Friday 6 July 2012

16.チクタン村の話 その5。

どこからかフォーク・ソングの調べが、のどかな朝に聞こえてくる。チュルングサ(チクタン村の中を流れる小川)方面がなにやら賑やかだ。僕はさっそく左に動物たちの小屋そして右に野菜畑を見ながらその小径をチュルングサに急ぐ。石垣の上や積まれた大木の上やチュルングサのを囲む少し広くなっている土地の淵には人だかりが出来ており、その中心には荷台にハイキング・グッズを詰め込んで来たトラックとその荷台から吐き出された大勢の子供たちが円を作りラダッキ・ダンスを踊っていた。周りの人たちに話を聞くと、スクルブチャン村のミドル・スクールの子供たちが先生を伴ってチクタン村にハイキングに来ているという事だ。 スクルブチャン村はチクタン村をカンジ・ナラに沿って下っていき、サンジャク村に出たら橋を渡り、インダス川沿いに遡っていくと見つかるブッディストの村だ。スクルブチャン村は切り立った崖を囲むようにして広がっており、その崖の頂きから中腹までふじつぼのようにゴンパがへばりついている。その光景は素晴らしく、僕はなぜここを通過して観光客はダー・ハヌーに行ってしまうのだろうといつも不思議な気持ちでいる。観光客がほとんど訪れないので、無垢なブッディストの文化が残っているのだ。もしみなさんが来られるのなら、こことセットにこの近くのタクマチク村やその他の村々も見てほしいと思う。タクマチク村は素朴だが、ゴンパからの眺めは最高だ。もちろんここまできたら、アチナタン村から深山に入っていき、ダルゴ村そしてコクショー村にも足を伸ばしてもらいたいものだと思う。コクショー村は山深いところに、何かから逃げて来たかのように存在するアーリアンたちが築き上げたブッディストの村だ。観光客などいないので、ラダックの純粋な仏教の遥か過去より冷凍保存されてきたものが目の前で解凍された状態で差し出される。このコクショー村を通り越して山を反対側に下っていくと、とうとうチクタン村が見えてくるのだ。 チクタン村の人々は、子供から大人までこのスクルブチャン村からやって来た予期せぬかわいい子供たちの踊りに目を奪われている。先生たちが料理を作っている間、子供たちはずっと踊り続けるのだ。円になったり、線になったり、バラバラになったり、音楽に乗って、くるくる回り、からからと笑う。チクタン村の人々の手拍子も熱を帯びてくる。その熱気の中、人々の重みに絶えられなくなったのか小さな石垣の一部が倒壊する。辛うじてその小さな災害から逃げ延びて来た子供たちから笑いが起こる。そして踊りはまだまだ続く。スクルブチャン村の子供たちが今度は一緒に踊ってくれる獲物を探してさまよい出す。そしてチクタン村の女たちは楽しげな悲鳴を上げ逃げ回る。スクルブチャン村の子供たちにチクタン村の女たちは手を掴まれると、踊りの輪に入る振りをして、一瞬安心して子供たちの手が緩んだところを振りほどいて逃げるのだ。結局最後に捕まったのは僕なのだが、僕は子供たちとともに踊りの輪に入り、踊り出す。そのラダッキ・ダンスはとてもシンプルのように見えて、見よう見まねで付いていくが、なかなか核をなす部分の動きがうまく出来ず、それでも四苦八苦しながら踊る。そんな僕の姿を見てスクルブチャン村の子供たちもチクタン村の人々も腹をかかえて楽しげに笑う。そしてついには僕も笑うのだ。

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午後からは少し雲が出て来たが、プラタンに登ることにした。プラタンとは今僕が滞在させて頂いている家の玄関を出ると正面にそびえている巨大な台形の山だ。チクタン城の近くから正規の車の道は続いているのだが、僕はチクタン村のイマンバラ(セレモニー・ホール)の背のちょっとした断崖から登る事にした。山肌はもろくて弱く、しっかりと足の裏で山を掴むようにして、谷側に重心をかけないように山側に重心をかけながら登って行く。中腹で振り返ると、チクタンの村の家々の頭はすべて見下ろせ、周りに山が迫って来ているのが見てとれた。断崖を横に横に移動しつつ回り込みながら頂上を目指す。最後の山肌に足をかけ体を頂上に乗せる。そこから見渡す限りは頂きは広い広い茶色の平野だ。その縁は深く谷に落ち込む奈落になっている。僕はゆっくりとその岩の砂漠を縦断する。頂上は風強く、縁に移動するに従って力を増していく。崖の縁に到着するなり、怖々とその奈落を覗き込む。吹き上げの風はとても強く、もし同じ風が後ろからきたら谷に吸い込まれてしまうだろう。その風の間より谷を覗く。谷には緑の宝石がひきつめられており、それらは風を気持ち良さげに受けている。谷はなめし革色をしたヒマラヤの山々に取り囲まれていて、その山々の中には先日、アイベックスの家族を抱いていたヒマラヤの山もすぐ目の前に見える。足下の断崖の切れ目にはたくさんの鳥たちが巣を構えており、そこから彼らは空中に体を投げ出すと、うまく気流に乗り、気持ち良さげに谷の空を滑空していた。僕はきっと飛べないので、飛び立つか立たないかの断崖の縁のところをゆっくりなぞるように歩きながらチクタン村の美しき緑の輝きを堪能すると、静かに違うルートを使ってプラタンから降り立ち、そして帰途についた。

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そして夜がきた。プラタンの頃の空は曇っていたが、風が雲を散らしてくれたのか、ぽっかりと空には穴があき、近日には見られなかったような美しい星がヒマラヤの夏の空を埋め尽くしていた。数十秒ごとに夜空を何かがキラキラしながら横切っていく。流れ星だ。空はこの世に存在するあらゆる色彩を使って輝いており、カンジ・ナラの空にも星たちの川がしんしんと流れていた。夜空を取り囲む山の陰は濃く、夜空の星もまた濃く、夜の時間も濃く、今宵の眠りも濃いようだ。深夜にあまりにも眩しいので目を覚ますと、窓の外で大きな大きな月が浮かんでいた。チクタン村の7月10日から7月15日までは、一年のうちで星と月とが一番美しく見られる暦だ。この季節になるとチクタン村の住人は家の屋根で寝る。満点の星空のもと、月明かりに照らされつつ、一晩中語りながら、屋根の上で過ごすのだ。この明るい闇に、人々の心は溶け込み、子供たちの思いは星の海を駆け巡り、夜深く煌めく星空に太陽のような月が昇ると、あたりは昼のようになり、時間を間違えた鶏は夜の第一声を上げ、誤って眠りについていた人々も、もぞもぞと起きだし、屋根に登ってはすべてのコスモスからチクタン村に集まって来たような星たちとぽっかり浮かぶオレンジのような月を見ながら、遥か彼方の山の中腹でアイベックスやスノー・レパードやヤクやナキウサギなどのさまざまな種類の動物たちも夜空を眺めているのを感じているのだ。

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