Wednesday 26 October 2011

18.仏歯寺にて。

 キャンディ湖の縁を歩いている。水上で風と戯れている湖は静かなさざなみをたてている。遥か向こう岸近くの水面には小さな庭が浮かんでいる。右手に三角錐の赤い帽子をかぶった白亜の仏歯寺が見えてくる。

Sri Lanka


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 このお寺は仏陀お亡くなりになった後、仏歯が密かにスリランカに持ってこられるが、始めはアヌラーダプラの寺院に奉られ、その後はポロンナルワ、ヤーパフア、クルネーガラと転々と場所を移動する。そして次の時代にはニヤンガンパーヤ、コッテに移り、その次の時代にはデルガムーア、そして最後の安息地はここキャンディになったのである。

 時代の緊迫した政治状況、戦争などいくつもの困難を避けながら仏歯はスリランカ国内を移動し、この地キャンディに移動してからもまた困難は続く。1998年にはテロ攻撃があり、大変なダメージを仏歯寺は負ったが、仏歯そのものは無事であった。 

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 仏歯寺の回りをそぞろ歩く。古い塀に囲まれた役目を終えた仏塔の翁は、大地の縁側でひなたぼっこをしつつ、うたた寝をしている。仏歯寺の回りは緑輝く池に囲まれており、それを覗き込むと沢山の魚が周遊していた。仏歯寺の入り口にはムーンストーンが敷かれ、そこより続くトンネル廊下があり、見上げると天井一面に蓮の花の絵が咲き乱れている。

 トンネルを抜けると二本の象の牙の向こうに仏歯が安置されている。この安置場の一階部分は二階部分へと繋がっており二階部分が本安置所になっているようなので、僕たちは二階部分に進む。階段を上ると大勢の人が仏歯の安置所に向って祈りを捧げており、手に蓮の花や線香を持つ者、経を広げて唱える者、ひたすら拝む者、座禅を組んで瞑想する者、驚くほどたくさんの人でひしめいている。

 特別に安置所の柵の中に入れてもらい、ダマナンダーは中でお祈りをし、僕はその扉を眺めている。二体の神の壁画に守られて金色の装飾で飾られている安置所の扉の向こう側に仏歯が奉られているのだ。スリランカの人々の仏教信仰の大切な対象物は二つあり、一つは仏歯、一つは菩提樹なのだ。両方とも日本では馴染み薄いが、スリランカの人々にとっては何世代も続いてきた信仰文化の心のよりどころであり、スリランカ上座部仏教に置いては信仰の根幹となる対象物なのだ。

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 安置所の建物から外に出て奥に向って歩くともう一つ大きな建物がある。僕たちはその中に入ってみる。何体もの釈迦仏が奉られており、その階上は博物館になっていた。一階の釈迦仏の御前に置かれている蓮の花を囲んで沢山の人たちがお祈りをしていた。二階に上がってテラスに出てみると、目の前にはキャンディ湖が広がっている。

 二階を吹き抜ける風は心地よく、空を流れる雲はスリランカの人々と同様にゆったりとしている。深い森に囲まれた青いキャンディ湖の水面が陽に照らされきらきらと輝いている様を見るのは本当に神秘的な気分にさせられる。

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 仏歯寺を出てキャンディの街中を歩く。僕たちは線路の上をバスターミナルに向って歩いている。世界中から多くの人たちが集まってくるキャンディの街は平日といえども賑やかで活気がある。

 300メートル程の標高のキャンディの街は美しき湖があり、様々な小さな生き物が住んでいるジャングルの植物園があり、スリランカ中から集まってくる学生たちの大学がたくさんあり、そして数多くのキリスト教会があり、仏教寺院もたくさんあり、仏歯寺はこの街の中心だ。

 自然も街も人も文化もうまく影響し合い、共鳴し、発酵し、熟成の粋を辿っている。喧騒と静けさはいつもどこかにあり、人々の心はそこを行ったり来たりしながらのんびり流れている。自然の中では鳥が鳴き、花が咲き乱れ、リスが木から木へと忙しく移動し、湖の中の魚影は濃く、猿たちは木の蔦を伝って地上に滑り降りてくる。

 マーケットでは色とりどりの自然の食材たちが騒がしく声を立て、バスターミナルからは世界中から集まる観光客が吐き出され、大学ではたくさんの学生が明日を夢見て勉強に励み、湖の淵では多くの恋人たちが語らい、多くの家族が仏歯寺で熱心に釈迦にお祈りをしている。

 こんな当たり前でいて素敵な毎日がずっといつまでも繰り返されるのだ。それは昔の不安定な政治状況や紛争の合間にも繰り返されてきた当たり前の日常なのだ。

 静かな暮らしを当たり前のようにし続ける事が日本においても困難な昨今、ここスリランカでは昔と変わりなく今もそして未来にもきっと、たゆたうようなゆったりのんびりとした暮らしが、世界においてもそれは難しい事であるのにもかかわらず、果てる事無くいつまでもいつまでも続くのは、気候や地理的利点や歴史や民族性や宗教やその他様々な要因が奇跡的な融合を見事なまでに完成させた結果なのかもしれない。

 線路の上を人の波に身を委ね流されるように歩きながらそんな事を考えていると、後ろから汽笛の音が聞こえ、列車が近づいてきたのが分かった。人の波は線路を真ん中に左右に分かれ、その間を汽笛を鳴らしながらゆっくりとゆったりとのんびりと列車が走り去って行くのを、僕はぼんやりと眺めていた。

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