Thursday 21 June 2012

2.今年のカルギル。

スリナガルから深夜に到着して、飛び込みで泊まったホテルはマルジーナ・ホテルという名で、去年もよくチクタン村からカルギルに出て来た時に使っていたホテルだ。カルギルのメイン・バザールの中程から谷側に続く細い道を歩き、右手にネット・カフェを見ながら進んでいくとすぐに突き当たるので、そこから左側に顔をむけると三階建てのホテルが見える。石と木でセメントで作られたそのホテルはカルギルの安宿の中では清潔で、値段も高くもなく安くもなくといったところだが、僕は気に入っている。

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朝の7時に起床して洗顔をして歯を磨き、少しストレッチをしてから8時にホテルを出ると、青年オーナーと従業員の少年がホテルの掃除をしている。青年は英語でグッドモーニングと言い、少年はハニカミながらにっこりとした笑顔をこちらに向ける。それから細い道を抜けてメインバザールを左に折れ、朝の日差しが差し込む道を歩く。そしてT字路を左に折れ、谷側に下っていくと右手に懐かしの古めかしい茶屋がある。

そこの不自然に段差がある階段を上り中に入っていくと、去年のおじさんが顔をしわくちゃにしてにっこりと笑い迎えてくれた。古い軋む椅子に座り、ギルダ(カシミール・パン)を二枚にリプトン(ミルクティ)を一杯にスクランブルエッグを一つ頼むと、ほいきたと言ったか言わないかは分からないけれど、使い込まれて黒光りする小さなフライパンにさっと油を引き、その野太い骨太な指の間にある卵をそれに落として、手早くかき混ぜるのと同時に、小さな鍋に水を沸騰させると、そこに紅茶の葉を入れ、ミルクを足し、砂糖を一掃き落としたかと思いきや、今度はフライパンを握っている手首を軽く振り、スクランブルエッグを宙でひっくり返してフライパンに戻せば、脇のダンボールに入っているギルダを取り出し手早く両面を火で炙り、それを優しく皿に載せ、出来上がったスクランブルエッグもフライパンから皿にゆらりと滑り落とし、小さな鍋の中にある暖かくて甘い奴もコップにそそぐと、それらがすべて、少し傾いたテーブルの上に同時に出て来たのを見る時、僕は去年と同じだとふと思いほくそ笑む。

ギルダをちぎりちぎりしながら、スクランブルエッグを拭き取るようにして包み込み頂く。カリッとした歯触りのギルダに、ほのかな卵の原始の甘みが口の中に広がると少しほっとする。この素朴さと一片の濁りも無いあるがままの自然の味が妙に落ち着くのだ。ミルクティはお世辞にも決して美味いとは言えないが、発展せずとも停滞せず、停滞せずとも発展せずそのままの、まるで無垢を突き詰めたような味もまた心地よいのだ。

朝食からもどるとホテルで午前中は洗濯をしたり、本を読んだり、体を洗ったりして過ごす。午後になりまたメインバザールに出かけて、今度はチョウメンを試しに行く。メインバザールの中程にあるとても完成しているとは思えない鉄筋丸出しのビルの手すりが無い階段を注意深く三階まで登ると、そこにチベタン・レストランはあった。

マトンのチョウメンを頼むとそれは10分ほどして出て来た。窓際のカウンター席に座っているので、カルギルの山々の尾根が目の前に広がっているのを見ながら食べるチョウメンもこれまた素晴らしい。しかしチョウメンと日本の焼きそばは、見た目はまったく同じだが、これは全く違うものと思った方がいい。日本でいうところのあの味のソースは使われていない。けどそう思いながらいろんな場所でいろんなチョウメンを食べたけれど、中には稀になぜか日本のあの味の焼きそばに出会えたりする時もある。そんな時は少し目を細めたくなる。このレストランのチョウメンはちょっとしたビネガー風味で、トッピングに出されるトマトケチャップと青唐辛子のチリソースをたっぷりかけて混ぜながら食べるのは、不思議な感じがするがヒマラヤの山奥のこんなところで、焼きそばのようなものが食べれる事自体がもっともっと不思議に感じる事なのだ。

昼食を食べ終え、バザールを歩いているとカルギル・トゥデイ・ニュースのジャーナリストのホセインが友人と話しているのが見えた。ホセインも僕に気づき、一年ぶりの再会を喜んでから、近くの茶屋に入る。彼は長髪に無精髭が似合う男で、カルギル・トゥデイの社長でもあり、ハードワークな毎日を送っている。ホセインからカルギル・トゥデイのメンバーを紹介される。そこには他に三人のスタッフがいた。一人は18歳のまだ入社して二ヶ月の新人のイシャク・シャドー。もう一人はホセインの右腕のカランジート・シン。シンはカルギルでは珍しい、シーク教徒だ。頭にいつも白い布を巻いている。そして最後にレポーターのグラン・マフマッド・ダス。そしてカルギル・トゥデイ全体では25人の社員がいて。その中の7人は女性レポーターだ。カルギルでは一番大きな会社でその取材範囲はカルギル地域に留まらず、ラダック全域に渡る。

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話は弾み去年僕がチクタン村で撮ったビデオの事になる。
ホセインが言う
「そのビデオのソースを全部持って来て下さい。そして僕らでそれらを編集しよう。」
「本当に?」
「一ヶ月後に始まるラダック・フィルム・フェスティバルに間に合えばいいのだが・・。」
と言う事で編集が間に合えばの話だが、こうしてラダック・フィルム・フェスティバルに僕とホセインが作成するドキュメンタリー映画が上映される事になるかもしれないのだ。

次の日の朝、チクタン村からの友人のフセインがホテルに遊びに来てくれた。フセインは二ヶ月前に難関の試験に合格して先生になったばかりだ。カルギル・タウンの隣の村ビャマタンの学校に行っている。部屋で少し話をするとフセインはさっそく学校に向った。

しばらくして僕も朝食も食べに外に出たが、今日は平日だと言うのにメインバザールの店はすべて閉まっていた。行き交う人に聞くと今日はストライキで店はどこも休みだという事だ。そう思ってバザールの奥の方に目をやるとシュプレヒコールが沸き上がっている。隊を成して歩いている先頭の人たちが持つ垂れ幕には、
「BSNLは出て行け! AIRTEL AIRCELよ!カルギルに是非来てくれ!」
と書いてあるのでもう少し細かい事を周りの人に聞くと、どうやらBSNLとかAIRTELとかAIRCELは通信会社の事で、今カルギルでは政府機関のBSNL一社しかなく、それは独占状態でもあるにかかわらず通信状態が酷く、つながらない時間の方が長いのだ。しかもそれだけではなくこのBSNLは汚職でも有名な会社で、税金の殆どが不正に役員の懐に入っていくので、設備投資に資金が回らないのだ。またAIRTEL AIRCELはプライベート・カンパニーでBSNLとは比べ物にならないほど、さくさくつながるらしい。よってカルギルの人々は怒っているのだ。そしてぜひともAIRTEL AIRCELを呼び込みたいのだ。

そんなこともあり、僕は今日一日は静かに過ごそうと思った。

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