Sunday 8 July 2012

18.チクタン村の話 その7。

黄昏に夜が忍び寄ってくる頃、毎夜チクタン村にエンジンの音がこだまする。 ・・・ドルゥン・ドルゥン・ドル・ド・ド・ド・ド すると柔らかな闇と星に包まれていたチクタン村にポツポツと光が灯る。夜8時、チクタン村の小さな小さなディーゼル発電所から家々に電気が運ばれてくる。発電所の近い家から順番に火が灯るのでクリスマスのイルミネーションのように光は動きそして走る。午後8時から午後11時までの3時間電気が供給される。たまに燃料が尽きて火が灯らない日もあるが、それも愛嬌だ。各々の家はこの三時間を使い、メディテーションや夕ご飯そして子供たちは勉強の時間に充てる。そして僕は夜11時が近づくと家の屋根に登る。小脇に寝袋を抱え、少しだけ傾いた古い木製の階段を軋ませながら登る。階段の出口は天に向かって開いており、その四角に切り取られたキャンバスには色とりどりの星たちが瞬いている。ついに屋根に登るとキャンバスは空一杯に広がり、天空は輝きを増し、ヒマラヤの右手の嶺から左手の嶺へ宝石を散りばめたような天の川がしんしんと流れている。屋根にブランケットを敷き、その上に寝袋をのせ、寝袋の中にももう一枚ブランケットを仕込む。さっそく寝袋に潜り込むと、屋根のいたるところから家族のヒソヒソとささやく声が聞こえる。チクタン村はモンスーンの合間の束の間の星空なので、今日は屋根で眠る人たちも多い。そして午後11時の音が消える。 ド・ド・ド・ド・ト・ト・ト・・・! チクタン村のほの暗い灯りが消えていく。ヒマラヤの静かな夜の中、消えた灯りの代わりにいっそう輝きを増す星たち。各家の屋根からは再び子供たちのささやく声が聞こえる。動物たちも眠りについたみたいだが、時折遠くの方からドンキーのいななきが明るい闇にこだまする。僕は寝袋を頭まですっぽり被り、目だけを輝かせながら、この時間を逃すまいと星空を観覧する。ヒマラヤの夜の空気は冷たく、吐く息は白く漂うが、寝袋の中はほんわかと暖かい。子供の時分は星座の名前をたくさん覚えていたのだが、今目の前に広がる星をみて、かなりの星座の名前を忘れてしまっている事の愕然とする。子供の時は覚えていたのだけれど、大人になり擦れっ枯らしになってしまい、忘れてしまった事が他にもないかと指を折って数えてみる。するとその刹那、天に舞った打ち上げ花火の消えた跡の残り火のような光が、サァーと四方に散らばり落ちていった。 ・・・流れ星・・・!! 目の端の方で瞬いては落ちていき、それは一人だったり、双子だったり、三つ子だったりする。それを目で追おうとすると、また目の端で瞬く。あっと思い、また目で追ってみる。各屋根からは小さな拍手が起こる。そんな時間が数分続くと流れ星も落ち着きを見せ始めた。しかし星たちの輝きは落ち着かず、この世に存在するあらゆる色彩を使って瞬いている。瞬きにもリズムがあり、一瞬大きく瞬いたかと思うと静かに沈黙に入る星、小さな瞬きを絶え間なく繰り返している星、大きな瞬きを絶え間なく繰り返している星、瞬かず強い光を発し続けている星、大きな瞬きと小さな瞬きを繰り返している星、宇宙は絶え間なく生きていて、今の一瞬を過去の一瞬とシンクロさせているこの瞬間の不思議さゆえのある種の感動が心の中に芽生えているのを感じる。またそんな刹那、目の端で光が瞬き広がり落ちていく。そんな流れ星のサーカスの公演は予告無しに始まり予告無しに終わる。北斗七星が傾いていき北の淵に沈んでいく頃、僕は深い眠りについた。 眠っている間も星の公演は続いている。そして夜がいっそう深まり、朝を待つ時間帯にポツポツと各々の家にロウソクが灯り始める。朝4時から5時の間に朝のメディテーションの時間が始まるのだ。しんしんとした静けさの中、眠い目をこすりながら村人は神に祈りを捧げている。 東雲の空が夜を静かに掃除し始めた頃、僕は静かに目を覚ました。山の端が白くなり始め、一番鶏が鳴くが、まだ日は昇っておらず、チクタン村は山の陰にあった。夜の生き物たちは眠りに付き始め、昼の生き物たちが目を覚まし始める時間だ。僕は寝袋から半身を起こし、両手に息をハァーと吹きかける。一日の始まりにある朝の冷たさは世界を引き締める。プリムスのガスバーナーに火を起こすと、その上にポットを置く。シューと鳴くバーナーの音は冷たい朝に溶け込む。静かな数分が過ぎ、ポットの中に紅茶の葉を落とす。葉は花開くように広がり、香りが立ってくると、茶こしを通してカップに紅茶を注ぐ。砂糖を少々落とし、一口味わうと、目の前のプラタンの台地の淵、横一直線に音無き閃光が走る。風がさっと吹き上がるとプラタンの端より朝の帝王が顔を覗き始め、そして万物の長い長い影が生まれる。そして太陽は朝を徐々に焼き始めるのだ。 人生における強烈な印象を残す瞬間というものがある。今のこの瞬間も、自身の中に大きく影響を及ぼし、何かが作られようとしているのが感じられる。身はうち震え、気持ちは高ぶり、精緻なこの刹那に五感が研ぎ澄まされ、昨日の自分の核の中に新しい核が生まれつつあるのが分かる。絶え間ない自己に内在するものとの葛藤は、この習慣に見事に融解する。まるでこの瞬間のためだけに自分が生まれて来たような感覚を感じる事ができる。自分の内に眠っていた野生なる部分は、静かに目覚めていく。自身を大自然に投げ出すと共に、それに同化されつつあるのが分かるのだ。 太陽と共にチクタン村の一日は始まる。 ツェボと言う名の手編みの籠を背中に背負って、あぜ道を畑仕事に向う女性たちの姿が見える。子供たちは家と井戸の間を行ったり来たりして水汲みに精を出している。朝靄の中、各々の家のタップの煙突からはあさげの支度の煙が低く長くチクタン村の谷にたなびいている。羊たちは各家の納屋から駆り出され、村の一カ所に集められ、羊飼いと共に今日も山に向う。こうして遥かなる昔より続いていた生活が、今日も当たり前のように始まった。

ladakh

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