2012年7月10日火曜日

20.チクタン村の話 その9。

チクタン側の峠を抜けて、波打つヒマラヤの峰々を通り抜け、最後の峠も抜けようとする所であっと息を飲む。界下から風が吹き上がり、その深い谷の下の方に緑の宝石が開けて来た。 「コクショー村だ」 なめし革色のヒマラヤの山々に囲まれたその美しい緑の村は、隠れるようにひっそりとそこに佇んでいた。村に中には小さなゴンパも見え、まるでここは時間が止まって現代ラダックからも取り残されたかのように感じられる。コクショーの峠から急斜面にあるつづら折りの道を車で降りていく。そのつづら折りを下り切ったところから見上げると、ゴンパが小高い崖の上に鎮座しているのが見えたので、僕たちはゴンパに続くなだらかなスロープを歩く。その小さめのゴンパをぐるりと一周して、正面に辿り着くと、扉に鍵がかけられており固く閉ざされているのが分かる。ゴンパのある高台から村を望むと、狭い谷に美しい緑が広がり、左手奥の山の麓にに村が固まっているのが見てとれる。その手前の麦畑のあぜ道に子供たちがこちらを見ている。ドライバーが大きな声で子供たちに何かを問いかけている。子供たちも大きな声でそれに答える。しばらくするとその子供たちがゴンパまでやって来ると、その手には大きな鍵を持っている。子供たちはその鍵でゴンパの扉の鍵を外すと、それは静かに開き、淡い闇の中にお釈迦様の座像が浮かび上がる。僕たちはそのゴンパに静かに入り込む。小さな窓からは差し込んだ光は、きしむ床にその姿を刻んでいる。鎮座している釈迦象は静かに微笑んでいるように見え、周りのほこりを被った木製の戸棚の中には数多くの小さな象が並んでいた。去年来た時には多くの僧たちが集っていたのだが、今日は姿が見えないようだ。このお寺には青い目をしたお坊さんがたくさん修行していたのを覚えている。このコクショー村自体はダルト系の民族が一番始めに住み着いた所だと言われていて、チクタン村と同じように多くのフォークダンスとフォークソングの無形の文化を抱えている。それが披露されるのは年に数回あるフラワーフェスティバルで、日にちは年ごとに違うし、特に宣伝はしていないのでドンピシャそのフェスに当たる日に、訪れるのはなかなか難しい。去年僕はいち早く情報を捕まえて向ってみたのだが、それでも一日違いでフェスを見る事が出来なかった。

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僕たちはゴンパを後にして車に乗り込むと再び出発した。コクショー村の中を通っている道を下っていくと、ユスフの親戚が居るという話だったので、子供たちがクリケットをして遊んでいる道路の端に車を止めて、その家にお邪魔する事にした。その家はコクショー村の中ほどにあり、部屋に通されるとたくさんの子供たちとおじいさんが僕たちを迎えてくれた。ユスフは久しぶりに会った親戚に嬉しいそうで、少し話し込んだ後に僕たちはその家を後にした。

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再び車を走らせるとコクショー村の端の方に忘れ去られたようにお城の跡がわずかな部分を残して、さみしそうに立っていた。車はその横を通り抜けコクショー村を抜けると、しばらく何もない山の中を走りつつ高度を落としていく。その狭い谷を進み、突然目の前が開けてくると大きなインダス川が下方に見えて来た。つづら折りの道を下り、インダス川沿いのダルト村を抜ける時に、この村にもお城の跡があると言う事を聞いていたので、ぼんやりと目を泳がせるもその跡は確認できなかった。村を抜けインダス川にかかる橋をわたり対岸に出る。ひたすらインダス川の下手に向って車を走らす。ダー村が見えてくるとその入り口付近に車を止めた。 ダー村は標高が低い所にあり他のラダックの地区に比べると緑が濃く気温も高い。いたるところに頭の上をきれいな花で粉飾した伝統的衣装に身を包んだ村人たちが農作業をしている。そして名産のアプリコットもすでに熟す段階になっていて、木から自然に落ちた実はもうすでに熟し切っている。しばらく歩くと左手にゲストハウスが建っていて多くの外国人観光客ではやっていた。そのゲストハウスを過ぎると左手奥の農地で作業をしている人たちがおり、ドライバーが声をかけてみると”こっちに来なさいよ”みたいな事を言っているらしいので、僕たちはその場に向う事にした。木陰で農作業の合間に、赤ん坊を寝かせつつ、自分たちも休憩を取っている。木陰になっているアプリコットの木は実をたくさんかかえながら重そうにしている。農地には小麦だけではなく、いろいろな植物を植えている。さすがに花の村だけあって花も咲き誇っており、色鮮やかな農地になっている。僕たちはそこをおいとまして、さらに奥に歩を進める。木漏れ日の中をさらに進み、村落が広がっている路地という路地を抜けていく。さらに行くと集会場のような場所の横に大きなマニ車があり、その向こうには新しめのゴンパが見えて来た。村の突き当たりにそれはあり、インダス川沿いに長く広がるダー村はこの場所で終わりを告げた。そして僕たちはまた今来た道を引き返すと車に乗り込んだ。

