2011年6月28日火曜日

43.真夜中のパーティ。

 部屋で書類を作成している時に、部屋に入ってきたメディの友人は僕に

「今夜、パーティがあるから来るように。」

 と一言云うと部屋を出て行った。

 僕は仕事を片付け、洗濯物を取り込んで外を見ると、黄昏の中に輝く白と黒と青で体を覆い尻尾が幾分長く美しい二羽の鳥、カシャン・ブルーが自分たちよりも大きな鴉を相手に、頭脳的な連携空中戦術を使い、一羽が滑空しながら鴉をつつき、嫌がる鴉は方向を変え飛ぼうとするが、もう一羽がその行く手に先回りしており、また鴉はつつかれる運命にある。

 その連携が続くと、嫌がる鴉の咆哮は薄い茜色の空に消えて、その黒い後ろ姿には敗北の二文字が滲んでおり、茜から漆黒に変わる空の曖昧な部分に向って鴉は溶けていった。

ladakh


 山の稜線に沿ってしか淡い光が感じられなくなっている時間に、僕は部屋から飛び出し、パーティ会場に向う事にした。とは言えその会場がどこにあるのか僕は聞き忘れていたのだ。

 チクタン村の中を流れる複雑な地形のチュルングスを足下に気を使いながら渡り、干しレンガの家々に囲まれた細い村道を歩く。次の角の向こうから西部劇の場末のバーで対峙する二人のガンマンの男のように、影が大きくなったり小さくなったりして揺らいでいるのが見えたので、そこを曲がりその男たちに聞く事にした。

「パーティ会場はどこか知ってる?」

「パーティ?知らないな。そんなのあったっけ?」

 男はもう一人の相棒に振る。

「僕も知らないなぁ。マスジドでの子供たちの礼拝のことを言っているんじゃないかなぁ。」

 相棒はそう答えると、男は言う。

「そこの角を曲がるとマスジドがあるから、とりあえず行ってみたらどうだい。」

ladakh

 
 僕は男たちの言うようにマスジドへ向う事にした。チクタン村のマスジドは白い肌にメヒンディの緑で彩色してある女性みたいにかわいらしいマスジドだ。

 その窓ガラスから幸福そうな光が洩れていたので僕は覗いて見る事にする。僕は窓枠に寄りかかり腕組みをしながら光の中を覗き込むと、子供たちが静謐の中、神におのおの祈りを捧げていた。

「アーメン」

「アラフマソアレー」

 僕は子供たちの祈りの姿を見ていると、たまにそれがイスラム教なのか、ロシア正教なのか、ギリシャ正教なのか、はたまたカトリックなのか、区別がつかなくなる事がある。大局的な違いは一目瞭然なのだが、それが部分になるとはかなく霧散する。

 東欧諸国の映画でよくこんなシーンが出て来る。そこは草原である。霧や霞が立ちこめており一寸先も見えない。しんしんとしたもの憂げで眠たいのに、どこからかロバの首にある鈴が「ちりん」と鳴る。すると微かに霧が引き、くすんだ白い小さな教会の尖った屋根が姿を見せる。建物の窓枠に寄ると、子供たちが静謐の中、神におのおの祈りを捧げている。

「アーメン」

 チクタン村の祈りは東欧映画の切り取られたシーンと本質は紛う事なく重なる。それは宗教の名状しがたい部分がフィルムに光と影となって焼きつけられ、見る物に深く刻まれて、ある事実に遭遇すると、その部分が記憶から突如よみがえり、双方の何物かの瞬く部分が同じに感じられるからである。

 そしてその部分には普遍的な形と意味を与えられようとするが、それをうまく語る方法を僕は知らない。

 中の少年の一人が外の窓枠のところにいる闖入者に気付き、回教聖職者が愚かな子羊の悩みを聞くように

「どうかされましたか?」

 と丁寧に聞くので、

「いえね、ここでパーティがあると聞いたもので。」

 まるで”一片のパンがあると聞いたもので。”と話す愚かな子羊のように僕が答えると

「ここはお祈りの場です。見ての通り僕たちはここで深く静かに神にお祈りを捧げています。ここではパーティはやりません。パーティの話も聞いた事がありません。お引き取りください。」

