2012年6月28日木曜日

9.ホテル・エバーグリーン。

カルギルのメインバザールにあるオールド・タクシー・スタンドの右脇の道を進んでいくと、その右手には2件ほど茶屋が並んでいて、良く言えばオープン・テラス、見たままで言えば砕けたコンクリートがただ地面を隠しているだけの不安定な一段高くなっている場所で、日中から陽に灼けた男たちが、目をしばたかせつつ、バター茶を飲みながら管を巻いている。たまにその中には頭を布で巻いたイスラムの指導者や警官(交通ポリス)、やる事が無く長い一日をどうやってうっちゃろうか思惑している公務員、授業の空き時間に遊びに来た学校の先生などが毎日メンバーをシャフルしながらも集まってくる。

そこの前を通り過ぎ、右側の石造りの建物の暗い一角にある駄菓子屋も通り過ぎると突き当たりには立派な鉄製の門が見え、その向こう側には巨大で立派なホテルがあるが、その門の左横を見ると何やら匂いたってくるような細い道があり、ますます探索心が揺さぶられ、そこに入っていく人はきっと変わり者である。そして僕はその道を入っていく。数歩進むとすぐに歪んだ木枠に青色か群青色か見分けがつかぬ扉が付いているところがるので、それをくぐり抜けると、とある建物の敷地に入る。目の前には視界を遮るように巨木が立ちはだかっていて、朝方にはその周りを大勢の期間労働者たちが、陽に灼けて筋張った体を丸めてしゃがみ手洟を飛ばしつつ、端が欠けたプレートにご飯をのせ、その上に野菜のカレー煮の汁をかけて、はふはふといいながら黒く細い指を器用に使い頬張る。手でご飯を食べる方法は僕が知る限りでは二通りあるのだが、一つ目は親指以外の四本指でご飯をすくい、ご飯は指の腹に乗せ、口先にそれを持っていき、親指で指の腹に乗ったご飯を口の中に押し出して食べる方法、もう一つはご飯を鷲掴みにして、口を大きく開けて、シンプルにストレートにただ食欲と胃袋に任せるままに口の中に入れる。鷲掴みにしては口に入れ頬張り、頬張っては鷲掴みにする。僕はどちらの作法も好きで、良くやるのだが、両方とも最後は皿にへばりついたご飯や汁を指で奇麗に残さず拭き取り、次にその手の残りかすを舌を使い指一本一本を上品に舐め上げる。最後は野菜を買った時に巻いて来た新聞紙やら、ボロ布やらで指を拭いて終了だ。しかし場所が違えば作法も変わるようで、以前スリランカの宿坊で指を一本一本舐め上げていったら叱られた憶えがある。

そしていよいよその建物の全容が近くに見えてくる。石と土とセメントで出来たその建物はホテル・エバーグリーンと言う名で、周りの立派なホテルたちに囲まれた閑静でかつ淀んだ一角にある、いつも期間労働者や外国からのバックパッカーたちで賑わっている木賃宿だ。バックパッカーたちは安宿を求めてここにやって来るが、リピーターが多く、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、オーストラリア、カナダ、デンマーク、日本、タイ、韓国などまるで世界の民族博物館みたいだ。ここからさらにスル谷さらにはザンスカールへのトレッキングへいそしむ人たちで溢れている。さてさっそくその建物の一階部分を歩いてみる。建物の入り口には扉はなく一本の廊下が奥まで続いていて、右に左に沢山の部屋が固まっているので覗いてみると、どの部屋も狭く、地面にボロ布を置いただけの場所にたくさんの期間労働者やその家族たちが寝食をともにしている。部屋の角には、携帯コンロが置かれ部屋の中でも煮炊きををするのだが、その壁はすでにすすけて真っ黒である。しかしかれらはいつも陽気で、その家族の子供たちも暇さえあれば走り回っていて、朝食や昼食、夕食の時間になると、いつも歌声が聞こえてくるので、こちらまで心楽しくなってくる。

