Friday 29 June 2012

10.ステファニー

「レ・テンプス・デス・ジタンはいい映画よ。一度見てみたらいいわ。監督はトニー・ガプリーだったっけ、ルストリカだったっけ、ごめんなさい、思い出せないわ。それともう一つトニー・ガトリフのラチョ・ドロム。これもすごくいい映画でヨーロッパから中東、そしてインドにいたるまでの各国々のジプシーたちの生き様を追ったドキュメンタリータッチの映画ね。それと中東映画でたしかイランの映画だったと思うけど、"ノウワン・ノウズ・アバウト・ペルシアン・キャット"もすごくいい映画だから是非見てみて、イランにおける青年たちの音楽活動事情に、躍動する若さと鮮やかな色彩を絡ませて、イランという内的偏見をみごとに打ち砕こうとしている映画ね。」

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カルギルが一面に見渡せる開け放たれた窓からは心地よい風が入ってくる。5月、6月の風が強い時期には、ラダックでは雪が舞う。それもヒマラヤの空間一面に雪が舞う。とはいっても本物の雪ではない。植物の綿毛が空間を覆い尽くすのだ。その光景は圧巻で季節外れの白い雪が一面に舞っているように見える。綿毛は吸い込むと気管に影響がでるため、行き交う人たちはショールで口を覆ったり、ジャケットの襟を立てて口を隠したりしている。

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今日のカルギル・トゥデイの会社にはフランスから一人の映画監督が遊びに来ている。彼女の髪は美しい銀髪で、年の頃は五十にかかったばかりというところ。指に挟んだメンソールのフランス製タバコの煙をくゆらしながらアンニュイに話す彼女は、時折窓より入り込む強い風にスカーフが飛ばされそうになり片手でそれを抑えようとするが、結局スカーフは飛ばされてしまい、くわえ煙草で両の手で髪をかき上げるその姿も、ジーナ・ローランズのようでとても美しい。実名をあげると各方面にとても大きな影響を与えると思うので、仮に彼女の名前はステファニーとしておく。

「・・今度の作品はそうね、カシミールの職人たちと子供たちを追いかけたいと思っているの。まだ内容は練り上がっていないけれど、たまに頭の中の奥の方でぽっぽっと明かりが明滅するように、その光景が浮かび上がってくるの。なんだかうまく言葉にできないわ。今はコラージュのようにフィルムを撮りためて、それを頭の中でパズルのように並び替える段階ね。その作業を繰り返し繰り返ししながら、私の中の作品はボルドーのワインのように静かにゆっくり熟成していくのよ。作品の発酵が進んでいくと一コマ一コマはワインの一滴の雫のごとく美しく輝き出すの。」

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僕は彼女の作品の断片を眺める。彼女のモバイルからはマドリーヌ・ペイロクスの甘いジャージな曲が流れている。時折古いアレンジの枯れたトランペットが部屋に染み渡る。僕が見ていたスリナガルと彼女のシューティングしたスリナガルの世界観が全く違う事に驚く。何故彼女の手にかかると、こうも詩情豊かに、色彩豊かに、過去と現在と未来が多角的に編み込まれて、そして宗教を越えたところにまで昇華していき、真理と言うものがこの世にあるのならば、それは彼女のフィルムに確実に刻み込まれているような気になるのか、本当に不思議な感覚だ。フィルムの中の古い木製の機織り機は、静かに一定のリズムで単調な音を刻みながら、美しいパシミナが徐々に編み込まれていく。職人の手元には色鮮やかなパシミナの糸が横に並んでおり、カシミール職人の手が右から左へ繊細に移動するとパシミナのショールが出来上がってくる。手が右から左へ移動すると幅一ミリの生地が出来上がる。また左から右へ手が帰ってくるとさらに幅一ミリの生地が出来上がる。それを気が遠くなるほど長い時間をかけて一枚のパシミナに仕上げていく。このパシミナは世界でも最高級品の一つで、日本円にして一枚のショールが二万円程になる。物価の格差を考えるとパシミナのショール一枚十万円以上の価値があるという事になる。カシミールで世界最高水準の特産品は二つある。一つはこのパシミナで、もう一つはサフランだ。サフランに至っては香辛料の宝石と言われるほど価格は高く、世界一価格が高い香辛料はこのカシミール地方で取れるサフランだと言われている。話を元に戻そう。ステファニーが撮るカシミールの世界の一番の特徴は色彩だ。日本に現存する色彩を集めてもこうも美しくはならないだろうと思える程、暖かく空間に溶け込むような色彩なのだ。それは浮かび上がるシャボン玉を目で追うようなうららかな午後のうつろな時間の色であり、そしてきっと彼女はカシミールにステファニーと言うなの魔法のフィルターを持って来てしまったのだ。

