Friday 19 August 2011

6.クルネーガラ・ロックとサマーディ石仏とペラヘラ祭と。

 僕とダマはクルネーガラ・ロックへ登る。クルネーガラ・ロックは地底から突如生えてきたような岩の固まりが空を埋め尽くすかの如く巨大な一枚岩の山を作っている。低地より見上げると岩山のてっぺんに白い何かが鎮座しているのが見える。それはクルネーガラの街を空から見守っているお釈迦様だ。

 岩山の縁に手すりがついており、それに沿って僕たちは白い釈迦像に向って登っていく。天気が不安定な中、雨の心配をしつつ僕たちは登っていく。その岩山の斜面は滑り易く、ダマが履いているスリッパもまた滑り易い。僕たちは細心の注意を払いながら登る。岩山の中腹まで登り振り返ると、そこには絶景があった。

 右手にはクルネーガラの貯水池が見え、街は目の前に小さく固まっているが、圧巻はその周りを覆い尽くすかのごとくの緑輝くジャングルだ。僕たちは頂上へ急ぐ。遂に岩山の一番高い所に辿り着いた。頂上にそびえる白亜の美しき彫像の視線で僕もクルネーガラの街を見下ろす。

 目の前に広がる緑は地平線まで続く。それは深くて遠い。緑のカーペットの切れ目よりどんよりとした厚い雲が続いている。そしてジャングルの中に突如と現れた足下の巨大な岩山は、広大な緑の中の大地のへそだ。へそを中心にして広がるジャングルは緑の巨人だ。そして僕はその巨人のお腹のへその上に立っている。

 その巨人は眠ったまま、さっそくやって来る夕立に飲み込まれようとしているのだ。顔にポツポツ雨が落ちてきた。僕とダマは急いで岩山から降りる。手すりに捕まりながらゆっくりと降りる。雨で岩が濡れてきたので、ダマのスリッパは良く滑り体勢を時々崩してる。その度に僕はダマの手を掴んで滑落しないように引き戻す。

 雨は徐々に激しさを増し、僕は傘を広げる。そしてゆっくりゆっくり降りるのだ。岩肌は濡れ、傘も濡れ、僕らも濡れる。傘は役立たず、滝のようなその雨は、都会の一角に突如現れた大自然の中に閉じ込められ哀れな二人に容赦なく襲いかかる。それと対決する事一時間、僕らは濡れながらやっと地上に降り立つ。

 すると雨はぴたりと止んだ。見事に止んだ。しかも雲の間より太陽が顔を見せちゃったりもしている。僕は傘を折りたたむ。そして実にタイミングが悪いこの二人は空に向って各々悪態をつく。

「お前なんてどっかに行ってしまえ」

「二度と来るんじゃないぞ」

 すると再び一気に空は暗くなり、僕らに傘を開く時間も与えず、頭にバケツの水をこれでもかと言う程浴びせかけた。

Sri Lanka


Sri Lanka


 ある日の夕刻に僕たちは、クルネーガラで行われるペラヘラ祭へ行く。この祭りはキャンディの祭りが有名であるが、実を云うといろいろな場所で持ち回りで行われているのだ。それが今日クルネーガラで行われるというわけだ。昔は二つのペラヘラ祭があり、ひとつは紀元前3世紀まで遡る。

 これは神々に降雨をお願いする祭りだったようだ。もう一つは紀元4世紀にインドからスリランカに仏歯(お釈迦様の歯)が持ってこられた時に祭があった事が伝えられている。そして現在に通じる祭りは紀元1781年から1747年に、キャンディの王様が庶民のために仏の歯を謁見できるようにと祭を始めたのが、現代に続く祭の系譜だと云われている。

 この祭りはゾウの背中に大切に乗せられた仏歯を中心にして、その周りで人々が伝統的な衣を身にまとい、踊りなどを披露するのだ。

 僕とダマはペラヘラ祭へ向う途中スリランカ最大のサマーディ石仏を見に行く。

 僕はある日、アフガニスタンのバーミヤンの石仏が破壊された時に、スリランカのとある村でこんなやり取りがあった事を聞いた。

 少年は大僧正に訴えた。
「モスクを壊しましょう」

 大僧正は答える。
「仏教の歴史では、たとえ誰かが私たちを殴っても、殴った相手にたいして、殴り返したことはありません。仏教は慈悲の教えです。ですからモスクを壊すのではなく、そのかわりに仏像を一つ造ったほうがいいんじゃないですか。それも、ここにこんなに大きな岩山がありますから、このぐらいの仏像を造ってもいいんじゃないですか」

