Tuesday 3 July 2012

13.チクタン村の話 その2。

今日朝も村中に鳴り響く結婚式の始まりの音楽で目を覚ます。昨日今日と長い宴は今日も続く。昔は結婚式を一週間続けたという話も聞く。昨今ではそうもいかず、三日または二日と短くなっている。朝のチャイは気持ちよく喉の乾きを潤し、朝の食事は程よく空腹を満たし、朝のチクタン村の風景は心を満たしてくれる。僕の部屋の窓からは、プラタンと呼ばれる台形の巨大で美しい山塊が見られる。プラタンは朝は陽が背から射すので腹は影になっているが、朝靄に出会った時の幽玄な美しさは、幻想の中の詩のようである。

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午前中にはたまっていた小さな仕事をいくつかこなし、午前の陽気の部屋で本を読んでいると、背中の窓がトントンと鳴る。カーテンを開けると窓枠に沢山の子供たちの顔がある。去年友達になった子供達が窓の外の集まって来ていたのだ。そして子供たちは口々に言う。 「チ・ベン・ヨット」 「ドクセ・ヨット」 「ゲーム、ゲーム」 「カラテ、カラテ」 「キックボクシング、キックボクシング」 「フォト、フォト」 チ・ベン・ヨットとは”何をしているの”の意味で、ドクセ・ヨットとはきっと”ただ座っているでけー”とか”見ているだけー”の意味だ。ゲームとはきっと僕が持っているモバイルの中のゲームの事を言っているのだ。カラテとキックボクシングは去年チクタン村に滞在していた時に、夕暮れ時から毎日子供たちにそれらを教えていたのである。そしてフォトとは毎日写真を撮っていたカメラの事を言っていると思う。子供たちは去年と変わらず元気で、きっと世界中の子供たちもそうであるように、貧しさをどこかに吹き飛ばすほど快活で、物質的な欲求は満たされていないが、それを差し引いてもあまりあるほどの善良さがあり、どこかの大人たちは見習うべきだなと少し思う。草原を駈ける裸足の子供たち、手にはポプラの枝を持ち羊を追いかける子供たち、大きな鶏に追い回される子供たち、水路で水と戯れる子供たち、純粋培養されたここの子供たちが、出会う始めての外国人が僕だったのだ。それは半ば悪い影響も与えているし、半ば良い影響も与えていると思う。その答えが分かるのは数年先かもしれないし、数十年先かもしれない。

