Monday 2 July 2012

12.チクタン村の話 その1。

朝6時頃、寝室で静かな音がしたのでゆっくりと目を覚ますと、枕元にはんなりと湯気が上がっている一杯のチャイとブレッドが置いてあるのを発見する。チクタン村の朝はカルギルと比べるとずいぶん寒い。目覚ましの暖かいチャイはありがたいと思うが、きっと僕は二度寝に入るだろう。そして二度目に目を覚ましたときは朝の7時半になっていた。朝から村内でなにやらにぎやかな音楽が流れている。今日はチクタン村の住人の結婚式らしい。6月、7月はチクタン・エリア内では結婚式が連日のように行われていて、チクタン村の一番忙しい時期の一つでもある。

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木枠窓から差し込む朝の柔らかい光の中に無数のほこりがきらきらと輝いている。朝はキッチン・ルームに移動してみんなで食事をする。キッチンの真ん中にはタップと言われる古い金属製の箱が置いてあり、その箱からは天井の穴に向って煙突がのびている。その箱の腹に木を焼べて、頭にパンなどを乗せて調理するのだ。このタップを囲んで、一番奥にジャファル・アリが座る。ジャファル・アリはこの家のご主人で、イスラム帽を頭にちょこんと乗せ、無精髭は真っ白で、いつも涼しい顔をして、顔をくしゃくしゃにして静かに笑い、周りに気を使う。その横には僕が座る。そして僕の横にはジャファル・アリの息子のユスフ・アフマッド。ユスフは普段はスリナガルに滞在していて、様々な資格や就職の試験を受けている。今回はユスフがチクタン入りする事もあり、僕もカルギルで落ち合い、同行することとなった。頭の回転は速く、読書を良くし、英語をネイティブのごとく話す青年だ。知的すぎる事から自尊心が強く、少し神経質なところもある。今回はユスフのベスト・フレンドが結婚することになり、この機会を利用して戻って来たのだ。その横にはマクスマ・バヌーが座る。ジャファル・アリの一番小さな娘だ。マクスマは年の頃は10歳くらいの快活な娘で、良く話し、良く笑い、去年までは良く泣いていた。勉強も得意として教科書はすべて英語で書かれているが、マクスマはなんなくそれらを読み解く。その横にはマフマッド・メディが座る。メディはジャファル・アリの下から二番目の子で、年の頃は14、5歳。勉強をよくするが、スポーツはあまり得意とせず、去年は体を動かす事での怪我が多かった。頭の回転は速く、要領は良いが、ずる賢い事は得意とせず、素直すぎるのだ。その横にはアミナ・バヌーが座る。アミナはジャファル・アリの下から三番目の子で、年の頃は17、8歳。家の仕事は良くし、子供たちの世話も良くし、いつも優雅な物腰で、優しい柔らかな声で話すが、繊細で口数は少なく、仕事が無い時は窓辺で静かに佇んでいる姿がよく見られる。その横にはクルスン・ビーが座る。クルスンはジャファル・アリの上から四番目の子供で、家の仕事を一番良くする。クルスン自身も一歳の玉のような可愛い子供を持っており、子育てをしながら家の仕事に精を出す。田畑で仕事をしたり、食事の準備をしたり、子供の世話をしたり、縫い物をしたり、掃除をしたりと毎日大忙しだ。そしてその横にはファティマ・バヌーが座る。ファティマ・バヌーはジャファル・アリの奥さんで、もちろん家の仕事を良くする。 毎日賑やかな食卓で、朝はタギ・カンビルと呼ばれるローカル・パンを主に食する。小麦粉をこねて、ホットケーキ状にして、タップの上で焼くのだ。家族が多いので朝からタップはフル稼働だ。朝のタギが焼ける香りは、布団の中まで漂ってくる。すると無意識下で、朝が来た事を知覚するのだ。からっと焼き上がったタキの横には、牛の乳から作られたばかりのジョと呼ばれるヨーグルトが銀のプレートの上に乗っている。このジョは僕が大好きなローカル・フードの一つで、もちろん無添加、無着色。日本では無添加、無着色という名の添加物が良く出回っているが、これは大自然に誓っても真実の無添加だ。プレートを揺らすとその上でプルプルと震え、スプーンで割ると中からたっぷりのおつゆが出てくる。タギをちぎりちぎりしながら、それをスプーン型にしてジョをさくっとすくい、口に持っていく。一口かじるとジョのプルプルの食感と微かな甘みとジュシーなおつゆが、温かなかりかりのタキと絶妙な協奏曲を口の中で奏で、体が大地の恵みに喜んでいるのが分かるのだ。チャイで喉を湿らせ湿らせしながら、何度も何度もジョとタギを頂く。朝食を奇麗に平らげると朝の光の中、僕は静かに立ち上がった。

