Friday 22 June 2012

3.バルー村。

カルギルタウンの端にあるバスターミナルは、近辺の村々に向うバスの出発場所になっており、いつも人ごみでごった返している。そのバスターミナルの一番端の出口付近に、「バルー、バルー」と呼びかける声がするので、その声にひかれるまま向かうと、そこには一台のバスが停車していて、15分に一本ほどのペースで出発しているようなのだ。バスにはすでにたくさんの乗客がのっていて、僕はステップの位置に辛うじて乗り込む事ができ、バスは早速出発する。

向って進行方向のバスの左手の谷に流れるスル・リバーはザンスカールから流れて来ていて、ここカルギルでワカ・リバーと合流してゾンジ・ラ方面に向うドラス・リバーに名称を変えて流れて行く。少し進むとスル・リバーに架かる橋が見えるのだが、それを渡るとレー方面に抜けるレー・カルギル・ハイウェイが続いている。そして橋を渡らずに真っすぐ進むとその先、すぐにバルー村があるのだ。しばらくして右手に見えてきたカルギルで一番大きなホテル、ゾジ・ラ・ホテルを通り越し、バスは少しづつカルギルの山肌を舐めるように登っていくと、次第に家並みが見えて来て、カルギルから15分程で古びた商店街に入るとそこがバルー村の中心地だ。

バスから飛び降りて、商店街を左に入る道があるのでそれを下って行くと、左手にカルギル・ディストリクト・オフィスの建物が見える。まだ朝の10時前なのでオフィスは閉まっていて、オフィスが開くまでの時間、警備員と談笑する事にした。しばらく警備員と話していると、僕の周りに徐々に人が集まり始めるのだが、時は10時を過ぎ、オフィスの責任者が到着したようなので、さっそく中に入ってみようと思う。そしてその責任者の部屋に通され、僕はチクタン村に入るためのインナー・ライン・パーミット(ILP)をもらうために、僕が所属しているNGOの意義と目的を告げると、その責任者の男は僕の言葉の句読点のところで「すばらしい」「すばらしい」を連発して、すぐに三ヶ月間滞在可能なのILPを作成してくれた。一日は交渉作業にかかると思っていたのだが、あっさり貰えたのでけっこう驚いた。そして僕はそれを受け取ると、男の気が変わらないようにすぐにオフィスを飛び出したのだ。

今日一日空いたので、バルーにせっかく来たからには、バルー・カンカ(バルー・マスジド)を見ないでカルギルの街に戻るのは大変もったいないと思い、そこに向う事にした。商店街から今度は山側へ登って行く。一歩商店街の裏に出ると、バルー村の山の腹は広大な平たい農地になっていて、所々に石と土でできた古い家がポツリポツリとあり、広大な農地が突き当たったところからはヒマラヤの山が天に向かって伸びている。午前の日光に照らされた水路沿いの散歩道は心地良く、葉の間からこぼれ落ちる光と影は農地の緑に初夏の印をつけている。ヒマラヤ山麓に飛び交う蝶は短い温かな季節を喜んでいるかのようだ。五月晴れが多いこの季節は春と初夏が同居していて、キリッとひきしまった春の空気に、初夏の太陽が溶け出している。

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田んぼのあぜ道を迷路のように行ったり来たりしながら進む時、村の人からはバルー・カンカの場所の教えを請いながら、のんびりとゆったりと進んで行くと、古い家の屋根の向こう側にバルー・カンカの緑色の帽子が見えているのが分かった。その家を回り込みながら裏手に出ると、目の前に緑の帽子を被った白亜のバルー・カンカが、ヒマラヤの山々を背に、眩しい程真っ青な空の下、自然の恵みを体中で受けているようにそびえ立っている。いつ来ても孤独だけれど、明るくて、凛としているのに、優しいようなバルー・カンカが迎えてくれる。

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バルー・カンカの前にはたくさんの女性の信者が集まっていて、僕は彼女たちの間をかき分けながら、入り口に向う。靴と靴下を脱ぎ、バルー・カンカに続く階段を一歩一歩登ると、扉はいつでも優しく開いている。入り口の戸をくぐりと、カルギル産の生地でつくられたマットが、色鮮やかに床一面に引詰められていて、太陽の光を体に吸収して内側にしみ出して来たような白い壁がより一層、このマスジドを神秘なものにしてくれる。一番奥の丸くへこんでいる部分がミフラーブと言われる部分でそこはいつでも、メッカの方角に向って形作られている。そのミフラーブの前に立つ女性は、それを触り、顔や体に精霊の残り香でも塗るように、体に浴びている。それは丁度、日本でのとげぬき地蔵の煙を浴びている女性たちの行動と重なる。それを見ると、どこの国でも思いはいっしょなのだなと感じる。

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せっかく中に入ったので僕も一つ二つお祈りをしていこうと考え、正座をしていると、バルー村の人たちから、興味津々というような趣で話しかけられたので、日本から来ましたと答えると、さらに興味が風船売りのおじさんが売る赤い風船のように膨らんだようで、広島、長崎、福島、地震、津波、原子力発電所、トヨタ、スズキ、ソニー、キャノンといろんな質問をされ、それにひとつづつ丁寧に答えるも、日本の総理の名前を聞かれた時、最近それらはころころ変わり過ぎて、遂には今誰が総理なのか分からなくなってしまって、僕は結局のところ最後の質問は答える事が出来なかった。

バルー村の住人の一人が、カルギルのバザールまで車で送って行ってくれると言うことなので、僕はそのお言葉に甘えることにした。車で高原地帯の農地を柔らかな弧を描く道に沿って車は走って行くが、往路で徒歩で来た時も、復路を車で下る時もその美しい印象は変わらなかった。もう一つ言うと、二年前に始めてバルー・カンカを見た時、去年バルー・カンカを見た時、今年バルー・カンカを見た時、その素晴らしい印象は全く変わらず、何度でもまた見たいと感じさせる美しさとその圧倒的な存在感は、いつでもカルギル地区を旅するものにとっては、一つの楽しみであり、一つの始まりである。

そしてカルギル・バザールにて車を降りると僕は喧騒と雑踏の中に消えて行く。

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