Tuesday 26 June 2012

7.ゴンマ・カルギル。

カルギル・トゥデイ・ニュースの仕事で子供たちの集団検診と政党の講演会の取材を夕方前までになんとかこなしたので、黄昏時にカルギルよりさらに天に近い場所にトレックングに行こうと思った。メインバザールのラルチョーク交差点を山側に登って行き、ガールズ・セカンダリー・スクールを通り越したところの左手の崖に辛うじて作られているような急斜面の階段を登って行くと、カルギル・トゥデイ・ニュースのスタジオがあり、そこからはカルギルの街がとても広い視野で一望できるのだが、階段を登って行かずにスクールの裏手の右側に続いている車道を歩いていく。

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そこを木陰の下を10分程歩いていくと前回来た事があるルンビタン村に出るのだが、今回はこの村を通過してさらに車道を歩いて登って行く。ルンビタン村は谷が鋭角に谷側にも山側にも刻まれている山の腹に広がっている。山側に刻まれている鋭角の形のまま、迂回するように車道が隣の山まで伸びている。先ほどまではこちら側から谷にあるルンビタン村を見ていたのだが、今はあちら側の山の腹からルンビタン村を見下ろしている。まだまだ道は続く気配なので、ますます深く高く登って行く。さらに20分程登ると、山の高いところに次の村の家々が点在している。子供たちが道の真ん中に石を積んでクリケットに興じている。夕方の風に木々が揺れて、この高いところのその間から振り向けば、下の方から見ていた風景とは全く違う視界が広がる。下界に見えるカルギルの街は遥か下方に辛うじて見えるか見えないかというほどに、上手の緑の木々が街を遮っている。その向こうにはスル・リバーが確認でき、橋を渡ってまた向こうに広がる緑の場所がプエン村だ。そしてその村の背中には大きな大きなそして背の高い台地が広がり、そこにつづら折りの車道が微かに見え、その道は登り切った向こう側でバタリク方面とパスキュン方面に分かれ、パスキュン方面からはパスキュン、ロツン、シェルゴル、ムルベキ、ワカ、カングラル、ヘナスク、ラマユルと続き、バタリク方面からはダルチェスク、ガルクン、ダー、ハヌー、アチナタンと続き、双方はカルシで再び出会ってレーへ向うのだ。

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さらに上昇する道を登って行くと20分ほどで、また小さな集落が見えてくる。まさに天空に広がる村だ。車道はこの村で行き止まりになっている。この村の名前はゴンマ・カルギル。ヒマラヤの高いところに咲くゆりの花のような集落だ。ここから見える風景はすでにカルギルというくくりを通り越して、遥か彼方の頑健にして優美であり、深淵と精緻な部分を持ち合わせた心震わすヒマラヤの山々が見事なまでに扇形に広がる。村は小さいが豊富な湧き水が所々に流れており、その周りの畑の小麦が狭いが逞しく育っている。村と畑に流れる水路は急で、透明なその水がどこからともなく流れて来ているので、その水源を探してみたい気持ちになる。山から滲み出した養分たっぷりの水で育まれた畑の淵には、美しい数多くの花々が咲き乱れている。その魔性の蜜を目当てにやって来る蝶たちは、小振りながらもエキゾチックで色も形も多彩だ。ここは小さくても美しいまるで神からの贈り物のような村だ。人の手で作られた家と畑は、自然と見事に調和して、まるで今まで聞いた事の無いような不思議で心地いいメロディを聞いているようなそんな錯覚に陥りそうになる。いやすでに陥ってるはずである。名も無い花のような村を見る時、それが美しければ美しい程、五感は見事に刃先に浮いた水滴を二つに割る事が出来る刃物の如く研ぎすまされ、しかし冴えてはいるけど、どこか優しくゆりかごにも揺られているような、そんな五感を包み込んでいる心が山にゆるりと、気がつけばいつの間にやらとけ入っている。