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チクタン村の中心にはチュルングサという名の小川が静かに流れている。チュルングサは朝の木漏れ日の中、光と影の縞模様を作りさらさらと流れている。何種類もの鳥たちの鳴き声がする。めじろやすずめや野ガラスはもちろんの事、ラダックでしか見られない青と黒と白の模様が美しいカシャン・ブルーはひと際目立っている。舞い上がったカシャン・ブルーは大きく羽根を広げ、羽ばたきながらスピードを落とし、羊小屋の屋根に軟着陸する。 「チュ・チュ・チュン」 「ピロロロロー」 チュルングサの脇の材木の上で座っていると、結婚式の音楽が次第に大きくなり、目の前をゆっくりと車列が通り過ぎる。車たちは結婚式にふさわしくきらきらと着飾っていて、その中の一台に新婦の姿が見受けられた。最後の車が走り去り、車列はパルギヴ村へと向った。 ジャファル・アリと共に青く輝く麦畑を歩く。七月にもなると麦の穂は大きく膨らみ、優しい風が穂を撫でると、さやさやと頭を動かして一斉に穂は揺れる。麦畑はあぜ道で区切られており、あぜ道は小高い土で盛られ、それが長く続き、その横に水路が気持ち良さげに寄り添っている。日本と違い蛙もオタマジャクシもいないが、麦畑の中やあぜ道には時折、沢山の花々が密集して咲いているのが分かる。花に覆われている畑もあり、一面に黄や青や赤に咲き乱れている様をみると、その美しさに思わず歩を止めてしばし見入ってしまう。そしてその一面の花の背にはヒマラヤの山々が威張りもせずかと言って、引っ込みもせず、ただそこに優しく涼しくあるがままに立っているのである。僕らはあぜ道を行く。右にも左にも後ろにも前にも広大な畑が広がっていて、僕らは畑の海を航海しているのである。畑の海の緑とヒマラヤの茶と空の青が目に眩み、いつしか難破しそうになる。

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畑の海原をしばらく歩くと左手に見えてくるのは、石を積み上げて出来ている小さな小屋だ。この小屋の中をのぞいてみると、奥の石の隙間から柔らかい光が差し込んでおり、その光の中に石臼が置いてあって、その石臼の上に蔦で出来ている籠がかけてある。この石臼の地下には水路が流れていて水の勢いを利用して、石臼が回るのだ。でも今は動かないこの石臼はランタックと呼ばれていて、昔の人たちの知恵の結晶だったのだ。昔は繁忙期には、この小さな小屋に泊まり込んで、この小屋の中で自炊しながら、石臼を幾晩も動かしていたのである。

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ランタック小屋を出て、またしばらく歩いてみるとする。緑の海原を難破しないように注意深く進む。広大な農地の奥は徐々に狭まって来て、右手のヒマラヤの山が目の前まで迫ってくる。そして左手を見てみると、カンジ・ナラの川が竜のようにのたうち回りながらこのチクタンの谷を縦断している。そしてこの川の淵より遠方を眺めみると、彼方の山の上にチクタン城を眺め見る事が出来る。城は茶色の山の頂きで百合が静かに開花するかのごとく天に開いている。牙城は崩れ落ち、昔の栄華は感じられず、ただその美しいたたずまいの影だけが時代を貫き感じられる。その影はきっと話す。過去の小さな王国の物語を現在から未来へと、誰かが語り続けてくれるようにと。

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