Monday 9 July 2012

19.チクタン村の話 その8。

今日はチクタン村に嬉しいお客さんが来る。日本人の方がこの谷に入ってくるのだ。到着日程だけしか聞いていなかったので、到着時間は分からず、朝よりチクタン村の橋のふもとでバスかタクシーが到着するのをのんびりと待つ事にした。近くのカンジ・ナラの川の流れは勢いを増して激しい音をたてている。ヒマラヤの夏の日差しは眩しく日陰で待つ事のする。学校の昼休みに子供たちがおのおの家に戻ってくる。そしてその途中で子供たちが声をかけてくる。 「何してるの?」 「今日、日本人観光客がチクタン村に入ってくるんだ」 すると子供たちはとたんに目を輝かせ始める。 昼過ぎさらに太陽は眩しさを増す。鳥たちもこの暑さで木陰で羽根を休めている。彼方にチクタン城が見えるが陽炎のように揺らいでいる。しばらくするとまた子供たちは学校に戻っていく。

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日は徐々に西に傾くと鳥たちはまた活発に活動をし始める。カシャンブルーは白と紺と青い色の体に陽の光を浴びて舞い上がる。そして学校が終わった子供たちは岐路を急ぐ。落陽の日差しで影は長く伸び、時計は6時を回った。 「今日は来ないかもしれない」 僕はそう思ってあきらめると部屋に戻る。夕刻も深い時間帯に何気なく本を繰っていると、部屋の外より車が止まる音がした。 「ホンジョ!」 ファティマ・バヌーが僕を呼ぶ。そしてチュルングサのストリームに急ぐと、そこには一台の四輪駆動車が止まっていて、その助手席に日本人の方が乗っていた。 「Nと申します。よろしくお願いします」 N氏より丁寧な挨拶を貰う。 「本城と申します。こちらこそよろしくお願いします」 とりあえずはお互い簡単な挨拶だけすませて、荷物を部屋に運び込む。荷物を運び終えると、N氏より、チクタン村に入る前に登頂してきたというストク・カングリの話を聞く。

ストクではご主人がラダッキでその奥さんが日本人のゲストハウスに滞在していた事。高度順応には入念な時間をかけた事。ベースキャンプには世界中からたくさんの登山家が集まっていた事。登頂を午前中に計画していたため、ベースキャンプは深夜の出発になった事。途中、氷と雪の絶壁が数百メートルに渡って続いていた事。ストク・カングリからの日の出の美しさの話など興味が尽きない話ばかりだった。その夜N氏と僕は屋根の上で眠る事とした。言うまでもなくラダックの美しい星を見ながら眠るという贅沢をするためだ。相変わらずミルキー・ウェイは鮮やかで美しく、しんしんと輝く星に囲まれた僕たちは、ぽつぽつととりとめもない話をしながら眠った。 そして朝が来た。僕が目を覚ます頃にはN氏はすでに起きていた。朝食をタギカンビルとヨーグルトで手早く済ませると、僕たちはチクタン城に出発した。チクタン城は僕たちの滞在しているズガン・チクタンの隣り村、カルドゥン・チクタンにあり車で五分ほどの場所だ。チクタン城のがれ山の斜面を注意深く歩き、途中の不安定な木製のはしごを上りつつ、山頂にある城に向う。ユスフがN氏にチクタン城の事を説明しながら、崩れた城の中を散策する。バルティスタンからやって来た城の名工、シンカン・チャンダンにチクタン王国のマリク王が他の場所に城を作らせないように片腕を切り落とそうとした話などを聞かせる。

そんな中、城の中は瓦礫に埋もれているが、そこから見るチクタン村の景色は美しく、この狭い渓谷の緑は目に沁みた。瓦礫の中には昔の王族たちが遊興に使っていた石で作られたゲーム盤などが転がっていて、当時の生活が思い偲ばれる。そして僕たちは注意深く城を降りていく。 次に僕たちは隣りのクッカルチェ村に向った。クッカルチェ村にはチクタン・エリア唯一のブッディストの家族が住んでいて、その中に小さなゴンパがあるのだ。このゴンパはクッカルチェ村のマスジドと道を挟んでまるで兄弟のように肩を並べている。小さなゴンパの門をくぐり抜け、階段を上がり中庭に抜ける。そこに座っていたブッディストのおばあさんにゴンパを案内してもらう。お堂の扉のの踏み石には縦横に碁盤の目のような線が刻まれていて、その石はチクタン城の中にあった石のゲーム盤とまったく同じ物であった。お堂をくぐると中は狭く千手観音像が正面に鎮座していた。壁にも仏画がたくさん書き込まれていて、その家の少年にどのくらい古いのかと訪ねると、すごく古いという答えが返ってくるのみであった。お茶を頂いて僕たちはゴンパを後にした。



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カルドゥン村に戻る途中に、古いチョルテンが建っており、そこから脇の道に入っていくと、そこはコクショー・ロードだ。コクショー村に続く道で、その分岐にはコクショー村まで18キロの看板が立っててある。そしてその看板の近くの雑貨屋の店先には、在りし日のチクタン城の白黒写真が飾られていた。1900年ごろ地区に入って来たフォトグラファーのA.Hフランキーが撮った写真だ。その城の堂々たる勇姿はしっかりと写真に刻まれていて、とても大きなお城だった事が分かる。一節に寄るとレー・パレスよりも大きかったという話を聞く。レー・パレスもチクタン 城もどちらも名工のシンカン・チャンダンの作品でどちらが素晴らしいとか比べるのは余り意味がないと思われるし、どちらも同じくらい素晴らしいのは確かだ。

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僕たちはその雑貨屋の前を通り越し、しばらく進むと人の気配がしなくなる無垢なヒマラヤの世界に包まれる。その中に一本だけの車道がそこまでも突き進んでいる。緑の気配を消え遥か彼方までなめし革色をしたヒマラヤの嶺が何層にも続いている。道はアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げていく。右側には川の跡があるがすでにひからびていて、そこは風が通り抜けるだけとなっている。太古の世界は徐々に深まり、生物の気配は消える。さっき程まで上空に飛んでいたカシャンブルーの姿も見えなくなり、まるで火星の表面に取り残されたような気持ちになる。 そして僕たちはさらに奥にあるコクショー村に向うのだ。

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