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家々と畑たちを抜けると、その裏には山から滲み出した自然の水路とそれを囲むように緑の草と時折木々が広がり、その緑の中からポツリポツリと黒く起き上がっているのは自然の岩である。しかししばし凝視してそのあたりを見てみると、中に岩が円形に並べられている場所がある。村人に聞いてみると遥か昔にゴンマ・カルギルには2家族6人が住み着いたのが最初の人たちだったようで、少数ながらもコミュニティはしっかりしていて、その岩で囲われた場所にみんなが集まり、ここで村のリクリエーションや決めごとなどをしていたらしい。そして最初に住み着いた人々の末裔が今もこのゴンマ・カルギルに住んでいるのだ。

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この興味深いエリアを抜けると今度はうってかわってヒマラヤ特有の乾いた茶色い山が続く。山の縁を縫うようにして細い細い道が山の向こうまで続いている。そして今歩いている山の頂上付近を見上げれば、まだ頂きに白い帽子を被っているのが分かる。まだまだこの細い道は徐々に高度を上げていく。どこまで続くのだろうと不安になりながらも歩を進める。人が住んでいる最終地点の村を抜けるとすっかり不毛の山々に包まれる。ここではヒマラヤの腹に付けられた人の足で踏み固められている細く不安定な道だけが人類のただ一つの痕跡なのだ。心細くも今まで何人となく辿って来たこの痕跡を僕も辿っていく。遥か彼方の次の山の腹付近で、人の影がひらひらと動くのが見えた。人がいるのだ。心細さは消え、ただ黙々と歩いていく。ここまで来ると谷は恐ろしく深く、山の頂きは恐ろしく近く感じる。どのくらい歩いたのだろうか。疲労は徐々に蓄積されていく。さやさやと音がするので、その方向に顔を向けると細い水路がきらきらと黄昏の光を受けながら流れているのがわかる。

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そして人の声が聞こえて来たので、その付近へ目をやると、そこには緑の木々がほんの少し固まるようにたっていて、その木々の間を子供たちが飛び跳ねて遊んでいるのが確認できた。そして子供たちの間を抜けていくと山腹の石たちの間より一筋の水が孤独に流れ落ちていた。その水はここで一本の水路になり、ずっと下の方の村々へ流れていくのだ。ここにいる子供たちは先生に引率されて、ここまでやってきたらしい。そして子供たちは湧き水を取り囲んで、持参して来たペットボトルに水を詰めている。ここにわき出す水は大変有名な水で、無病息災の水としてラダック中に知られ渡っており、宗派を問わずいろいろな人々が水を汲みにくる。僕も両手で水をすくう。あたりは暗くなり始め、水面にサフラン色の赤い黄昏が降りて来て、手のひらで水がきらきら揺れている。そしてそれを口もとに持っていき、ぐいっと飲み干す。
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水は口に含むと硬水なのに、舌先に触れた瞬間にとろりと軟水に変わる。そしてその微かに甘いやつは、冷たくきりりと引き締まったかと思うと、次の瞬間柔らかく自身に浸透していく。のど元を通って、胃に落ちたかと思うと、五臓六腑に優しく染み渡っていく。疲れが深ければ深い程、湧き水は作用し、体と心を満たしていく。遥か彼方のヒマラヤの背にもサフラン色の黄昏が降りて来ている。そして優しいこの水はその景色とも作用し合って、ラダックの淡く深い光の中へ自身と心もがゆっくり沁みていく。頂きの雪解け水はヒマラヤに浸透して岩や石や土や砂やそのようなものの間を通りながら長い年月をかけて浄化して、いつしかヒマラヤの腹から滲み出してくる。それはまた人や動物が頂いたり、台地に再び浸透したり、大きな川に流れ落ちたり、いつしか海に辿り着いたりしながら、また水蒸気になり、天の雲となり、雨となり、雪となり、ヒマラヤに降りしきる。どんなに細かくその流るる方法が分岐しても必ず彼らはいつか戻ってくる。それらは人を生かさせ、自然を生かさせ、地球を生かさせる。流転している。輪廻している。

さっきまでいた子供たちはすでに先生とともに下山をしていて、残った僕は黄昏が夜の闇に浸食されつつある時間に下山を開始した。山の端がいよいよ暗くなり、数えられない程の星が瞬き出す頃、足早に流れる雲の間から大きな大きなたまご色の満月が顔を出し始めていた。

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