2012年7月7日土曜日

17.チクタン村の話 その6。

モンスーンの季節の合間に顔を覗かせた良心的な太陽は、再び流れてくる雲をその強い日差しで追い払いながら、僕たちの様子を追いかけていた。見上げると鋭く天に向っている岩山の先っちょのところに、チクタン城が太陽を背に北の国の山百合のように咲いていた。足を一歩岩山の裾野に踏み出すと、山肌の表面を覆っている薄い岩肌が剥がれ落ちてくる。チクタン城に会いにいく方法は二つあり、一つは城下に広がるカルドゥン村側からマスジドの脇を通り、城の正面の岩肌の小径を辿っていく方法。こちらの方は安全でしかもチクタン城には早く着けるので、急ぎの用がある方や石橋を叩くのが好きな方はこのコースが大変お勧めだ。そしてもう一つはチクタン城の背中側から登って行く方法。こちらは小径がある訳ではなく、その日の崖のご機嫌や自分の体調や靴のすり減り具合をみながら、ルートを模索していく。一回の滑落で一つの命が無くなるので、命のストックが無い方は前者の城の正面からのコースを強くお勧めしたい。そして僕たちは後者の城の背中から登るコースを選んでいた。岩肌を手と足で掴みながら登って行く。右肩ごしにチクタン城の背中が見える。岩山のギザギザの山頂のところに石を組んで城が作られているのがよく分かる。よくそんな不安定な場所から城は滑落しないのかが不思議でならない。チクタン城はきっと僕の靴よりもいいものを履いているからだろうとそう思う事にした。そしてユスフはこの岩肌をまるでアイベックスのように岩から岩へ軽快に飛び移っていく。そして命のストックを持ってくるのを忘れてしまった僕は、滑落して岩肌に取り残された子鹿のようにビクビクしながらそこを登って行く。最後の岩に手をかけ”んっ”と懸垂するととにかくどうやら山頂に辿り着いたようだった。

ladakh

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真近で見るチクタン城はまるでマンモスのようだった。古来が突然目の前に現れ、僕たちの心に何かを語りたがっていた。見上げるとその城壁は天を恐れる事なく空を支えており、それを形作っている石や土レンガはいまだ強固で、その中に時折見える木でできた柱やすじかいは、朽ちているものの当時の記憶を強く見せようとしているのが分かる。16世紀にマリク王により建造されたチクタン城は別名、ラジー・カルとも呼ばれていて、ラダックの素晴らしい王宮の一つとして名を馳せている。城が現存していた時代の写真は1909年に写真家のフランキーに撮影されており、その勇姿は写真からも十分伺える。 「シンカン・チャンダンもとてつもない仕事をしたね。いつ来てもこの城の偉大さに圧倒され、心臓がどきどき鳴るよ」 ユスフはそう言うとそっと胸に手を当てた。 シンカン・チャンダンとは16世紀の大工で、名工として名を馳せ、チクタン城を建立した一年後にレー・パレスを作り上げているのだ。 僕たちは城の外壁を何かを確かめるようにコツコツと叩きながら回り込み、その切れ目より内部に侵入した。チクタン城の内部はとても広く、険しい岩山の頂上に建っているとは、思えない程多くの部屋に区切られていて、崩れた外壁のレンガが内に無造作に散らばり、部屋は小さな庭のようになっていた。この異次元な光景を見たとき、シンカン・チャンダンの仕事の偉大さが自分に沁みこんできた。部屋床の岩肌の草の中から一輪の小さな花が咲いていた。その花の周りにはちいさな蝶が静かに舞っていた。そこは音も無く、昔の文明の気配が微かにするだけで、時とともにそれは大自然に同化されていき、動植物の楽園になっている。奥の部屋から城を守り続けて来たロボットが一輪の花を手に持って現れて来そうな気配であった。そしてこの無口な天空の城は何かを想像させるそんな気配であった。 一つ一つの部屋を散策していくと、ある部屋に数枚の石板が置いてある事に気づき、それには縦横斜めと細かく線が彫られていた。それはチェス盤のようでもあり、バックギャモンのようでもあり、オセロのようでもあった。それらは昔の人々が陣取りゲームに使った石板だった。兵士たちが城守の交代任務が終わってから、この静謐なる部屋で、ロウソクの火を便りに、あぐらをかき、腕を組みながら石板上の寡黙な兵士たちを動かし、いかにして自分の領地を広げるか、いかにして相手の領地を分捕るかに頭を悩ませていた。そして自分の領地が広がるごとに相手は愚痴をいい、自分は歓喜の声を上げ、周りで様子を見ている同僚は一緒になって喜んだり悲しんだりした。城守より敵が攻めて来たの報告を受けると、兵たちはその部屋から一斉に出て行き、各所の守りについたのであろうか。 部屋の窓枠は小さく、遥か彼方まで見通せるようになっていて、実際に覗いていると、チクタン・エリアの縁までしっかりと見渡せる。窓枠の形と大きさに切り取られてたチクタンは、遠くまで続いている緑があり、ヒマラヤの山肌のなめし革の色もまた彼方まで続いている。それがこの窓枠の絵画の中にある風景なのだ。そして僕は王様の部屋はどこだろうと探すが分からず、きっとあの崩れおちてしまった高い所の一番素晴らしい景色が見える部屋なのだろうと想像する。それからここと似たような場所を僕はふと思い出す。マチュピチュ遺跡だ。マチュピチュは土台しか残っていないけれど、このチクタン城はしっかりと城の形が分かる程残っている。そしてその崖の縁にへばりついている姿は同じに見える。ここに建造物を作った労力もきっと同じようなものだろう。気の遠くなるほどの高い場所に人力だけで作り上げていく。違いはマチュピチュはアンデスの天空都市であり、チクタンはヒマラヤの天空の城という事。このヒマラヤの天空の城チクタン城の美しさは、過去の偉大な写真家、冒険家、歴史家、商人、そして現代の凡庸な僕をも魅了した。過去でも現代でも青い空と緑の土地と悠久のヒマラヤに囲まれて建っているチクタン城のその姿は、湖上の花のように心の内の一片を漂う、そんな清涼な部分になり、ここを訪れるものにとって、必ずやかけがえのない記憶となって、人生の中で幾度も浮き上がってくる大切なものになるだろう。

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