2011年6月20日月曜日

36.チクタン村のつれづれなるままに 其の壱。

 夜中に一度目が覚めた。

「水道の水が流しっぱなし・・・。」

 そう僕は寝ぼけていたのだ。水が流れる音は水道からの音ではなく、外を流れる疎水が一段低いところへ滴り流れ落ち続ける音だったのだ。たまに通勤ラッシュの夢などを見て目を覚ます事がある。去年まで現実だった事が夢の世界だけの出来事となって、去年まで夢で見ていた出来事が現実の世界になってしまっているのだ。

 夢から覚める時、一瞬にしてその出来事は入れ替わり頭の中は短い間混乱する。混乱のまま再び眠りに入れば目が覚めた時、現実と非現実が入れ替わっていそうで少し怖い気がする。でもそんな心配とは関係なく朝は来る。7時になると窓から見えるプラタンと言われる岩山の台地の端から陽がゆっくり昇り始める。

 細く柔らかい何本もの虹のような日差しが窓を突き抜けて僕のまぶたを軽くノックする。鶏は朝日が昇る前の薄暗い時間よりざわめきわくわくしだしているのだが、そのくらいの音では僕のまぶたは固く閉じられたままなのだ。

 でも朝の日差しにノックされた僕のまぶたはたまらなくなってゆっくりと開け始め、僕の頭も徐々に覚醒し始める。まるで静寂の湖に浮かぶ一艘の小舟がゆっくりと動き出すように。

 その船の静かなる波紋は僕の少し離れたところに寝ているメヒディを起こす程強くはなく、彼はお母さんに叩き起こされるまで静かな寝息をたてている。そして僕の枕元にはいつも入れたてで熱々のミルクティーがクッキーを伴い白い湯気を立てて用意されているのである。

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 僕はタオルを首に掛け、インド製の石けんと歯ブラシそしてチューブを右手に持ち、左手には使い古されて金属の光沢も無くなっているが、それが逆にいい味を醸し出している水差しを持っている。

 深山から深いところにしみ出して出来た芳醇な地下水に繋がる井戸から汲み上げたばかりの水を水差しに入れて、ジャファル邸の表扉の面前で一段低いところに滴り流れ落ちている疎水に草履を引っ掛けて向かう。手のひらに少量の水を水差しから確保して顔を濡らす。

 そして水差しから直接少量の水で頭を濡らす。石けんを少し濡らして顔に直接走らせる。顔を走っている石けんの速度が上がってきたところでそれを頭に持って行きそこで存分に走らせる。十分に泡立ったところで、水差しの残りの水を頭と顔にかけて石けんをきれいに洗い流す。

 そして水差しの水を一センチ程残しておいてそれを使って歯を磨く。濡れた頭をタオルで拭きながら、歯を磨いていると右から左にカシャン・ブルーが飛んで行き、羽をより大きく広げて減速すると、麦畑に静かに着地する。

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 朝の日差しの中、歯を磨きながら、濡れたタオルで頭を乾かす時いつも思い出すのが、愛車アウトビアンキを伴っての北海道での長期に渡るキャンプ生活である。その記憶は僕の心と体に深く光と影を刻んでいて、旅に出た時はいつもその経験を知らず知らずに基軸にして物事を考えるようになっている。

 そこでは本物の自由人を数知れず見てきた。社会という枠に捕われる事無く枠のこちら側と向こう側を行ったり来たりしながら生きている。自身で廃材を集めて家を建てるもの。ジプシーのように住処を自由に移動しているテントが我が家の者。そしてそのテントから通勤してるOL。外人部隊崩れのサバイバル生活者。韮山某自由博士。

 まぎれも無く彼らは純粋で逞しく、思い出すと思わず目を細めてしまうような愛すべき自由人たちだった。そしてこのチクタン村もまた自由人たちがたくさん生きている。

 しかし日本の自由人は束縛された社会からのアンチテーゼ的な生き方の人たちが多かったのだが、ここチクタン村では、現在のインド社会が確立されるずっと以前から人々の営みは変わらず、しかも宗教や国が変わっても同じ自由な生活で、質素に、牧歌的で、自給自足的で、伝統的文化は大切にされ、それら全てのことがらは村人に愛され続けて、そしていつの間にか今は世界中の先進国と言われている国々に暮らす人々から注目されている。

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 その事について、満天の星空のもと、富良野の吹上の湯につかりながら、愛すべき自由人から聞かされたこんな小話が思い出される。

 西洋のとある国の会社経営者が休暇を利用して太平洋に浮かぶ小さな島にバカンスでやって来た。島人は朝、海に小舟を出して今日食べる分だけの魚を採る。そして魚を採り終わって陸に上がり、一眠りしてから今日釣った魚で昼食の準備にかかる。

 昼食を食べ終えると午後のシエスタだ。午睡を貪っている間に子供たちが学校から戻ってくる。そして子供たちといっしょに黄昏時まで遊び、日が沈むと地平線から沸き立つ星座たちを眺めながら夕食を食べて、食べ終えると早い眠りに入る。
   
 会社の経営者は島の人々のこんな怠惰な生活を見て嘆いている。

 経営者が言う。

「魚をもっと一杯採って市場に売りに行ったらどうかな?」

 島人は言う。

「どうして?」

「お金がいっぱい手に入る。」

「そのお金をどうするの?」

「もっと大きい船を買う。」

「そして?」

「もっと儲かったら市場を経営するんだ。」

「そして?」

「もっともっと儲かったら世界中に市場を作るんだ。」

「そして?」

「そして夜ともなく昼ともなく必死に働いて老後の蓄えをするんだ。」

「そして?」

「会社を引退したら、南の島にでも行って、朝は釣りをして暮らして、それに飽きたら一眠りする。そして昼は釣った魚を料理して食べて、それからまたシエスタだ。午睡からさめたら黄昏時まで子供たちと遊ぶ。夕食は星を眺めながらだ。食べ終えると早い就寝をする。」

 島人が一言。

「そんな生活ならもうとっくにしてるよ。」

 皮肉なものである。

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