を深める。荒野もまた太古の砂漠であり、砂漠もまた太古の荒野であるのだ。

 ゆっくりと流れる雲の間の青の向こう側に宇宙が見える。それもまた人が神と呼んでいる太古の宇宙なのだ。尾根の谷間に人の痕跡の緑が光ると、僕は今なお生き続けている太古の瞬間上にある現在と云う一点に引き戻される。そしてコクショー村が見えてきたのだ。

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