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次はガルクン村に向う。インダス川をしばらく進むと、チェックポストでインナー・ライン・パーミットの提示を受けたので、僕とN氏はそこでILPを提出した。チェックポストを後にしてしばらく進む。日は西へ傾きインダス川の川面は輝きを増す。僕たちはガルクンの村落を通らず、村の一番奥にあるゴンパへのリンク・ロードを通ってゴンパの近くまで行き、そこで車を止める。車を降り谷を徒歩で下っていく。ガルクン村の外れの集落を通り抜け、谷に流れる小川のせせらぎを聞きながら進む。小さな小さな橋を渡り谷の向こう側に出ると、今度は谷を上り始める。小川の支流であるより小さな清流沿いの道を登って行く。谷の頂上が見えてくるとそこにはゴンパが鎮座していた。手前側には新しめのゴンパ、そして谷側の奥には古いゴンパがあった。去年来た時はリンク・ロードを通らずに素直に長い長い村内をインダス川沿いに歩いて来たのだが、今回はゴンパ近くまでリンク・ロードで行き、少しだけ谷を歩きあっという間にゴンパについてしまった。もしガルクン村にこれからこられる方がいましたら、リンク・ロードを使わずにゆっくりのんびり長い長い村内をそぞろ歩くルートがお勧めです。僕たちはゴンパを後にして車に戻ると、村人に声をかけられたので、アプリコット畑の方へ向う。そこには昔の人がグルーミングに使っていた岩などが置いてあったり、アプリコットを岩の上に干している所が見れたり、村人ととりとめのない会話をする事ができたりして楽しんだ。そして僕たちは車に乗り込むとチクタン村に引き返すべく早速出発した。

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次の日の朝、僕とN氏はチクタン村の小学校であるミドル・スクールに向った。なんとN氏がチクタン村の子供たちのために日本製のペンとノートと色鉛筆をギフトとして持って来てくださったのだ。ズガン・チクタンにはミドル・スクールが二つあり、一つはプライベート・ミドル・スクール。もう一つはガバメント・ミドル・スクールだ。さてこの二つの学校どのように違うかというと、名前の通り私立の学校と公立の学校なのだが、公立の学校は極めて設備はボロボロで授業内容の質の極めて悪いのだが、ただメリットは授業料は無料であると言う事。そして私立の学校は設備、学校の質ともに格段に高いのだが、費用も高い。お金がない子供たちは公立の学校へ、お金を持っている子供たちは私立の学校へ行くのだ。それが隣り合わせに並んでいるという皮肉な関係になっている。最初に僕とN氏はガバメント・ミドル・スクールに向った。青空の下、ギフトの授与式が行われた。インドの方たちの式典好きはラダックの奥地まで普及していた。一人づつN氏が子供たちに丁寧に直接ギフトを手で渡していく。子供たちはハニカミながらもペンとノートと色鉛筆を受け取る。式典が終わり今度は僕たちは隣りのプライベート・ミドル・スクールに向う。そして式典は室内で行われた。ここでもN氏が丁寧に子供たちにペンとノートと色鉛筆を受け取っていく。順番を待つ子供たちは奥で直立不動で立っている。子供たちはギフトを貰うときに嬉しそうな顔をちらと見せる。式典が終わると僕たちはカルドン村にある学校でも同じようにギフトを配ると、その足でN氏は直接チクタン村を後にしてレーに旅だっていった。授業が終わると子供たちは大挙して僕が滞在している家へ押し押せて来た。ギフトのお礼をN氏に告げるためだ。だがすでにN氏は旅だってしまっていたので、子供たちは非常に残念な顔をする。そして口々にこう言うのだ。 「来年もまた来るよね!」

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