2012年7月1日日曜日

11.そしてチクタン村へ。

あるカルギルのよく鳥が鳴いて、よく空気が澄んで、よく晴れた日の朝、メモリーカードの中の数千枚の写真を消失してしまい、カルギル中の店をあたふたと駆け巡り、なんとか全ての写真のエスケープに成功した後、僕は再びチクタン村へ向かうこととなった。メインバザールのラルチョークをスル・リバーに向かい、プエン村に渡す橋の手前に位置しているタクシー乗り場から出発した。カルギル市街は日中交通規制が行われており、バルー方面からバザールへの道は通行可能で、バザールからバルー方面へは通行不可だ。バルー方面へ向う車は、ほんの少し遠回りをするスル・リバー沿いの道を迂回する事となる。スル・リバーは水量がとても豊富で、その強い水の勢いが時々川沿いの道を、ごっそりどこかへ持ち去ってしまう。そのすこし削り取られた道を左に見ながらバルー方面にタクシーは走っていく。そして3分程走り真っすぐ行くとバルー方面へ、スル・リバーにかかる橋を渡るとレー方面へと分かれる三叉路に出てくる。タクシーがその無骨な鉄橋を渡ると、面前に巨大な台地が立ちはだかる。その台地をつづら折りに山肌を縫うようにてっぺんに向う。スル・リバーを右手に見たり、左手に見たりしながらタクシーは走る。この台地の腹からスル・リバーの向こう側に広がるカルギルの街は大変美しい。水色のスル・リバーの向こうに緑光る場所が右から左へと広がり、その中に土と石で作られている家々が点在して、それの濃い部分が街を作っている。そしてその街はヒマラヤの山の中腹にあり、この山の後ろにも流れるように山ひだが続いている。ヒマラヤの山々と空の境ははっきりしているようだが、ヒマラヤ自身は天空の中にあるので、ヒマラヤも含めての空なのである。

ladakh


ladakh

タクシーは巨大な台地のてっぺんに出る。なだらかな丘陵地帯が一面に広がり、それをヒマラヤの山々が囲んでいる。この台地の丘陵地帯の中に一筋の線が手前より彼方に消え、その線の上をタクシーは走る。その一筋の道を走り、台地の端に出て、つづら折りにその腹を下っていくと、目の前に谷が開けてくる。その谷にはワカ村より続くワカ・リバーが流れており、谷もまたヒマラヤの山々に囲まれていて、谷底の川の周りには緑が茂っている。緑の中に茶色の村並みが点在しているのが見えてくると、その村はパスキュン村だ。パスキュン村は緩やかな流れのワカ・リバー沿いに長く続いていて、走る道も川の真横に沿っている。川沿いの木々の間からすぐに、川が透けて見え、川の流れる音は耳元まで届き、村の営みの音も僕をかすめる。

ladakh

ladakh

谷が徐々に狭くなっていくと川の流れは速くなり、道は川の横を通っていられなくなり始め、だんだんと山肌にそって高度を上げていく。山の腹を走る道から谷を覗くと、底は深くて険しい。しかし去年と違う点がひとつ見つかる。それは去年よりも道幅が広くなっている事だ。どこの道を走っても車のすれ違いが可能になっている。去年はすれ違いができない道にでると、この渓谷の道をどちらかの車が命がけで幅広の場所まで戻らなければならなかったのだ。そして極稀にバランスを崩して谷底に落ちる車が出てくる。そんな場所を今回は快適に車を回している。しばらく進むと川を谷底に望む場所の山の中腹が開けて来て、そこもまた緑が深く、その中に村が現れてくる。ロッツン村だ。この村の中には分岐があり、このまま真っすぐ進むとカングラル村を抜けレーに至る。このカングラル村での分岐よりチクタン村に向うのだ。そしてこのロッツン村の分岐をもし山深く入っていったなら、天空を走るとても素敵な道を抜け、チクタン・エリアのシャカール村とヨクマカルブー村に出る事になる。車は分岐せずに真っすぐ進む。