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「・・・へー。ニコラ・ブーヴィエを読んだの。日本語の翻訳版が出てるのね。ブーヴィエはフランスの旅好きの中では有名な作家よ。私は仕事でジプシーを追いかけていた事があるの。そうジプシーと言えばポーランドね。彼らの音楽と踊りは本当に魅力的だわ。でも現在はそのジプシーたちもコマーシャリズムの波に飲まれてしまって、ピュア・ジプシーの話は最近はあまり聞かなくなったわ。ブーヴィエの作品にはピュア・ジプシーの話が出て来ているくだりがあるわね。そうそうその話。一度目は偽物のジプシーたちのところに行って、二度目にやっと本物のジプシーが仲間内だけでひっそりとかつ賑やかにやっている現場に踏み込んだのね。確か。こっそりテープレコーダーのスイッチを入れて録音したのよね。本当はジプシーには国境も国籍もないのよね。収穫が終わった広く茶色の農地に続く一本道、秋は深まり、冬は目の前。ポプラの並木道の間に駆け抜ける木枯らし。その寂しげな道をロバにひかれた屋根も付いてない木製の大八車が、軋む車輪の音だけをたてて進んでいく。その大八車にはジプシーたちが古い楽器とともに揺られているの。次の演奏場所はどこの酒場だろう。彼らは半分夢の中。ジプシーたちの生活は過酷だが、精神は世界の誰よりも自由だったのね。ねぇ、素敵だと思わない? そうそうブーヴィエを読んだのなら、今度はエラ・マイラートを読むといいわ。彼女はブーヴィエに大きな影響を与えた人なの。写真家であり、作家であり、冒険家であり、セイリングボートの代表選手であり、彼女の肩書きを数えたら両手の指でも足りないぐらいだわ。本当に素敵な女性なのよ。」

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スル・バレーへ向う車の中でもステファニーは映画の話をしたり、時に車窓の景色に言葉を無くしたり、時に窓の外の子供たちの笑顔に向けてシャッターを切ったり、ドンキーの集団を目でおってはまるで子供のようにはしゃぐのだ。そして時折彼女が手帳を繰っている。多くの映画監督の住所録の中にアキラ・クロサワの文字が瞬いた。

「私が映画業界に入る前の学生の頃、一度だけお顔を拝見した事があるわ。私にとってはとても大きな存在だった。今も昔もそれは変わらない。彼くらい映画界に影響を与えた人は他にいないわね。次にヤスジロウ・オズかしら。クロサワの作品で一番印象的だったシーンは、”用心棒”だったかしら”七人の侍”だったかしら、冒頭から殺伐とした田舎の村のシーンが静かに始まり、その辻から一匹の野良犬が出てくるの。その野良犬の口には切り落とされた人の、片腕がくわえられている。最初から引き込まれたわ。それもクロサワ独特のロングショットで、今もそのシーンは世界中の映画人の語り草になっている。」

