Sunday 24 July 2011

50.ヒマラヤの谷のチクタン城。

 午前の透き通る光を背中に浴びるチクタン城(チクタン・カル)は、その肌に刻む光と影が夏の木の葉の向こうで優しく揺れている。チクタン城がそびえる岩山は急勾配であり、現在城までの道はない。

 だが今その麓から仰ぎ見ると大勢の職人が岩山を削りつつ石を担いで登っていき、それを使って城までの新しい道を作っているのが確認できる。ヒマラヤの谷が騒いでいる。

 そして僕はチクタン城に登る。がれ石や浮き石に足を取られないように一歩づつ登っていく。岩山の中腹の大勢の職人たちが道を作っている場所まで登っていく。最後の一歩に彼らは僕の手を掴んでその場所まで引き寄せてくれる。

 僕はサングラスを取ると近くの石に腰を下ろし、職人たちから話を聞いた。インド政府から助成金がでて、五ケ年計画でチクタン城を修復するのだそうだ。2000000ルピーが政府から支払われると云う。

「ひゃっほー。」

 僕は喜びのあまり大声を出しつつ、飛び上がり、2メートルほど滑落した。なぜならばこの修復事業は、僕がチクタン入りしてから行政に働きかけてきた事だからだ。もちろん僕の働きかけが功を奏したと思うほど自分は天狗ではない。きっとあらゆる事象のタイミングが良かったのだ。

 僕はチクタン城ファンドの計画も村人と立てており、世界中から寄付を募って、10年以内に工事が着工できればいい方だと思っていたのだが、その夢が4ヶ月で叶うとは本当に信じられなかった。岩山の山頂の城までどうにか登り、僕はそっと撫でてからチクタン城にキスをすると、目の前に広がる谷を見下ろす。

 右に青く光る谷はズガン地区であり、中心をとうとうと流れるカンジ・ナラの水は、果てのない奥に影となってゆらいでいるヒマラヤの嶺々に向って疾走している。

 左に緑香る谷はカルドゥン地区であり、その深く広い麦畑の表面は風で踊り、岩山の斜面に立つ干しレンガの家々は悠久の時を隔てた今も昔と変わる事なく人々の生活の場で有り続け、背後に立つチクタン城だけが壊され、作り直され、壊され、作り直されが繰り返す歴史となって、今この瞬間はどうやら作り直される周期に入ったようなのだ。

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 チクタン城の麓に広がる青く輝く麦畑のあぜ道を歩いている。秘密の素敵な場所があると云って、子供たちが僕の前を歩いている。振り返ると風そよぐ緑のフィールドの向こう側に凛とした佇まいのチクタン城が見える。昨日まではただのくたびれた遺跡だったが、今となってはたいへん誇らしげに見える。

 彼は背筋をしっかり伸ばして、胸を張って僕を見下ろしている。そんな彼の視線を背中に感じながら、僕は子供たちの後に続く。麦畑の奥は段々になっており。その間にかぼそい水路が流れている。

 今度はその水路沿いを歩く。水路の上には次から次へと濃い緑の涼しげな木々が覆いかぶさっており、その木のトンネルは僕らをどこかに誘ってくれる予感がある。

 木々を通して向こう側にチーズ色の岩山がそびえたち、右から左へとそれらは連なっていて、青く濃く塗りたくった空の部分と山の端の部分が美しく孤高な一本の線を描いている。しかし木々のトンネルはまだまだ終わらない。木々が太くなってきているのを感じる。

 奥に行く程太く立派な古木になっていて屈強なトンネルを翁たちは水路の上に作っている。トンネルを抜けるとそこは翁たちが一面に枝と枝を絡み合わせて、広く大きな傘を天空に作っている。視線を足下に落とすと、辺り一面に湿原が広がっており、それらの一滴一滴に古木の深い緑から射す、輝く透明な光が反射している。

 その場所より一段高いところにも緑が広がっており、木漏れ日の下、自然の芝生が広がっていて、僕と子供たちはそこに大の字に横たわる。

 目の前の木々の間にできたサークルから青い空が顔をのぞかせる。白と黒と青が目にしみるようなカシャンブルーたちが、咆哮しながら僕たちの頭の高いところを旋回しているのが見える。そして子供たちが口々に云う。

「チクタン城の修復か。」

「エヘヘ。」

「直ったチクタン城ってさぁ。」

「うんうん。」

「なんか、こそばいなぁ。」

 湿原で遊んでいた子供たちが、手のひらに沢山の小魚を捕まえて戻ってきた。子供たちの手のひらで跳ねたり踊ったりしているたくさんの小魚が、午後のものうげで眠たげな光を受けている。僕も魚とりに参戦するが、なかなかうまく採れない。指の間からつるりとそれらは逃げていく。僕たちはとにかく夢中になって遊んだ。頭の先から足の先までどろんこになって遊んだ。そして青々とした芝生の上、僕らは午後の風が薫る中、横になってまさに泥のように眠った。

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 村に戻った僕は井戸の水でどろんこを洗い落としている。全身を石けんでしっかり泡立てる。水路の横にある水飲み場の井戸より水を汲み上げる。桶に水をなみなみと入れて、頭から一気にかぶる。何度も水をかぶり体についた石けんを奇麗に洗い流すと、最後にもう一度桶に水を汲んで、今度はそれを口に持っていく。

 午後の陽光を受けて輝きながらほとばしる豊潤ではんなりと甘い、桶から落つるその水は、乾いた僕の喉を一気にうるおす。僕は右手の甲で口についたその豊潤なやつをぐいと拭い取った。

 タオルで体を拭いている時、僕は一本の電話を受けた。7月下旬にタイ人・アメリカ人・フランス人の大学のグループ24人がチクタン村入りすると云う、しかも一ヶ月滞在したいという事だ。チクタン村始まって以来の出来事に電話のこちら側は湧き、僕の目も少し潤む。そして最後にアメリカ人は云った。

「チクタン城修復のために、いくら用意すればいい?」

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