 回教聖職者ぜんとした少年はそう言い、静かにドアを閉めた。

ladakh


 さて困ったぞ。ますますもってパーティの場所がどこか分からなくなってきた。パーティが本当にあるのかどうかも怪しくなってきた。

 そう感じながらも僕は村中を奔走した。村は風が強くなってきている。時には動物小屋も覗き、時には新手の宗教の勧誘のように戸別にまわり、すでにその行為は興味でもなく義務でもなく緩慢な意味を失った惰性へと変わりつつあった。

 そしてチクタン村の村道の一番深いところを通り抜けると、突如として目の前に現れたのは、小高い丘とその上にそびえ立つ古い時代の遺跡ゴンマ・チョルテンだった。打ち捨てられたように佇むその姿は、奔走に疲れきった宣教師のような僕にはただならぬ愛情を感じた。

 リンチェン・サンポが建てたゴンパ跡らしいが本当かどうかはよくわからない。村人たちは彼の名前さえも知らないのだ。もし事実なら遺跡は1000年近く昔の物という事となる。村人たちの遺跡の興味はもっぱらチクタン・カル(チクタン城)という事となっている。

 そしてそれについて語らせたら留まる事をしらない村人もたくさんいる。しかしゴンマ・チョルテンについて語らせると村人たちは10秒ももたない。一言”ゴンパ跡”と言うだけだ。すでにゴンマ・チョルテンは村人たちから忘れ去られた遺跡なのだ。村の背中に静かに座っているのにも関わらずその話題が食卓に上る事はまずない。

 うずたかく積まれ朽ちた干しレンガの壁の一部だけが残っており、暗闇に浮かび上がるその姿の主の出生の秘密は、もしかしたら空に瞬く星たちしか知らないのかもしれない。

 先ほどまで吹いていた風が止むと、胡乱な空気は澄み、星たちは強く瞬くことでおのれを主張し始める。ゴンマ・チョルテンを背にして座り、空の色を数えながら、僕はそばに生えている雑草の葉をちぎると、それを口にもっていく。

 背の奥に広がっている山々の稜線はすでに瞬きがある場所と無い場所でしか区別が出来なくなっていて、無数が瞬く天のキャンパスに、山は巨大な生き物が星たちを食べた跡のような漆黒の色と影を落とす。遠くで水が流れる音がする。羊たちが鳴いている。複数の鳥たちの微かに鳴く声もする。そしてどこかの家からの赤ん坊の泣き声。

 ポケットに手を入れると指先にはアプリコットが触れる。それを一つ摘み口の中に放り込む。口の端からその種を地面に吐く。落ちた種を掴んで平らな石の上に置き、小さな石を叩き付けて割る。種の中にあるアーモンドの形のものを取り出し、またそれを口に放り込む。そして静かに目を閉じる。

 こんな自然の中では夜に教えられる事も多い。夜の自然はある側面での叡智の泉なのだ。こんな時ブービィエの言葉を思い出す。

「・・・”幸福”という言葉が、この身に起こったことを言い表すにはじつに貧弱で、個人的なものに思えてくる。結局、人がこの世にあることの骨格をなしているのは、家族でも職業人生でもなく、他人にあれこれ言われたり思われたりすることでもなく、愛の浮揚感よりも、そしてわれわれの虚弱な心に合わせて、人生がちびちびと分配する浮揚感などよりはるかに晴朗な浮揚によって掻きたてられるこの種の瞬間なのだ。」

 こうして僕はこの種の瞬間を知覚し、人が生きてく上での一番太い部分を創り出しているのだ。透き通る空で瞬く芳醇な無数の粒たちを指でチンと弾いて揺らしながら、僕のひとりぼっちの真夜中のパーティはこうして始まった。

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