2011年10月30日日曜日

22.スリランカ高原鉄道。

 幽谷にこだまする汽車の汽笛は、朝に絡み付く深い霧に溶け込み、その白い谷の衣の上では、もくもくと黒い煙が泳いでいた。目を覚ましたばかりの早朝のジャングルに進む汽車の姿はまだ雲の中にあり、朝露に濡れそびているココナッツやバナナの木の葉をかき分けながら、傷だらけの黒い巨体をディーゼル機関車が息を切らせつつ牽引する。

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 ポルガハウェラ駅は朝の霖霧の中、ひっそりと時に佇んでいた。この駅はクルネーガラよりバスで20分ほどの場所にあり、イスラム教徒が多い街でもある。霧の中で頭にイスラム帽をちょこんと乗せた人々が自転車をからからとこぎつつ行き交っている。商店のシャッターが徐々に開けられ、その中でアラビア看板の文字が静かに踊る。こうして朝の礼拝があけたばかりの街はゆっくりと鼓動していく。

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 眠たげなプラットホームに滑り込む様に入ってきた汽車に向ってロシナンテのような犬が吠え続けていた。僕と僧ダマナンダーが車両に乗り込むと、汽車は早速出発する。深い霧に飲み込まれたジャングルに、がたんがたんと揺れる汽車の音だけが霧霞の奥より聞こえるが、その姿は見えない。

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 車窓から外を見る子供たちの眼は輝いている。線路をひたすら眺め続ける眼。窓から手をのばし背い高のすすきをつかみ取ろうともくろんでいる眼。霧の中の木々の上にいる動物たちを凝視している眼。気動車から吐き出される黒い煙を追いかける眼。霧の中に浮かぶ小さな沢山の瞳は何を思っているのだろうか。そして汽車は人影も疎らな駅にゆっくりと入って行くと”がたん”という音を残して止まった。

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 走行中も開け放たれている扉から降りる人はおらず、代わりに乗り込んで来たのは数人の西洋人観光客とお菓子の売り子たちだった。

「ワデーワデーワデー」
 車両に大勢の乗客は押し込められており、その間をだみ声で忙しく乗客の間を行き交う。その籠の中に入ったワデーは、ドーナツ型とせんべい型の二種類があり、その両方ともチリ味で、食べると微かに舌に響く。辛いはシンハラ語では”サライ”と言う。語尾に”ネ”をつけて、辛ければ”サライね”と言うのだ。

「サライね」
 僕がワデーをかじりながらそう言うと、周りのスリランカンは”シンハラ・プルワン?(シンハラ語出来るの)”と言うので、”チュタック・プルワン(ほんの少しね)”と返す。

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 そうしてるうちに汽車はゆっくり駅を滑り出す。開け放された扉からは冷たい山の空気が流れ込んで来て、人々の間で小さな渦を作っている。汽車は再び山のジャングルの中にある。霧はまだ濃く、その露に濡れた緑もまた濃く、でも空の端の方では淡く青いところが見え隠れしている。

 オランダからの観光客は、開け放たれた扉から半身を乗り出し風を受けている。汽車は時速20キロから30キロの速度でゆっくりかつ力強く、霧の高原を登ったり、下ったりしている。遠い遠い雲の間から微かに山の陰が透け、広く深い高原の大きさが徐々に判明してくるのだ。

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 小さな川をいくつも渡り、小さな無人駅をいくつも通過し、小さな山々をいくつも登りは下ると、霧は徐々に引いていき、大きくて深くて広いスリランカの自然が姿を見せ始める。時々自然の中にポツポツと家が見えてくる事があり、その広い庭からは少年や少女が手を振っている。

 突然、木々が低くなりそこに紅茶畑が広がる。山の高原のひだが連続した山々を埋め尽くしている。その一つ一つは茶畑であり、緑色の長い龍が尾根尾根をうねって静かに伸びている。いくつもの尾根を汽車も飛び越えて行く。汽車の中は活気ずいてくる。子供たちは歌を歌い始める。前の方よりお菓子が回ってきたので僕は、連結器付近で壁にもたれながらそれを食べる。そしてひたすら汽車は進む。

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 座席に寝ていた西洋からの女は、隣に座っていた右腕にタトゥーを入れたサーファーの男のキスで眼を覚まし、窓から広がる景色に感嘆の声を上げる。途中の駅で乗ってきたドイツ人夫婦が窓の景色をさかなに話を弾ませる。その夫婦のご婦人は日本のかただった。ドイツのフランクフルトから来ていて、在ドイツ11年という話を聞く。

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 鉄橋を渡り、滝を右手に見つつ、でもまだまだ茶畑は続き、騒ぎ疲れた子供たちは午後のシエスタに入っている。途中の駅でドイツ人夫婦は降りて行き、少しづつ少しづつ乗客は減って行く。山の中のエッラ駅でサーファーカップルが、窓からサーフボードを下し、降りて行く。彼らはここから再びバスに揺られ遠く東海岸のアルガム・ベイに向うのだ。

 有名無名の駅を無数に通り過ぎ、ポルガハウェラ駅から片道300円で揺られて9時間、終点のバッドゥラの駅が見えてきた。向こうの座席より聞き覚えがある歌が流れてくる。

「さいた。さいた。ちゅーりっぷのはなが。ならんだ。ならんだ。あか。しろ。きいろ・・。」
 子供たちが学校で習った歌を口ずさんでいた。

 途中で仲良くなったその家族と一緒に駅に降り立つ。僕たちは駅から吐き出されると、その家族と別れて、ダマナンダーとバッドゥラの街を歩き始める。今日のプージャの日には駅の前の大きなお寺は人で溢れており、バッドゥラがブッディストが多い街だと言う事が分かる。そして僕たちは一夜を過ごすべく屋根のあるお寺を探し始めるのだった。

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