Thursday 27 October 2011

19.ダンブッラの石窟寺院。

 キャンディより古バスに揺られダンブッラに向う。ジャングルの中のダンブッラへの一直線の道は遥か遠い地平線に向って真っすぐ伸びている。天気は怪しく視界の外側で何度も雲が閃光を放つ。キャンディから二時間程走るとバスはダンブッラへ到着した。ダンブッラの黄金寺院はバスを降りてすぐの所にあった。

 門を抜け一歩入ると、新しい寺院があり、その姿に僕は大きなショックを受ける。日本でいう昭和の頃に建てられていた国際秘宝館ばりのケバケバしく悪趣味で目を背けたくなるような建てものがそこにあった。しかし安心して欲しいこの左側に岩山の山頂に向っている階段があり、そこにダンブッラがダンブッラたる聖地の証明の古い古いお寺が存在するのだ。

 僕とダマナンダーは石窟寺院に続く長い長い階段を上って行く。30分ほどかけてその階段を息を切らせつつ登り終えると目の前に、山頂からの景色が広がる。濃霧の中に緑濃いジャングルが世界の果てまで続いており、その所々に水をなみなみとたたえた湖が見える。そして太古の山々の黒い影がジャングルの中からいくつも立ち上がりその様相は原始の姿を現在に蘇らしている。

 雲が時折放つ閃光はその恐竜時代を彷彿させる風景の中でまるで恐竜の終焉の物語を語り始めているようだった。始祖鳥が大空を舞う時、大地をティランサウルスが駈け、水辺にはトリケラトプスがゆっくりと歩を進め、ステゴサウルスが草をついばみ、ブラキオサウルスが木々よりも高い所に顔を出し回りを伺っている光景が見えてくるのだ。

Sri Lanka


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 石窟寺院の入り口には天空にある茶室ともいえるような小さな建物があり、それをくぐり抜けると、大きな岩の懐を長く長くくり抜いた所に白亜の寺院がすっぽりと収まっているのが見える。スリランカにはこの岩をくり抜き寺院を中にはめ込む形の造りが至る所にあるのだが、その中でもここは一番古くて、規模も最大である。

 それは日本寺的でもなく、中国寺的でもなく、チベット的でもなく、ラダック的でもない。それはまさにスリランカ的な造りであると言えるのだ。このまるで浮遊しているかのような空間は、気の遠くなるほどの悠久の時を感じさせるには十分だった。

 このダンブッラのエリアへ人が住み着いたのは紀元前の7世紀から3世紀の間だと言われている。この石窟に彫像が作られ岩絵が描かれたのは紀元前1世紀ほどのことだ。紀元5世紀には仏塔が建てられ、12世紀にはヒンドゥの神の像が加えられ、紀元11、12世紀と18世紀に大々的に修復されて現在に見る事ができるものとほとんど同じ状態になっている。

 ある時期の14年間は迫害を受けた仏教徒が追放された王とともにこの洞窟に籠り過ごしていたとも言われている。その王がアヌラーダプラで復権した時にこの時の謝辞として、壮大な石窟寺院をここに建設したのである。そして現在は20世紀、ユネスコに世界遺産として登録されて世界中から観光客が集まってきている。余談だがダンブッラ寺院近くで2700年前の埋葬遺跡が発掘されている。それに伴いこの地で農業で生活する古代人の証拠が次々と発見されているのである。

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 石窟寺院は五つの石窟からなっていて、その一つ一つに彫像と壁画が納められているのだ。黄昏時のこの時間も観光客は多い。僕たちは一つ一つを巡る。横に広い石窟の中には釈迦像が壁際に右から左へと並んでいて、静かに瞑想しているそのお顔からは、様々な事が読み取れる。

 平安、平和、幸福、知恵、心、法、天、空、などいろいろな感覚が静かにかつ一気に入り込んでくる。一体の涅槃物の釈迦の目は大きく見開かれていて、空の一点の何かを見ている。その仏前にはたくさんの美しく香り高い蓮の花が置かれている。ライトに灯されてはいるが、中はそれでも薄暗く、しんしんとゆったりとしているがどこか張りつめた空気の中にポツポツと音が聞こえる。

 それは天井の古い岩の裂け目から滴り落ちる水滴が地面に落ちる前に壷に救われている音だ。この霊験あらたかそうな水は薬なのだろうか、はたまた儀式用なのであろうか僕には良く分からないが、大切な聖水である事は確かなようだ。暗闇の中に浮かび上がる立像も静かな笑みを讃えている。

 暗闇は決して怖く暗いものではなく、希望を生み出す光を造り出す一つの胎内のように思えてくる。それは釈迦仏の前で毎日生まれ続け、ここよりはるか遠い世界に広がっているのが感じられる。天井の壁画も古く薄くなっていて、それが広い壁一面に描かれている様相は感動とか驚きとかそんな物が一度に入り込んで心の中で騒ぎ始める。

 限りある少ない色彩で描かれた数多くの釈迦は、昔の人々の信仰への熱き思いが壁から沁み出してきているようでもある。その沁み出した思いはここに訪れる人の心の深い所に確実に届いているのが分かるのだ。石窟の中に小さな白い仏塔がある。その回りを釈迦像が取り囲んでいる。

 それらを見ていると僕は不思議な気持ちになる。ここは石窟のなかの小さな小さな世界のはずなのに、僕はまるで浮遊して広い広い宇宙の真ん中に放り出された感覚になるのだ。それは僕の中の何かが見えるはずの無い世界の大局まで見つめている奇妙な感覚である。内なるものが遥かなる外の世界を知覚している感覚である。

 僕たちは石窟の外に出て、茜色の空のもと、山の空気を思いっきり吸い込み、山頂の小さな鐘を一つ大きく鳴らし終えると、ゆっくりとゆっくりと下山するのであった。

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