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子供たちと少し遊んだ後、僕は結婚式に顔を出す。チクタン村の上手に広いスペースがあり、その周りを目出たい色彩の幕が敷かれていて、その幕で男性と女性の場所が分かれている。結婚式での食事は盛大に振る舞われ、大鍋にライス、大鍋にカレー、大鍋に羊煮、大鍋にバター茶、大鍋にブラックティなどが、盛りだくさん入っており、この骨太の料理はもちろん男の仕事だ。ライスとカレーも特大の皿の上にたっぷりと盛られ、一つの皿を2、3人で囲んで食するのだ。そして新郎新婦の物語をを肴に、チクタン村の人々と近隣の村からやってきた人々でわいわいやりながらキャルキャルチョチョゾス(腹一杯)になるまで食べ続ける。最後に指に付いた残りのご飯を一本一本奇麗に舐め上げ、まさに同じ釜の飯を平らげて、より一層強いコミュニティを作り上げていく。今日の宴はこの食事を最後にすべて終わりを告げたが、またどこかの近隣の村である予定の結婚式の話は毎日続くのである。 チクタン村をさやさやと流れるチュルングサ沿いを歩いていると右手の石積みの羊のケージの中より、ゆっくりとした単調なリズムを刻む音が聞こえてくる。石垣の間から覗き込むと一人の老人がにっこりと微笑み、手招きをする。僕は日本人がよくする癖の軽くお辞儀をする動作をし、石垣を乗り越えた。実際、宗教的な習慣の話によると、人同士のお辞儀というものはイスラム教には存在という事だ。頭を下げる相手はアラーだけなので、ここでお辞儀をする必要はないのだが、でもここの人たちはよく日本人のまねの両手を合わせてお辞儀をするポーズを僕に見せてくれる。僕は老人のそばにより、老人がしている事を観察する。老人はブランケットを織っていた。その機械たるものはとてもシンプルで、機械と言うよりも原始以来から使われているの木の欠片だとか石とかを適当に拾って来て、それらで最小限の機能を考え生み出している道具なのだ。そんなシンプルな道具を駆使して老人の無骨な手は、羊の紡がれた紐から一反のブランケットを生み出していく。木の一片を張った紐の間を交互に渡し、それを奥から手前へ引いてくると、ブランケットが数ミリ編み込まれる。そして新たに紐を外から送り込みながら、同じ動作を何回も何回も気が遠くなるほど行う。気がつけば長さが5メートル程のブランケットが出来上がっており、よくもこんなにシンプルな道具でここまで華麗でいて強い編み込みが出来るものだと感心する。老人はしばらくして手を休めると頭にちょこんと乗せたイスラム帽の右側から葉たばこと、左側からマッチ箱を取り出し、マッチをこするがなかなか火がつかない。それはマッチが悪いのか、摩り箱側が悪いのか検討が付かずに全てのマッチをダメにするが、新たなマッチ箱を再び魔法の帽子から取り出すと、今度は見事に一回で点けてみせた。右手の中指と薬指の第2関節と第3関節の間にタバコを挟むと、こぶしを軽く握りしめ、親指と人差し指で軽く円をこしらえて、そこに口を当て、ゆっくり吸い始めた。老人は口からこぶしを離すとゆっくり煙を吐き出す。煙は青空に消え、老人は腰を上げると辻に消え、ブランケットだけが午後の陽光を浴びつつそこに残った。

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黄昏時、水路の淵にたたずみジャファル・アリが遠くをみつめつつ、ある方向を指差す。 「ほれ、みてごらん」 僕は指差した方向を見つめるも、視界には何も入ってこず何を見ているのか皆目見当がつかない。 「わかりません、何を見つけたのです」 そう言うと彼は僕を引き寄せ、手を肩に静かに置き 「あれじゃよ」 と言う。僕の目は彼の指差す正確な方向を捉えつつ、目を細める。するとチクタン村の裏山の頂き付近に何か白い動くものを捉えた。そして僕は声にならない声をたてる。 「!」 「アイベックスじゃよ」 彼がそう言うと、その白いものは4匹が5匹、5匹が6匹、6匹が7匹と集団を作りながらゆっくりと山の右の端から左の端へ移動しているのが見えた。 「山の麓まで行ってみるか」 ジャファル・アリがそう言いカンジ・ナラに架かる橋を渡ると、すぐそばの山の麓まで行き、僕は見上げる。そして静かに息を飲んだ。山の頂上付近を移動していたアイベックスの群れは2列から3列になり山を駆け下りてくる。群れは砂煙の中、山の中腹まで降りてくると今度は踵を返し、山の腹を駆け上る。きっと僕らに気がついたのだ。僕は静かに楽しみつつこうして彼らの様子を伺っているが、彼らにとっては命がけなのだろう。山の端をゆっくり移動しながらこちらを伺っているのが分かる。時間はゆっくりと動き、狩られるものと狩るものの世界に僕は今いる。僕は彼らを見失わない。彼らも僕を見失わない。そんな状態が30分ほど続き、山の端の向こう側に彼らは消えていった。

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黄昏は深まり、影の色は濃くも、プラタン(台地)はサフラン色に輝き、野に放たれていた羊は山から下りて来て、カシャン・ブルーは子の待つ巣に帰り、そしてアイベックスもチクタン村の裏山にある巣に戻っていった。世界のいたるところで、一日の終わりに多くの人たちが都会の摩天楼の間を足早に帰途につく時間帯に、世界のいたるところで、一日の終わりに自然界の動物たちの営みがこうして静かに行われているのだ。それは決して世界が分かれているのではなく、どこからでもどんな時でも、彼らを感じる事ができるのは、きっとどこかで世界はつながっているからだと思う。

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