2011年6月26日日曜日

41.チクタン村のつれづれなるままに 其の参。

 チクタン村の人々の食事は実に質素なものである。主食は米と小麦。米の料理はバトーと呼ばれ、あつあつのご飯の上にかけるスープが何であってもその料理はバトーである。

 スープにはいろいろな種類がある。塩とチリと野菜。チリとマサラと野菜。羊の肉とチリマサラスープ。チキンとチリマサラスープ。

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 豆とマサラスープ(余談だが南米にもライスに豆の主食があるのだが、こちらのほうは発酵した豆を使っており、納豆なれしている日本人からしても発酵臭がきつく、それを隠すために塩味を強くしてあるので、かなり濃い味付けになっているのだ。特に缶詰の豆の味と匂いは別世界へと僕らをいざなってくれる)。

 野菜も沢山の種類がありキャベツ、ブロッコリー、人参、ジャガイモ、玉ねぎ、ムラク(根菜)、ツンマ(野沢菜のような野菜)。どれもこれも今採れたばかりのほやほやのをさっと料理してご飯にかけてはふはふと頂く。

 ご飯は腹が割れてしまうお米が多いのだが、たまにつやつやのお米が手に入る時もあり、聞くとそれはパンジャビ産のお米で(たまにスリナガルなどで食されるお米をカシミール米と表現される事もあるが、ただしくはそれもパンジャビ米との事)このお米は非常に高価なものでなかなかいつも食べられるものではないので、普段は腹割れのたまに固い米が混じってるものを頂く。

 一番重要な味の方だが、日本の精進料理がとてつもない御馳走に思えるほど慎ましく質素で、その味は向こう側が透けて見える和紙のごとく繊細でこわれやすく、大地そのものを食している感覚が運良く花開いたときは、日本の減塩薄口醤油が非常に濃密で不健康なものに感じてしまうほどだ。

 味にほのかな濃淡はあるにしても毎日の味は薄い塩味に少々のチリ風味、たまに薄いマサラ味も加わる。それが日本で言うところの郷土の味であり代々受け継がれているおふくろの味であったりする。これを美味いか不味いか、飽食の日本人が判断するのはちと早計のような気もする。

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 そしてもう一つの主食の方だが、タギ・カンビルと言われる丸いし白いし平ぺったいしの可愛らしい子犬のような伝統的なパンがあり、普段は縮めてタギと呼んでいる。それは材料の小麦粉を練ってペースト状から団子状にしていき、右手と左手の間をパタパタと行ったり来たりしつつ徐々に薄いホットケーキ状になるまでもって行く。

 そして使い古されたタップと言われている伝統的な暖炉があり、それは薪を腹に入れて、頭に鍋などを乗せる熱々のプレートが置かれ、肩口からは長い長いエントツが天井を貫き、屋根に飛び出した長いものの口からはモクモクと煙を空に悠然とくゆらせている。

 その熱々したタップの上のプレートに薄いホットケーキ状のを乗せてフワパリになるまで何度も何度も裏返して焼くのだ。出来上がったものはホットケーキでもなく、お好み焼きでもなく、まったく新しい何かなのだ。タギは焼き過ぎた部分はパリパリのせんべいみたいになるところがまた新しい食感でそれもまた楽しいし美味い。

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 ブレッドはタギ以外にもあり、コンフー(chong pho)と呼ばれるものがる。これは屋外で料理をした後などの焼け残りの炭を使って作られるのだ。大きなプレートに焼かれる前のメロンパンほどの大きさのを並べて、その上に鍋を裏返しにしてかぶせつつ密封する。

 そしてさらにその上に熱々の焼け残りの炭をかぶせて蒸し焼きにするのだ。焼き過ぎるとかちかちの固いパンになるのだが、絶妙な時間配分で作られたコンフーは外はカリカリで中はふわとろ、それらの熱々のを両手でちぎるように割って、これもまたはふはふ言いながら食べる。

 もし時間配分が失敗して固いのができても心配はいらない。チャナムキン(塩バター茶)やチャナンモ(ミルクティー)がその問題を解決してくれるだろう。それらに浸しながら食べるとその肌はきわめて細かくかつ柔らかくなり、はんなりとした甘さは口の中に広がりこれもまた怪我の功名で絶品に変わるのだ。

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 また他にも面白い食べ物もあり、それはヨス(yous)と呼ばれている。それはポップコーンのようなものなのだが、小麦を原料にしているが調味料は使わないので塩の味はしない。作り方がまた面白く屋外で作る。石を円形に並べてその中心に小枝や枯れ草や牛の糞やらの燃料になるものを配置して火を付ける。

 そして並べた石の上に大きな鉄鍋を「あーはは」と呟きながら置いて(この「あーはは」は日本で言うところの「よっこらしょ」とか「どっこいしょ」の意味であり、それは二拍子でかつ”あ”のところにイントネーションを置く。)、最初に鍋の中に砂を底が見えなくなるくらいかつ薄く入れていく。

 そこでやっと主役の小麦の登場だ。熱々に熱せられた砂の上に小さな皿で布袋から救い上げた小麦を一回だけさっと入れる。そうしたら布団たたきのような木製で手製のかき混ぜ棒で熱々の大鍋で熱せられた砂と小麦を混ぜながら、コーヒー豆を炒るように炒る。数分念入りに炒っていくと小麦たちは静かにはぜていく。

 香ばしい匂いとはぜ具合とこんがりとつややかな色に変化した頃合いを見計らって、すすで黒くなった薄くささやかな布切れを両手を持ち、それで熱々の大鍋を豪快に掴んで持ち上げて、金属の古い四角形の箱に砂と炒りたての小麦の混ざったのをこぼれないように丁寧に入れて行く。

 その箱は下部に砂が通り抜けられるだけの穴が多数あいているので、次にその箱を持ち上げ、大鍋の上で前後左右に揺らせば、その穴より砂だけが大鍋の中に落ちる。そして炒りたての小麦だけが箱の中に残ると言う寸法だ。

 この出来上がったあつあつで、ほかほかで、かりかりで、香ばしく、浅黒くつやつやのやつをヨス(yous)と呼ぶのだ。周りを見渡すと麻袋一杯に入ったヨスに生まれ変わる前の順番待ちの小麦が入ったのが何袋も置いてある。

 この作業を早朝から夜の帳が降りるまで何十回も何百回も続けるのだ。

 そしてそれが終わる頃には、一日が終わり近所の定食屋で一杯引っ掛けている炭坑夫の顔のように、村人の顔もみごとにすすで真っ黒になる。

 そんな事を思いながらヨスを頂くと、ほんのりとした甘みが、散らばる夜の星たちのように口の中に広がり、さくさくぱりぱりの食感はさらに香ばしく口の中で踊り、僕は自然のさらなる恵みの芳醇さを思い知らされつつ打ちのめされ、みんなで夜の星座を数えながらそれらを食する感動はきっと永遠に忘れられないものとなる。

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