ladakh
いつのまにかの深く鋭い谷は、幅が広くなっていき、川の周りにも濃く長い緑が見えてくるとそこはシェルゴル村だ。シェルゴル村はブッディストが多く住む村であり、直角に谷まで切り落とされた山肌が長く続き、その一カ所にゴンパが埋め込まれているのが見えるその光景はまた、素晴らしいものである。シェルゴル村の中にはヌン・クン・キャンプがあるが、ここからのヌン・クン岳はかなり遠く、ロング・トレッキング・コースとなる。シェルゴルの谷をザンスカール方面へ深く入っていくのだ。スル谷からのトレッキング・コースよりも野趣あふれるコースで人気は高い。 しばらく車を走らせ、左側の小高い山の山頂にゴンパが見えてくると、そこはムルベク村だ。ムルベク村も緑深い広い谷にあり、次に見てくるのは、右手の岩肌に彫られたムルベク・チャンバ像が見えてくる。次には左手にムルベクの伝統的様式の古い建物と色鮮やかな連装チョルテンが見えて来る。ムルベク村を過ぎると道はほんの少し高度を上げていき、左手の奥に銀色の帽子のマスジドが見えてくるとそこはワカ村だ。ワカ村の通りには数多くの茶屋が並んでいて、多くの人々はここで休憩を取る。もしあなたがワカ村の奥に入っていったなら、車を走らせ5分程でその谷にブッディストの集落を見る事になるだろう。そしてその集落の山肌には今にも落ちそうなゴンパが直角に切り立ったところに埋め込まれ顔を覗かせているのを発見し、運が良ければ僧に手招きされ、そのゴンパに立ち入る事ができるかもしれない。

ladakh

ladakh

ladakh

ladakh

茶屋での休憩を終えて再び車を走らせる。時につづら折りに、時に谷に沿って、徐々に高度を上げて行く。ヒマラヤの山肌は深くて長い。いくつもの山々を駆け抜けると、目の前にひときわ大きく特異な形をした山が現れる。その姿はまるでヒマラヤの頂きに突き刺さった十戒の石版のようだ。この山がナミカ・ラと呼ばれる標高3720メートルの天空を支える柱の意味を持つ峠で、ムスリムにとってもブッディストにとっても聖地となっている。頂上を過ぎると車は徐々に高度を下げていく。高度を下げつつある行く手にもいくつものちいさな村が点在しており、それは現れては消える緑の固まりで分かる。

ladakh

ladakh

広い谷に広がっているカングラル村の分岐を左に行くと、チクタン・エリアに入っていく。小さな橋を渡り、左手にカンジ・ナラと呼ばれる川を望みながら、狭くとも濃く深い緑の中を車は走っていく。このヒマラヤの谷に囲まれたチクタン・エリアは思いのほか懐が深く、様々な表情を持っている。三年前までは観光客が立ち入る事ができなかったこのエリアの、文化や自然の純潔さは極めて深淵で、特に宗教的な信仰心はとても厚い。いつ来ても同じ顔で同じ時間の流れで同じ風景で迎えてくれるこのチクタン・エリアには近年、西洋からの観光客がわずかながら増えており、コロンブスの子孫の探究心を刺激する場所でもあるのだ。目の前にチクタン城が見えてくると、すぐにチクタン村だ。電気は村ごとの発電で、日に三時間程、食料はほとんど自給自足の昔ながらの生活。村のコミュニティの繋がりはとても強く、毎週ごとになんらかの催しが開催されている。それがとても小さな催しでも、絆は催しがあるごとに深くなるのが分かる。川のせせらぎ、牛の鳴き声、鶏の鳴き声、羊の鳴き声、子供たちの遊ぶ声が時折聞こえるが、それも村の静けさを美しく飾っている。そして今年もまた、いろんな物語が紡ぎこまれていくこのチクタン村で、今日もまた僕は何かを発信していきたいと思う。そしてみなさんに何かを感じて頂きたいと思う。世界の片隅から世界がより良い方向へ変わっていくのを、唯一の生き甲斐としていきたいと思う。

ladakh

ladakh

0 コメント:

コメントを投稿

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...