 初めて子供たちが集めてきた寄付金が1358ルピー。それが今では世界中から寄付が集まってくるまでにもなったのだ。日本から寄付もかなり多い。2012年完成予定のこの石仏は、大々的に来年壮行式典が行われる予定があり、僕も来年は参加したいと思う。

 そして小高い岩山の頂上付近には大きな制作途中のサマーディ石仏があった。小坊主たちも石仏の工事に参加している。黄昏が深まり始めてもライトを付けてみんな作業を続けていた。夜になってもこの像にお祈りにくる人々の足は途絶えない。21メートルものこの石像は岩の高みから地上を見下ろす事になるのだろう。

 この石仏の意味は仏教だけに留まらない。この石仏はイスラム、タミル、シンハラと宗教民族の垣根を超えて協力し合って作られているのだ。お互いアイデンティティーを認めながら、それらを超えつつ、協力する事の意味はすなわち、世界が目指す所の恒久的な平和であり、そしてそれが世界の人々の指針になってくれればすばらしい事だと思う。

Sri Lanka


 僕らはペラヘラ祭に向う。奥の空き地では大規模な移動遊園地が敷設されており、すでにクルネーガラや近郊の村々からの人で溢れかえっていた。かたかたと観覧車が回り、メリーゴーランドも回り、小さな線路の上を小さな小さな汽車も回っている。

 敷地の中心では大きな金網のボールの中を自転車がぐるぐる回る曲芸の公演時間前の観客の呼び込みが行われている。様々な屋台では様々なスリランカの伝統的なお菓子が並び、その横ではおばさんが線香を売っている。長い長い竹馬を履いたピエロがぎこちなくステップしている。

 夜の移動遊園地は不思議な世界だ。夜に展開されるのはフェリーニの世界だ。それはジェルソミーナとザンパノの世界だ。しかしここの移動遊園地はニノ・ロータはいない。あくまでも陽気な南の島の音楽だ。10時30分。ペラヘラ祭最後の催しが行われる。像の背中に仏歯が乗って登場するのだ。

 すでに沿道にはたくさんの人だかりが出来ていて、おしあいへしあいの大変な状態になっていた。最初に登場するは火が盛っているたいまつを持ちながらの踊りだ。民族衣装をまとった彼らの踊りは激しく、くるくる回る火は夜の闇に何輪もの大きな花を咲かせている。踊りと踊りの間に体中を装飾したゾウが何頭も行進してくる。

 そしてまた踊りだ。夜の中のたいまつの中で揺れる影は、南国の情熱と幻と音と大自然をまとって、ゆらりとした時間の中に溶けている。祭りの熱は徐々に上昇して、それが気圧までを変え、雨にならないものかと心配になってくる。そして遂に仏歯を乗せたゾウが登場した。祭りは最後の熱気に包まれている。

 のっそりと歩くゾウの背中に乗せられた電飾で飾られた小さな箱は、右へ左へと揺れている。この小さな箱の中に仏歯が入っているのだ。2000年以上もの時を超えてそれが宗教となり、こんなにも崇められている一人の男は、もしこの光景を見たらどんな感想を漏らすのだろう。

 しかし僕たちはすでに仏陀の手を離れているようで、まだ手の中に居るようでもある。そして祭りの熱は夜中の12時30分には冷めた。帰り道人の波は一斉の同じ方向に向いて動き出す。

 その細い道には夜中の黒い大群の固まりとなって出口を彷徨っている群れがある。夜はうごめき、覚める事のない夢は続き、熱と幻の間を僕はこれからもずっと彷徨い続けるのだ。

Sri Lanka


Sri Lanka


Sri Lanka


Sri Lanka


Sri Lanka



Sri Lanka


0 comments:

Post a Comment

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...