2011年6月22日水曜日

37.再びサムラ村で結婚式。

 6月は結婚式が多い月であるが、9月10月はもっと多く毎日のようにどこかで結婚式があると言う話を聞いた。だから9、10月のチクタンエリアは結婚式で作られているようなものなのだ。でも今は6月、だけども日本のそれよりも結婚式が多いのは確かだ。

 結婚式が多いと言う事は子供も村には沢山いると言う事になるのだが、僕がお世話になっているジャファル・アリ一家もご多分に洩れず家族数が多い。彼の子供は12人いる。

 だから朝はもう毎日大忙しだ。中にはかなりの寝坊助もいるし、頭のボーがとれずに朝は泣いてばかりの子もいるし、逆に朝が大好きでとんでもなく元気な子もいる。そして僕は毎日そんな朝の混沌の中で朝食を食べる。それもまた心楽しいのである。

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 結婚式の朝もマイペースに目を覚ましたのだけれど、遠くの方からバスのクラクションが谷をこだまして、僕の布団の中にまでそれが聞こえてきた。僕の頭は一瞬にして覚醒した。どうやら寝坊してしまい乗るべきバスに乗れなかったようだ。

「サムラ村まで歩いて行くか。」

 そう思ったら少し気が楽になって、もぞもぞと布団から這い出て、チュルングスにて石けんで泡立てた頭を洗い、顔を洗い、歯を磨く。

 チクタン村の水は朝の光を内包していても決してぬるくはなく、肌に冬のナイフを当てたようにキンと冷たい。そうしているうちにチュルングスを遡上して来る車が見えたので僕は車に道を譲ろうと思い立ち上がると、その車は僕の目の前で突然止まり、中からアブドゥル・ハミッドが出てきて一言。

「サムラ村まで乗せて行ってあげるよ。」

 日頃の行いはあまり良くないのに不思議な事に神のご加護があったらしく、こうして僕はサムラ村まで車に乗せてもらえる事になったのだ。

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 サムラ村は六月のモンスーンの時期には珍しく空が高く突き抜けて、昼までも星が見えそうな程の快晴で、風もなく、式が日曜日に重なったのと新郎の家から聞こえる祭り囃子に乗って人の出も徐々に増えて来る。新郎新婦の部屋は一階と二階で離れており、ひっきりなしの面会のお客は後を絶たない。

 そして僕は新婦の部屋にお邪魔した。すでに集まっている女性たちのおしゃべりが弾んでいる。みんな普段着なのでどれが新婦か皆目検討がつかない。その中で一番おしゃべりな女性に目がいく。そして聞いてみると彼女が今日の新婦という事だ。

 まだ式が始まるまで数時間あるので新婦も普段着なのだが、まるで今日が結婚式だというのを忘れているかのようなはしゃぎようだった。そして僕は次に新郎の部屋に通された。新郎も普段着姿だが落ち着いていて、親類たちとと低く囁くような声で話をしていた。

 そしてその中に僕は一人の男を見つけた。男はクッカルツェの結婚式にもサムラ・ルンマの結婚式にも顔を出していて、そして今回の結婚式だ。男は式のムード・メーカーであり、進行役であり、踊り手であり、歌い手であり、祈り手でもあるのだ。

 その多彩な男は式では欠かす事のできない役者だ。男は口ひげを蓄えているが、笑った顔は目元に子供が潜んでおり、初夏のさわやかな日差しのような男だ。ビデオを回すと男はご機嫌に踊り始めた。

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 僕はというと写真を撮ったり、動画を撮ったり、知り合いと他愛も無いおしゃべりをしたり、出される前の料理をつまみ食いしたりするのに余念がなかった。そうこうしてるうちに陽が高く登り、昼が近づき、みんなはセレモニー会場に集まり始める。

 そして新郎が初夏のさわやかな日差しのような男の祈りの声に乗って登場すれば会場は盛り上がってきて、次に新婦が親類に囲まれながら山の高いところにある家から降りて来ると、宴もたけなわになってくる。食事が次々と運び込まれる。

 そして賑やかなる中みんなでの食事が始まった。宴も終焉に近づくと初夏のさわやかな日差しのような男が祝詞を唱えて、みんなは絶妙なタイミングで「アーメン」の相づちを入れて行く。まるで歌舞伎の観客席から飛ぶ間の手のようだ。そして静かにかつ粋に結婚式は終わりを告げた。

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