2011年10月28日金曜日

20.トリンコマリーという街。

 クルネーガラを古バスでひたすら北東に向う。ダンブッラより東に伸びる道は緩やかな丘陵地帯を東の海に向けて貫いている。そのきれいに舗装されたばかりの道は真っすぐに森を貫き、空と大地の境目に向けて一直線に続いている。空はどこまでも優しく澄みわたり、森は徹底的に広く濃く、これらの太古につけた人の痕跡は長い長いこの道だけだ。

 この巨象の鼻のような道は世界で一番恐れられている人間と言う名の獣が通る道だ。東の海まで30キロほどの所でふと左に目を移す。深い緑の中に広大な青が広がり、その湖の水面にはゆったりと流れる雲が写り込んでいる。東の海まではムスリムたちの村が続き、異国情緒たっぷりの南国色のモスクが立ち並ぶ。クルネーガラから移動する事5時間、数キロ手前でホテルおしんの看板が見えてくるともう海はすぐそこだ。

Sri Lanka


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 街の真ん中に立っている時計塔を回り込むように、トリンコマリーの街に古バスは滑り込んでいく。左手に大きなミッション系看護学校が見え、白衣を着た生徒たちが学校の門を行き来している。僕たちはバスターミナルでバスから降りると回りを見渡す。そしてその街のゆったりした光景の目に写り込むものは、世界中の漁村と同様この街は多くの鳥が荷揚げした魚を横取りしようと企んでいて、街中には古都奈良の街のように鹿が多く佇んでいるのが見える光景だ。

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 僕はここで少しトリンコマリーという街の歴史を紐解いて行こうと思う。まずトリンコマリーと言う名は”聖なる丘の神”を意味を持っており、タミル語"Tiru-kona-malai"の英語表記がTrincomaleeなのである。古来には海洋トレーダーたちを引きつけてきたこの港には古くにはマルコ・ポーロもこの港を利用したと言われている。

 様々なスリランカの王朝がこの港を利用し、そして多くの国がこの港より侵略や貿易を始めている。1619年にデンマーク人がこの地に入り、占領し始めている。ちょうどこの年ジャフナにはポルトガル人が入り込み征服を果たしている。その後フランシス会、イエズス会が入り人々のケアにあたる。

 そしてトリンコマリーもポルトガルの手に落ちたが、ベイ砦での戦いでオランダに破れ、トリンコマリーはオランダのものとなる。その後はイギリスの手に落ちアジアで最も重要な港の一つとなる。歴史的に見ると商人たちの港というよりは、様々な国の進入路として重要な役割を果たしていたようだ。

 第二次世界大戦時はトリンコマリーの石油コンビナートが日本の爆撃機により空爆されて、今もその跡は石油会社の敷地内に残っている。戦後コンビナート周辺は中国によって整備され、そのあたりの地名はチャイナ・ベイと呼ばれている。

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 タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)が正式に設立されたのは1975年。始めはタミル人に著しく不利な「大学入学の標準化政策」阻止にむけて小さな団体が設立されたが、抑圧された人々は1975年に武器を取る道を選び、ジャフナ市長を暗殺している。この解放戦線のグループはシンハラ人による幾多の圧政に苦しんだタミル人たちが作り上げた武装団体でなのである。

 このトリンコマリー周辺では数多くの人々がLTTEにより殺害・処刑されているし、政府軍によっても数多くの人が殺害、処刑されている。LTTEはシンハラ人の村やイスラム教徒の村を急襲して壊滅させたり、要人の車列に自爆攻撃を仕掛けたり、戦艦に自爆攻撃をしかけたり、列車を爆破したり、バスを爆破したり、スリランカ軍キャンプを急襲したり、手に入れた戦闘機で空爆も行っている。

 政府軍はタミル人の村を急襲して壊滅させたり、タミル人の車列を攻撃したり、LTTEの船にミサイルを打ち込んだり、LTTEのアジトを急襲したり、タミル人の村々に大規模な空爆をしたりしている。

 殺されては殺し、殺しては殺され、そこからは憎しみと悲劇以外は何も生まれず、しかしながらこの不条理な輪廻からは逃れる法はあらず、少年は兵となり、女子供は捉えられ殺され、ただ駆り出され、抵抗し、飲み込まれ、浄化され、土になるだけの、凄惨で苛烈な所を見る時、人というものは生物の頂点に立つ優れた生き物である事は錯覚にすぎないのではないかと感じ、我々は人間と言う名の地獄であって万物の最下層に位置しているのではないかという気さえする。

 トリンコマリーの街中に立ち並ぶそうそうたる数の墓石を見る時、背中から頭のてっぺんにかけて一気に戦慄が駆け抜ける。海風に揺られている墓石の上の花たちは何を思うのか。2009年に内戦は集結し、LTTEは敗北宣言をしたが、人々の心の深い所には遺恨の火がちらちらとまだ揺れている。

 お互いの胸に突き立てられたままのナイフはゆっくりと静かにそれと分からぬ様に引き抜いてやらなければならない。抑圧から文化は花開くと歴史は語るのだが、文化の進化に必要なものが悲劇ならそんな歴史はいらない。歴史の言葉遊びは椅子に座ったままで動かぬ夢想する歴史家の朝食にでも与えておけばいいと思う。

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