2011年6月24日金曜日

39.再びクッカルツェの結婚式。

 今日もまた結婚式がある。この前と同じクッカルツェ村でだ。新婦がクッカルツェ村出身で、新郎はここからおおよそ20キロほど離れたところにあるサンジャク村の人だ。今日は新郎の親戚や友人たちがクッカルツェ村の新婦を奪いにくる日なのだ。

 今日が終わると明日はサンジャク村で続きの式が執り行われる。新婦の村、新郎の村両方の結婚式をたくさん僕は見てきたけれど、やはり面白いのは新婦の村の結婚式だ。友人たちが新婦の前で踊るダンスは楽しいし美しい。彼女たちのダンスはフェスティバルかこのような式の時でないとお目にかかれない。

 フェスティバルの踊りは形式張っていて、僕にとってはあまり面白いと感じられなく、こういう結婚式の時の踊りは彼女たちが本当に楽しんでいるのが伝わってくるので、こちらまで心楽しくなるのだ。今日は最高の天気に恵まれて結婚式日和である。

 クッカルツェ村へ向う道すがらツェポと言われる木の枝で編んで作られるかごを背負っている女たちとすれ違う。そのかごの中には今日の結婚式の贈り物が詰め込まれているのだ。ブランケット、枕、鍋、杯、小麦、テレビ、など様々な生活用品が贈られる。

 そして今日のチクタン・カル(チクタン城)は初夏の日差しの中一段と美しく輝いて見える。青々と煌めいている小麦畑の中を歩いていると鳥たちが驚いたように一斉に飛び立つ。岩山にも初夏はやってきており、岩山に申し訳なく作られている数多くの穴が彼らの新しい巣なのだ。

 その穴蔵の中にはたくさんの鳥の赤ん坊が親鳥の帰りを待ちわびている。そんな景色の詩を感じながら歩いていると祭り囃子が聞こえて来るのでクッカルツェ村が近づいてきた事がわかる。朝の10時、平日にも関わらず近隣の村々から続々と人が集まって来る。

ladakh


ladakh


 クッカルツェ村の新婦の家の隣にちょっとした広場があり、そこに天幕が貼られてその奥に新婦は鎮座して、来客の対応に追われていた。

 新婦は赤いベール(バグモ)を深くかぶっており、そこからは表情をうかがい知る事はできないが来客との面会で常に大きな声で泣いているので、今は結婚の嬉しさよりも親族や友人たちのいる村を離れていく悲しみの方が大きいのがわかる。

 でもそんな彼女でも明日になって、新郎のいる村で執り行われる式では、昨日の悲しい気持ちは消え、その気持ちは結婚の嬉しさにきっととって変わるのだ。しばらくすると新婦の面前に友人たちが集まってきてダンスが密やかに始まった。

 最初は一人が音楽に合わせて静かに踊っていたのだが、徐々に友人が増えて行き入れ替わり立ち替わりの賑やかなダンス・パーティとなる。赤や黄色やオレンジや緑や黒のさまざまなダホン(スカーフ)が揺らめき、熱をおび、女たちは踊り続ける。

 足先から指の先まで音が絡み付き、それらを女たちは熱くめまぐるしく揺らぐ事で巧みに絡みとり、女たちのその姿は天へと昇華していくミューズのように美しい。こうして新婦の悲しさは踊りの女神たちがいっときぬぐい去ってくれる。



ladakh


ladakh


 このクッカルツェ村にはブッディストがひと家族だけ住んでいる。もちろん彼らもこの村を挙げての結婚式には参加する。天幕の外に出て、ざっと見回してみるとすぐにそれとわかる伝統的な衣装を着て式に参加しているブッディストの姿が目に入る。

 この服の名前はゴンチャと言うのだが、ムスリムもこのゴンチャを着る。同じゴンチャを来てもムスリムとブッディストの違いは一目瞭然でわかる。ブッディストはスカーフを頭に巻いても耳を出しているかスカーフをしていない。

 しかし極まれに完全にムスリムスタイルでスカーフを巻いているブッディストもいるので、そういう方たちはお手上げで見分けがつかない。また逆のパターンもあってどこからどうみてもカシミリーフェイスなのに実を言うとブッディストだったという事もあったりする。

 事のついでに人種の話だが、ダー、ハヌー、ベマ、ガルコンあたりの人たちはアーリアンと言われていて、ラダッキともカシミリーともプリキーともひと味違う顔立ちの青い目とかぎ鼻に濃い髭と言うのが特徴的なんだけれども、実を言うと彼らは日本人顔でもあるのだ。

 どういう事かというと、北海道の網走地区にウィルタ族とニブヒ族の日本人が住んでいて、彼らはアイヌとも違う一族であり、昔サハリンから渡ってきたりしたのだが、彼らの特徴も青い目とかぎ鼻に濃い髭なのだ。

 実際に双方と会って話しをしてみたが、全く見分けがつかないので、きっと大昔は同じ民族だったのではないかと推測されるし、実際にそういう説を唱えている偉い学者さんがいるそうな。

 インドは他民族国家だが日本も狭い領土なのに以外と他民族国家なわけで、小笠原諸島にも昔々に渡ってきたとある民族の青い目の日本人が住んでいたりする。

 脱線したので話をクッカルツェ村の結婚式に戻そう。日本的な整然さの式は伝えるのが容易であるのだが、ムスリム的な混沌から発露されるものは、手のひらで救い上げて伝えようと思っても一面的ではないので、指の間からこぼれ落ちる事象の方が多くてなかなか伝えづらいものである。

 まぁとにもかくにもクッカルツェの結婚式はブッディストもムスリムも仲良く入り交じっての式であるので賑やかでかつ楽しいのだ。

ladakh


ladakh



 最後は新婦の化粧直しの後、車に乗り込んでサンジャク村に向うのだが、やはり別れはいつの時代も悲しい物である。有史以来このわかれと言う物は数知れず行われてきたのであるけれども、人類の歴史は別れの歴史でもあるのだ。別れの記録をひも解き、世界中から集めて本にするだけで分厚い何冊もの歴史書ができそうである。

 そして新婦は車までのわずかな距離を親族たちと最後の抱擁をしつつ大泣きする。足もとは悲しみでおぼつかないので両肩を友人に抱えられて歩く。そしてまた大泣き。新婦のバグモ(ベール)の深いところから流れ落ちる涙は少し離れていても感じ取る事ができる。

 この時期のチクタンエリアでは至る所で結婚式が行われているので、辻を流れるカンジ・ナラの水は数多くの新婦の涙で作られているといっても過言ではない。どうりでこの季節のナラの水はほんのちょっぴりしょっぱいわけだ。こうして新婦は車に乗り込むと親族と友人そして涙を残してサンジャク村に向かうのである。



ladakh


0 コメント:

コメントを投稿

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...