Wednesday 4 July 2012

14.チクタン村の話 その3。

今日はチクタン村のお盆の日だ。早朝より村人たちはお墓参りに行く。お墓は高台の緑の農地が一望できるとこに作られている場合が多い。お墓の上には色とりどりの花が散りばめられており、ヒマラヤの山に眠るご先祖様の周りに集まり、歌を歌い、特別な食事をし、そして語らうのだ。日本のお盆とほとんど同じで、先祖を敬い、今を戒め、思いを未来に馳せる。しかしお墓の姿は日本の火葬と違い、イスラム教では土葬が主だ。世界で火葬が取り入れられている主な宗教は仏教とヒンズー教で、キリスト教やイスラム教は土葬となっている。最近は世界の学者たちの間でヒンズーとは宗教ではなくコミュニティの総称だという論議が沸き起こっているという話を聞くが、とりあえず宗教としておく。キリスト教とイスラム教だけでも世界のかなりの宗教の割合を占めるので、今や火葬を行っている宗教は必然的にマイノリティーに入ってしまう。また輪廻思想がある仏教での火葬は厳密に言えば完全な輪廻にならないかもしれない。なぜならば火葬する事により骨以外は灰になり、土に帰らないからだ。イスラム教の土葬の目的は肉体を完全に土に戻す事。魂は神のもとに帰り、肉体は分離して、その養分は草になり、花になり、木になる。または虫になり、鳥になり、野生動物たちになる。

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今日の朝食はお盆の特別な食事だった。ポロタ、牛乳、ヨーグルトそしてラッシー。ポロタというのは、ローカルパンのタギを油で炒めたもの。牛乳は絞りたてのをボイルしたあつあつのやつ。ポロタを細かく砕いて、牛乳と砂糖の入った銀の容器に入れて、スプーンですくいながら食べると朝食のシリアルになる。市販のシリアルよりも歯ごたえがあり、焼きたてなのではんなりと暖かくそして香ばしい匂いのやつが、取れ立ての牛乳の中を目一杯泳いでいるのだが、自然の中を遊び回った牛からとれる牛乳はとても濃厚で香り高く、ほんの少しとろみがあり、色も白一色ではなく、クリームの白色から輝く黄色まで、銀の容器の縁に気持ちよいほどのグラディエーションを描いていて、牛乳を体中にあびたポロタは口の中で濃厚な自然の旨味に変わり、名状しがたいとてもおいしい味になるのだ。牛乳をゆっくり温めつづけると自然の酵母が発芽して徐々にヨーグルトに変化する。このヨーグルトはカシミール地方ではカード(イギリスの植民地だった国ではカードという言葉が使われる事が多い)、このプリク地区ではジョと呼ばれている。もちろんジョのプルプルの食感と微かな甘みとジュシーなおつゆの味はいつ食べても変わらない美味さだ。このヨーグルトを大きな古い木の樽にかき集め、小槌のような形をした木の棒で長い時間をかけてかき混ぜ、かき混ぜ終わってから、かくはんしたヨーグルトの中に手を突っ込み、白い闇の中を手探りで探すと、ほんの気持ち程度の量のバター出来上がっているのが分かる。これはぐるぐる茶を作る細長い容器にヨーグルトを入れてかくはんさせてもいい。そしてバターを大切に取り出した後に残るとろとろのところがラッシーと呼ばれているヨーグルト・シェイクだ。このラッシーも前文章を推して知るべし。インド国内で売られているラッシーがまるでままごとに思える程、これもまた濃厚な自然の旨味にはいつも驚かされる。

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朝食を終えると僕はゴンマ・チョルテンに向う。チクタン村の中心に流れるチュルングサという名の小川を柔らかな木漏れ日のもと遡り、右手の家の辻を入っていくと一気に細い坂道になるので、そこを駆け上る。そして突き当たりの家の辻を左に折れると、両側に小さな花々の咲く細い道が午前の陽気の中続いている。しばらくこの小さな花の道を進むと、桃色の花弁を持つ花たちの向こう側に視界が開け、その巨大なゴンマ・チョルテンが見えてくる。ゴンマ・チョルテンは風の音と鳥の鳴き声と夏の日差しと驚く程たくさんの花たちに囲まれて静かに眠っている。このチョルテンはリンチェン・サンポと言う僧が作ったと言われる僧院らしいのだが、今は巨大な壁が残っているのみで、そのチクタン村の高台に寂しく佇んでいる姿からは、それが僧院だったこともなかなか想像できない。時代が進めばこの僧院跡も山となり河となるのだ。 夏草や 兵どもが 夢の跡 しかし村の語り部はきっとこの村の記憶を次の時代へ静かに人知れず語り続けていくだろう。