一階の廊下の突き当たりまで行くと、二階に続く階段があるので、古い板で出来たその階段を踏み抜かないように注意深く登る。二回部分は一階とは様相が変わり、視界が明るくなる。柔らかい色に塗られた壁は、時折吹き抜ける優しい風と同化する。一階は人間が生きるための鬱蒼たる陰鬱な空間だったが、二階は明るく涼しく優しく不思議な名状しがたい空間となる。しかしここで安心してはダメだ。決して壁には触れないようにと忠告しておこう。この壁の明るくて素敵な色は、もしかしたら数分前に宿の主人が気まぐれに塗り替えたばかりのペンキの色なのかもしれない。あきらかに昨日の壁の色とは違う。試しに壁にもたれてみる。ほら思った通りだ。僕の右半身が薄い緑色になってしまった。僕はペンキで汚れた服を水をはったバケツに入れてから、部屋に入る。

僕の部屋は二階にある。このホテル・エバーグリーンの主人の息子はカルギル・トゥデイ・ニュースのメンバーであり、僕はここに特別に安く住まわして頂いているというわけだ。部屋中も廊下と同じで薄い緑色で塗られていてカーテンを開けると柔らかい日差しがゆらゆら揺れる窓のガラスを抜けて差し込んでくる。天井部分は全て木で出来ており、板張りの天井には七本の桟が右から左へ差し込まれていてそれとクロスするように一本の太い桟が食い込んでいる。窓際にはベッドがあるのだが、そのベッドは古いパイプ・ベッドでそのうえに古いマットレスが置かれ、その上に新しいベッド・カバーが敷かれている。寝心地は意外に良く僕の体にフィットしていて、ここに長く逗留していると、マットレスが人形に窪んでくる。電源ソケットは何故か天井に付いているので、長い長い延長コードを持って来た僕は正解だった。角部屋なので二面は外に向っての窓が付いていて、一面は出入り口の扉が付いていて、残りの面は隣りの部屋と壁で接している。昔はカルギルのゲストハウスやホテルと言えば南京虫が象徴だったが、今ではどんな安宿でもまず南京虫はほとんどでない。ラダックの南京虫は古い家の天井に住み着くので、たまに天井が多くの枝で出来た古い家に泊まる事になったら、ブランケットで頭から足先まで覆って寝る事だ。夜中に人めがけて空中落下してくる南京虫はこれで防げるし、村人もこうして寝る。

この古ホテルの二階の廊下の奥に三階に続いているような、今にも崩れ落ちて来そうな古い木でできた不気味な謎の階段がある。階段の登った突き当たりには古い傾いた扉が付いており、その向こう側はうかがい知れない。宿の主人に聞くとここには決して入らないようにという事だ。僕にとって、ますますもって惹かれる魅力的な空間だ。ある夜中僕はトイレに行くために、部屋を出てその階段の突き当たりの古い扉を凝視している。その扉から微かに光が漏れている。そして微かに子供の鳴き声がする。それは部屋の中で寝起きしているだけでは決して聞き取れない泣き声。部屋の外に出て、階段の突き当たりに気を集中して、耳を澄まさないと聞き取れない声。一人ではない。何人もの子供の泣き声がする。僕はその階段を登る。階段が音をたててギシギシと歪む度に、僕は歩を止めて、息を止める。扉に手をかけてゆっくり開けてみる。薄暗い屋根裏のスペースに少量のベッドとその間に多くの布団が敷かれ、多くの人たちが息を殺しつつひしめいていた。彼らは大きく深い無垢な瞳でこちらに一斉に目を向ける。ネパールからやって来た期間労働者たちが極安の屋根がある場所を求めて、ここに滞在しているようだ。その隅の方で複数の赤ん坊が泣いている。やせっぽっちのお母さんがお乳をそのやせぽっちの赤子たちに与えていた。窓さえ無いこの空間の薄暗い裸電球と埃と立ちこめる人の匂いと潜めて話す低い声と淵の炊事道具そばの黒くすすけた壁と持参した崩れ掛った布団とそこにいる複数の家族たちがいるこの狭い空間に、僕は持つ者と持たざる者のねじれた宿痾の世界を感じ、静かにその扉を閉じた。

ladakh


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