Sunday 24 June 2012

5.カルギル・フォレスト・パークともう一つのバルー地区。

カルギル・バザールを出てバルー方面に歩いている。左手にスル・リバーを望みつつ、歩く訳だが意外と徒歩が多いここの生活もいいもんだと思えてくる。そして定宿も変わって今はエバ・グリーンというとこで屋根を借りている。カルギル・バザールとバルー村の間にベマタン村と呼ばれる小さな村がある。緩やかな坂道を徐々にバルー村方面へ登って行き、歩く事20分程でベマタン村に到着する。この村の左手に見えるスル・リバーの方へ降りていく。しばらくなだらかな道を下っていくと、目の前にとても大きなポログランドが見えてくる。そのグランドの山側には何百人と観客が収容できそうな席が下から上まで設置してあり、日本でいうところの陸上競技場のよな楕円形になっている。だれもいないポログランドを歩いている。

ポログランドの端まで進み、そこから外にでると、次にはカルギル・フォレスト・パークの看板が見えてくる。この公園はカルギル唯一の公園で、街に住む人々の憩いの場となっている。入り口には重く錆び付いた回転扉があり、それを力一杯に体で回して中に入るのだ。中に入ると公園はスル・リバー沿いに奥の方まで長く横たわっており、公園の真ん中には真っすぐ遊歩道が走っていて、遊歩道の両側に木々や芝生が広がっているの。高台から望むとその全体像が分かるのだが、カルギルの街自体が広く緑の中にあるので、自身が緑の公園と言える。しかしそれとは別に公園と言うものは、たとえ街が緑に囲まれていようとも必要で、そこには自分だけの自然を求めて集まってくる人たち、サッカーやクリケットなどのスポーツを楽しみにくる子供たち、友達同士のおしゃべりを楽しみにくる学生たちでいつも賑やかだ。

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公園の突き当たりまで進むと噴水の吹き出すモニュメントがあり、そこから流れ出す泉は遊歩道の溝にそって流れていく。モニュメントの裏側には公園の出口が隠れるようにあったのでそこから外に出る。そこにはスル・リバー沿いに白い石浜が目の前に広がり、白いところの合間に時折深く濃い緑が点在する。川の対岸の山の腹には村の家々が緑の中に散らばり、その遥か彼方に頂きに雪の帽子を被ったヒマラヤの山々が霖としつつ、陽の光を体一杯に浴びている。ここまで来ると人の影は薄く、聞こえてくるのは川のせせらぎと風そよぐ音だけになる。しばらく川の石浜を進む。川の目線で移動すると自分のいる地点から扇を広げたようにジオラマが360度広がるので、ヒマラヤに飲み込まれたようなその点はとてもとても小さく無に等しく感じられる。自分が異物のように感じられる。

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しばらくその広い河原を進み、もうこれで十分だと感じられるまで歩くと、今度は右手の河原の土手を駆け上がる。その緑の森の中に隠れている土手を登り終えると、民家が点在する村にでる。バルー村だ。そこはバルー村でも古いアパートメントが集まっている地域で、周りの村々から仕事に来ている人や仕事を求めて来ている人たちが滞在している。アパートメントの前の土地にまるで昔の遺跡の発掘現場のような穴が空いていた。その穴は崩れないように周りを土レンガで固められていて、かなり深いところまで続いていそうだ。この穴の事を近くの住民に聞くと1999年のインド・パキスタン戦争の時にこのバルー村もまた激戦地になっていて、砲弾が降ってくるときは村人はこの穴にいち早く隠れたそうだ。そうこの穴は当時防空壕として使われていて、そのエリアにはこのような穴がたくさん空いており、わずか10数年前の出来事が、目の前に点在するこの穴たちを見る時、まだ今も戦争が続いているようなそんな錯覚を思い起こすのと同時に、それはその頃の苛烈な日常が垣間みれる瞬間でもあるのだ。

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ここのアパートメント群の地区を歩いていると中に古くてみすぼらしい長屋のアパートが孤独にぽつりとあるのが見える。その軒先にはたくさんの紅色の服が掛かっており、その前でたくさんの住人が井戸端会議をしていた。よく見ると女性たちは頭にスカーフをしておらず、その風貌からすぐにブッディストである事がわかる。その中の年老いた女性はラダック特有の伝統的な衣装に身をくるんでいて、アジア系の顔を持つ僕に親近感を抱いたのか和やかに話しかけて来た。

女性たちが言うには、遠くのシェルゴル村、ムルベク村、ボドカルブー村からここに働きに来ているそうだ。この長屋では多くのブッディストの家族が集団で生活をしているという話だ。僕はこのバルー・カルギル地区にこんなにも多くブッディストたちが住んでいるのに驚いた。カルギル・マーケットをよく伝統的な衣装に身を包んだブッディストをよく見かける。そしてチベタン・マーケットで働いている人たちもみんなブッディストだ。おそらくバルー村のここのアパート群から働きに出ている人たちもきっと数多くいるのだろう。ここのコミュニティは質素な生活でも、その笑顔には全くの悲壮感はなく、すごく生き生きとしていて元気なのには驚いた。だからきっと人間の根源的な人生における価値観というものは、決して物質的なものからではなく、コミュニティの充実が非常に大きな割合をしめるのだろうと感じる。そして心の拠り所である宗教感が充実していると、こんなにも心豊かに過ごせるのであろうかと思った。僕は彼女たちの写真をとり、またバルー村に来た時は立ち寄る約束をして、このブッディストのアパートを離れた。

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僕はバルー村の高いところにあるリンクロードを通ってカルギル・バザールに戻ろうと思った。この道からはカルギルの街と対岸が一望でき、黄昏時のカルギルはいい顔をしているとも思った。スル・リバーの脇にあるわずかな土地に発展してきたこの街は、ヒマラヤの片隅のほんの小さな街なのかもしれない。しかしこの街はインドの端のこんな深いところにありながら、非常に活気があるのだ。これは日本では考えられない現象で、小さな村がカルギルの周りに衛星のように点在していて、その村々には新しい命が毎日のように誕生している。僕は数多くのラダックの村々をまわって来たが、日本でいうところの限界集落というのは確認できず、村々のコミュニティーもいつも安定しているように見受けられた。物質的豊かさは全くないし、医療や福祉や政府機関の汚職など問題はきっと日本よりもたくさんあるのだろう。しかし幸せのレベルは日本よりも高いと感じられるのはなぜだろうか?日本に働きに来ているパキスタンからの友人が言った言葉をふと思い出した。
「日本は生活のほとんどを働く事が占めているね。日本人は本当の人生の使い方を知らない。そして僕はいつもパキスタンに帰りたいと思っている。なぜならばそこにあるものは虚構ではなくすべて本物だからだ。」

僕は緑の帽子を被った白亜のバルー・カンカを左の高台に望みつつ、その言葉の意味がほんの少しだけ分かったような気がした。

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