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ゴンマ・チョルテンの裏山を登って行く。崩れ易い山肌に足を取られないように注意深く山の頂を目指す。茶色の山肌を越え、頂上に最後の一歩を踏み出して、視界が一気に広がると、いつもの事だが声にならない感嘆の声があがる。 「!」 そこから見えるチクタン村の景色はまるで緑の真珠のようだった。緑の麦畑が遥か彼方のヒマラヤの山まで広がり、その両側もヒマラヤの山が優しく微笑んでいる。そのヒマラヤに囲まれた谷の一面に緑の麦が濃く優しく実り開いている。右から風が吹くと右から左へ麦の穂が一斉に揺れ、左から風が吹くと左から右へ麦の穂が一斉に揺れる。この自然の美しい運動は雪が美しく結晶されていくように、様々な自然の現象がたくましくも美しい麦を実らせていくのだ。僕はこの丘を一目散に駆け下りる。麦畑に端に立つと目線の高さで延々と緑の絨毯が広がっているのが分かる。右手に目をやると、この美しい麦畑が見渡せる場所に一軒の家が新築されようとしている。完成した暁には申し分の無いこの美しい景色が窓から見られるのだ。大工たちが僕に手を振ってくる。僕も手を振りかえす。

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この美しい緑のフィールドをあぜ道に沿って歩いていく。もちろんその両側は麦畑なのだが、時々その淵が美しい花々で覆われていたり、ポプラの木が長くあぜ道に寄り添っているのを見ると、待てよもしかしたらここが天国なのかもしれないと立ち止まりほほをつねったりしてしまう。時々休耕地に出会うが、そこには花々が一面に広がっている。麦畑の中にも所々花々が住み込んでいるところがある。それらの花の色は白、黄、青、紫、赤と様々な色で、その種類も色ごとに違う。プリキー語でとても美しいことをマナ・デモ・ドゥクと言うがまさに、この光景見ると思わず口に出てしまう言葉だ。 「マナ・デモ・ドゥク!」 麦畑の中の花畑なのか、花畑の中の麦畑なのか、見当がつかない天国を僕は歩いていく。このフィールドはとても広く、歩いても歩いても天国なのだ。そしてこの天国の端に出ると、二年前の洪水で壊れかけた橋がカンジ・ナラに架かっている。この傾いているこの橋を渡り向こう側に出るとトアーツェ村に入る。この村のある家の辻に入ると、歩いていくと小さな麦畑が木陰にあり、そこの淵に石作りの小さな小屋がある。この小屋の扉を開いて覗いてみると[チクタン村の話 その1]に登場するランタックがあった。今すぐにでも動き出しそうなその姿は、久しぶりの人が入って来たので驚いて目を覚ましてしまったのかもしれない。もしそうならランタックよごめんなさい。

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さてチクタン村の緑のフィールドたちの旬は6月と7月だ。7月後半から8月上旬は収穫の時期になるので、緑一面がまた茶一面に変わる。収穫の時期は家族総出で手伝うのは当たり前で一年のうちで一番忙しい時期となる。収穫後のチクタン村もまた美しいのは変わりないのだが、最初に訪れるのならやはり6月と7月が一番いい季節だろう。それと今はチクタン・エリアのインナー・ライン・パーミット(ILP)がレーのトラベル・エージェンシーでも取得できると聞いているので、気軽にチクタン村へは立ち寄れる環境が整っている。そして冬のチクタン村もまたいい。あたり一面の雪景色にしんしんとなる幻想的な空間は、宗教と相まってよりいっそうの厳粛な空間となる。それは村全体がまるでルター派やベネディクト派の修道院にいるような、神に帰依する厳然な集団生活の場にかわるのだ。 そして今日も子供たちの元気な声が聞こえてくる。

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