ヒマラヤの幽谷に走る車の中で僕のモバイルの曲が静かに流れる。

「・・その曲、チャンチャンね。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ。ヴィム・ベンダースのドキュメンタリー映画ね。彼は本当に才能がある監督だと思うの。映画にしてもドキュメンタリーにしても素晴らしい作品ばかりで、駄作がないのよね。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブも冒頭のシーンから引き込まれていくわ。キューバの海外沿いの道をライ・クーダが駆るハーレー・ダビッドソンが駆け抜けるのよね。海の飛沫を上げた道に駆るハーレー・ダビッドソンはその街を抜ける時、古い建物と年代物の車のとハーレーの対比がまたそのざらざらとした映像と相まって心地がいいの。映像が本当に素敵で、鮮やかなモノローグってこんな感じなのかなと思えちゃう。彼は一つの映像に数多くの様々な技法を取り入れて作る人で、彼が発明した技法もまたたくさんあるの。その技法は解明されているのだけれども、その通りに作れば彼のような作品が出来るかと言うと、これもやはり彼にしか作れない味なのよね。」

スル・バレーから戻り、黄昏時にモスク近くのレストランで食事をする。

「アメリカ映画?そうね。ジョン・カサベテスは素晴らしいと思うわ。アメリカ・コマーシャリズムに染まった映画に反旗を翻して、自分の撮りたい映画を撮ったのよね。彼は俳優としてはB級だったけど、彼の作る作品は一流ね。接写の技法はとても素晴らしいと思うわ。どの作品が好きかって?そうね”フェイシズ”、”こわれゆく女”、なんかは大好きな作品ね。それとアメリカ映画で忘れてならないのはジム・ジャームッシュね。彼は映画学校の卒業記念に作った短編の映画が注目を浴びたのよね。”パーメネント・バケーション”だったかしら。あの作品に出てくるカップルは本当に素敵だと思わない?狭いアパートメントで暮らすカップルがゆっくりと静かにロックンロールを踊り出すのね。それだけの作品なのににじみ出てくるセンスと世界観は半端じゃなかったわ。それだけで世界に衝撃をあたえたのだから。ジム・ジャームッシュからは音楽をたくさん知ったわ。かれの音楽の選曲センスはずば抜けているわね。」

そう言って彼女がモバイルを繰ると、ある曲が小さなレストランに流れる。歪むギターにローファイな枯れた声が低く絡む。

「”ジャッキー・フル・オブ・バーボン”大好きな曲ね。ダウン・バイ・ローの冒頭の白黒のシーンから始まり、殺風景な街の長回しのシーンに入る時にこの曲が流れるのね。映像もドライなのに、この曲が絡む事によりそのドライ度はよりいっそう深まる。この曲からトム・ウェイツを知ったのよ。もしジム・ジャームッシュに出会ってなかったらトム・ウェイツにも出会っていなかったと思うわ。えっ?そうね。もちろんスクリーミン・ジェイ・ホーキンスやジョン・ルーリーも大好きよ。それとフランスにも若き日の天才がいたわ。名前は失念しちゃった。私ももう年ね。"汚れた血"、”ボーイ・ミーツ・ガール”、”ポンヌフの恋人”初期の作品は若き日の才能の爆発っていう感じかしら。"ボーイ・ミーツ・ガール"の冒頭だったかな。割れたガラスごしにみえる青年の表情は印象的よね。思い出したわ。監督はレオス・カラックスね。彼の作品もオフ・ビート感はジム・ジャームッシュに通じるものがあるわね。でも彼の場合もっといんいんとした病的さがあって、それは若き日の小さな引っかき傷なのだけど作品の中で時に爆発するのよね。」

そしてカルギルの夜は深まり、ボリス・ヴィアンの歌う古いシャンソンが夜に花を添え、片隅はモンパルナスの風情を次第に帯びてきて、揺らぐロウソクの中で思う事は、いつしか芸術はここで花を咲かせるかもしれないと。

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