Thursday 5 July 2012

15.チクタン村の話 その4。

「にわとりは?」
「コッカラ・コーン」
「じゃ猫は?」
「ミャオース」
「犬」
「ウオッ ウオッ」
「カシャンブルーは?」
「カシャ・カシャ・カシャ」
「じゃ牛は?」
「バーオ」
「山羊は?」
「マー」
「羊はなんて鳴くの?」
「バァ・バァ・バァ」 

ladakh


ガバメント・ミドル・スクール・トアーツェの子供たちの元気な声が校庭に響く。中には裸足の子供たちもいて校庭を走り回っている。先ほどゴンマ・チョルテン方面から降りて来て、麦畑のフィールドを横切り、ランタックのある小さな畑に迷い込み、そしてその畑に寄り添うようにしていたこの学校を見つけたのだ。この学校はシャガラン・ポログランドの一番奥まったところにあり、シャガランの手前の地区はマグリーション・チクタンと呼ばれる地区で、このミドル・スクールはトアーツェ・チクタンと呼ばれている地区にある。学校は土レンガ作りの質素な作りで、昼間は電気がこないので教室の中は窓から差し込む光のみで暗いのだが、それでも子供たちの表情は明るい。教室の外に出て太陽の光を目一杯受けて教科書を眺めている子供たちも多い。この地区のどこの学校も見ても思うのは、自由な香りがするという事だ。その自由は束縛からの自由という意味ではなく、大自然の中に見いだされた精神への自由の鍵が、先ほど校庭に転がっているのを見たような気がする。どの子供も水っぱなをすすりつつ、歓喜の声を上げている。

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先生は言う。 「それとハグニス村には行かれましたか?」 「去年行きました。洪水の跡が忘れられません。子供たちの学校が流されて、みんな仮設テントで勉強してましたね。子供たちは元気ですか?」 「子供はみんな相変わらず元気です。あれだけひどい洪水だったのにもかかわらず死者はでませんでした。雨量が増えた時にみんな山側の安全な場所に逃げ込んだのです。家や学校やマスジドは壊れたらまた作ればいいのです。しかし人間はそうはいきませんからね。そうそれからハグニス村から2キロほど奥に分け入ったところに大きな大きな岩があります」 「岩・・ですか?」 「その岩は・・うまく説明ができないのですが、とにかくすばらしい自然石なのです。是非訪れてみてください」 「わかりました。訪れる機会をつくっていつか行ってみます」 太陽に照らされた木々の青葉が風に揺らぐ音を感じながら僕が言う。 「ここもまた美しいところですね。」 先生は言う。 「ここにはファシリティはないですよ。楽しみは食べる事。寝る事。」 でもその目尻を細めてにっこり笑った瞳の奥には謙遜の瞬きが見える。だから暗さはみじんも感じさせない。 なんといってもここはラダックだ。資本主義でもなく社会主義でもない第三のシステムを世界中の有識者が模索している中、一番注目されている場所といっても過言ではないのだ。ここには人類の未来への鍵が至るとこに隠されている。それを解明していくのは学者たちの仕事だが、僕はその鍵のありかをあらゆるところで感じているのだ。人は物が溢れてくれば来る程、それに比例して物に縛られていくのだ。多くの人は快適さを探して周りを物で固めることがかえって自由を奪われている事に気づき始めている。シンプルに生きる事は決して難しくはない。最初のステップ、それは物から自由になる事だ。 そしてこのミドル・スクールの横にあるのが広い広いシャガランと言われる古き時代よりあるポロ・グラウンドだ。残念ながら今はポロの試合はもう長い事開催されていない。ポロと言うのは中央アジアに広がった乗馬競技の一種で、スティックでボールを相手のゴールに入れていく。確かアフガニスタンが舞台のハリウッド映画の中でスティックとボールではなく、ボールの変わりに動物を使い競技していたのを覚えている。今、ラダックでポロの試合が行われているのは、僕が知る限りではレー、ヌブラ、カルギル、そしてドラスだ。やはり昔の伝統的な競技が徐々に無くなっていくのは、寂しいものがある。またこのグランドは伝統的なフォークソングの中にも出てくる。シャガラン・ソングと言う名のその歌は質素でのどかな歌なのでいつかみなさんにも聞かせたいと思う。 昔々、このシャガランでは、チクタン・エリア(プリク地区)のつわものたちが集まり、年に一度のポロ・トーナメントが行われておりました。それはそれは盛大なものでその決勝にはチクタンの国王がチクタン城から観戦に来られると言う大変光栄で名誉なものでした。馬たちが砂埃を巻き上げながらシャガランを駆け巡り、各村からの観客たちは激しい声援を送り合っているが、それでも国王の横に座っている王女様が気になってしょうがないようでした。去年結婚したばかりの国王は周りの反対を押し切ってレーから連れて来たブッディストの王女を妻にしたのでした。その王女様は大変美しく、もっぱらチクタンの人々の口に噂にのぼるのはその美しさの事ばかりでした。試合はみごと地元チクタンの村のポロ・チームが優勝し、国王も嬉しそうでした。王女様も国王の横で嬉しそうにしており、それを見ていた村人も大変嬉しそうでした・・・なんて話ももしかしたらあったかもしれませんね。 ズガン・チクタンに戻る途中の小径を歩いていると、右手からかたかたと規則正しいが、あたたかい音が聞こえてくる。その音のする方へ進んでいくと一軒の古い家があった。その音は階下の部屋から聞こえて来ているので、小径から続く階段で一階に降りていく。ほの暗い室内よりこぎみよい音が聞こえ、そこに入っていくと女性たちが、古い古い木製の機械を使い一枚の生地を作り上げる作業をしていた。小さい部屋一杯に置いてあるその木製の機械には、無数の糸が縦に張り巡らされており、横糸も機械の真ん中付近で交互に縦糸と絡み合っていた。羊毛で作られていると思われるその糸は真っ白で、かすかに甘い匂いを発し、窓から差し込む光に反射してつやつやと輝いている。かたかたと言わせながら手元の木の部材をあやつり次第に出来上がっていくその一枚の生地は丈夫でしかも大変美しいものだ。僕は家の柱を背にその光景にしばらく見とれていた。突然の闖客に驚いたのか窓枠の外に女性たちの顔がまるで生地のように縦にも横にも並び不思議そうにこちらを見ている。今度は外に出てみると羊毛から一本の糸を紡いでいる道具がからからと動いていた。その道具もまた古い木製と鉄で出来ており、鉄製の手車をからからと回すと、地面と垂直に立っている木製の芯の部分がくるくると回り、徐々に糸が出来上がりその部分に巻き付いていく。「ほ、ほー」とその不思議な動きに感心しながら僕はその糸巻きに釘付けになっている。なつかしい昔の光景に目を細める。僕の出身地の街は昔は、繊維産業で栄えて、今もその工場跡が数多く残っている。その工場を覗くとすでに使われなくなっている昔の木製の織り機がきっと並んでいるのである。それが形は違うが、同じ手作業での木製織り機がこのヒマラヤで現役に動いているの見るとき、やはり胸にくるものがある。ここチクタン村ではこのように先祖代々より使われて来た木製の道具が大切に現役で今も使われているのをたびたび発見する。先祖への感謝の念とか、伝統的な物を守り続ける心とか、いろいろあるとは思うけれど、一番感じるのは豊かな自然と直結している道具たちへのなみなみならぬ愛情だ。僕はシャカール村の学校へ訪問した時に廊下にこんな文字が書かれていたのを思い出す。
 Human made is bad, Nature made is good.

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