Monday 24 October 2011

16.再びスプートニク・インターナショナル。

 朝は眩しく、陽は暑く、風は凪いでいる。寺から飛び出してクルネーガラの街に出るにはいい日だと思う。森の中の荒れた細道を一台の古バスが、木々を押しのけるようにやってきた。僕たちはバスに乗り込むと運転手の横顔が目の前に見える運転席横の簡易シートに座る。

 古バスは細道のでこぼこを乗り越えながら右に左へとお尻を振りつつ森の中を進む。運転手の座席の後ろのパネルには仏陀のホノグラムが掲げられており、彼もいっしょにバスに揺られると屈折した光がその絵にさまざまな色を与えている。森を抜けて街道にバスが出た時にバスの車掌が運賃の回収にやってくる。

 運転席横のダッシュボードの上に無造作にたくさんのコインが置かれており、車掌はそこから乗客に釣り銭を渡すのだ。慈永祐士僧がごぞごそと袂から運賃を支払おうとしたが車掌に止められる。その車掌は”とんでもねぇ。お坊さんからお金はとれねぇべ”と言うような顔をしてにっこり微笑むのだ。

 ここスリランカではお坊さんの地位は非常に高い。大統領よりも高いと言われているほどだ。バスの座席一つをとってもそうなのだが、満員のバスに僧侶が途中から乗り込んできたとする。バスの最前列に座っていた人は必ず席を立ち僧侶に席を譲るのだ。

 それは空蝉の世に生きる人々に変わって今生で修行をしている僧侶に席を譲る事で小さな徳を積んでいるのだ。途中のムスリムの居住地を通り抜けて、クルネーガラの街に到着すると僕たちはバスターミナルでバスを乗り換え、クリアペティア行きのバスに乗り込むとバスはすぐに動き出す。

 この道は海に向って真っすぐ続いている。クルネーガラからは最短ルートで海に向ける事ができる道なのだ。海風に向かい進み、クルネーガラのバスターミナルを出発して15分ほどで、ジャパニーズ・スクールに辿り着く。

Sri Lanka


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 二度目の訪問となったスプートニク・インターナショナルは相変わらずたくさんの生徒たちが出入りをしていて、活気があった。日本語が飛び交うこの学校は日本語を流暢に話せるスリランカの方も多く、マネージャーのエシャンタさんもその一人だ。

 この学校の職員室は門から入った一番大きく古い建物の中にあり、この建物はイギリス植民地時代からのもので、80年以上昔のものらしいのだ。僕たちはエシャンタさんよりマネージャールームに通され、いろいろなお話をお聞きする。

 スプートニク・インターナショナルは設立されて10年ほどになるらしく、主にスリランカ生徒たちに日本語を教え、日本の大学で学ぶための土台作りをお手伝いしている学校なのだ。日本の先生は現在二人在籍していてこの学校で寝起きしているのだ。

 建物はこのメインの建物以外に教室と体育館が一緒になっている大きなものが一つ、そしてその建物の裏側には生徒たちの宿泊施設が一つ、そしてこの学校から車で10分ほどジャングルの中に入っていくと4000坪という広大な敷地の中に孤児院であるガールズ・ホームがある。

 この新しく建てられた建築群はすべてマネージャーであるエシャンタさんの設計で。彼はあの偉大な建築家、ジェフリー・バワの弟子でもあったのだ。
 
 ジェフリー・バワを知らない方の為に少し説明すると、ジェフリー・バワは20世紀のアジアの建築家の中では最も偉大で有名な建築家の一人なのだ。世界的に活躍した彼はスリランカでも数多くの作品を残しており、しかもそれらはすべて独創的で感覚的であり大変高い評価を得ている。

 主に私邸とホテルの建築が多く、その他は大学、工場、オフィスなども手がけており、変わった建物では仏教寺院なども制作している。彼のコンセプトは「持続可能なアーキテクチャー」であり、その思想は今は建築家以外にも普及して広められている。50年近くの彼の建築家人生は2003年に終え、静かに永眠したのだ。

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 古い建物はスクエア型になっており、この中庭を眺めながら僕たちは紅茶を頂きつつ、日本人の先生である狩野さんと語らう。彼は言語学に精通していて、最近はスペインのカタルーニャ地方の言語に興味を持っているらしい。

 またポルトガル語圏であるブラジルにも長い間滞在されていた事もあり、いろんな意味でのスペシャリストだ。慈永祐士僧と狩野さんはシンハラ語について歴史的観点、人類学的観点、仏教的観点からの討論をしている。もちろん僕はその辺はいやその辺もさっぱりわからないので、隣で紅茶をすすり中庭をながめつつ耳を傾けている。

 お茶の時間が終わると僕たちは授業を行っている教室に案内される。体育館と繋がっているレンガ作りの建物の二階に教室はあり、スリランカ人の女性の先生が流暢な日本語を駆使して生徒たちに日本語を教えていた。今日の授業の生徒たちは10歳から20代までの若い生徒で、中にはお坊さんの姿も見える。

「あなたの誕生日はいつですか」
と先生は生徒に質問する。
「僕の誕生日は5月28日です」
と生徒はたどたどしい日本語でノートに目をやり、黒板に目をうつしつつ答える。

 先週にちょうど日本語の月日の単語を教えたらしく、今日はそれに伴った授業をしているのだ。教室の後ろに目を移すとその右の壁には生徒たちが書き上げた習字で書かれた文字たちが貼ってある。みんな達筆だった。少なくとも僕よりは達筆だった。

 まだまだ授業は続いている。途中で狩野さんも参加して授業は徐々に白熱していく。その様子を見ていると”ああプロだな”と思う。そこにサンデル教授とその生徒たちの授業がかぶる。方やハーバード、方やスプートニク・インターナショナル。違うのは場所であり少々の内容だ。先生と生徒たちの学びたい熱意はどこにいても、どんな時でも同じなのだ。

 その後、僕たちはエシャンタさんと共にガールズ・ホームに移動する。車で森の中を10分程分け入ると、それはあった。さんさんと輝く太陽のもとで、多くの緑に囲まれているその白亜の孤児院は最適な場所あるように思えた。

 午前中、生徒たちは近くの学校に通っていて一人もいなかったが僕たちは孤児院の中を見学する。本当に沢山の日本人を始め多くの国々からの援助で建てられた孤児院は、ここで生活をする子供たちの希望の源なのだ。孤児院の横に建てられつつある製紙工場も、ここを出た後に彼女たちが働ける場所として作られているのだ。

 まだまだ驚く話は続く。このガールズ・ホームの横に日本人の女性が一軒の家を建てられるらしい。そのコンセプトが孤児院を出て行き場がない彼女たちを受け入れるための施設にもなるそうなのだ。

 このスプートニク・インターナショナルでは、子供たちは日本で”プルワン”という名の絵本を出版したり、日本語学校を作り地元の方々に日本語を教えたり、製紙工場を作ったりと、何かを作り出す事で、寄付だけではなく、持続可能な生活基盤を整えようと模索しているのだ。現在は運営費の中の寄付の割合は大変少なくなり、地球を周回するスプートニクのように安定飛行をし続けつつあるのだ。

 僕はエシャンタさんに聞く。
「あなたの夢は何ですか?」
「ここに大学を作る事です」

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