2014年9月1日月曜日

37.スル谷のダムスナ村とパニカル村。

スル谷の至高の宝石ダムスナ村に到着する。ここは他のスル谷の村々とは違い、太陽に細かく乱反射する錦糸のような川がいくつも流れていて、どことなくザンスカールの匂いをまとった湿原地帯になっている。ヒマラヤの山々に囲まれた谷は徹底的に平らで、その馬や牛たちの楽園は、緑色をしたビロードの絨毯に覆われている。なにかに見られている感覚がしたのでふと見上げると、谷の遥か向こうには真っ白な衣を身にまとい天を貫くようなヌン・クン(7135m・7035m)の勇姿が、眩いばかりの青い空にもたれ掛かっている。右側の富士山より3300mほど高いインド最高峰の山がヌンで、左側の山頂付近が鉄槍のようになっているのがクンだ。このヌン・クンに行くのであればスル谷最深部のパルカチク村から挑むのが良さそうだ。




僕たちはこのダムスナの湿原へと降りてゆく。降りてすぐのところにフィッシュ・デパートメントと書かれた施設があったので、入ってみるとコンクリートの浴槽のなかに数多くのきっと鱒だと思われる魚が泳いでおり、時おりきらりと光る尾びれで水面をピシッと叩いたりする。ここは鱒の養殖場だ。この魚は主にホテルなどに卸されるらしく、直接ここでも買い付けることができ、1キロ350ルピーで売ってくれる。ラダックのレー付近のエリアではたしか釣りが禁止されていたと思うが、こちら側のカルギル・ディストリクトではよく釣りをしている姿が見られるし、いたるところで魚が手に入る。



湿原の奥に流れる川の近くで僕たちはテントを設営することにした。インド製のテントから日本製のテントまで様々なテントを張り始める。インド製のテントは設営が簡単で、空中に投げればあっという間に出来上がるが、仕舞うのにはとても苦労するものだ。日本製のテントには興味津々で、みんなで協力すると3分もかからずに張れた。武骨なインド製のテントよりも佇まいがとても美しのでみんなは日本製のテントを撫で上げていた。


テントの設営が終わるとみんなで晩御飯の準備に取り掛かる。実際沸点が低いのでご飯を炊くにしても、料理を作るにしても地上より時間がかかる。お米はまず異物を取り除く作業から始めなくてはならない。日本のように売られているお米がすべて食べられるというわけではないのだ。皿の上にあけたお米を手でかき混ぜたり、ひっくり返したりしながら、固い異物はすべて取り除いてゆく。そして選別が終わったお米を鍋にあけ、水を浸し、熱する。さっきまで川原で元気に鳴いていた鶏の声は途絶え、きっと羽をむしられ、解体され始めている。もうひとつの鍋ではカレーがぐつぐつ煮られている。カレーの作り方は簡単で、熱したオイルに玉ねぎを切ったもの(千切りではない、それができる包丁をラダックではお目にかかった事がない)を加え、ターメリックとチリのパウダーを入れ、トマトを切ったものと塩を入れ、ピーマンを切ったものを入れ、水を加える。最後に先ほど解体した鶏肉を入れ、コトコトと煮てゆく。注文をつけるとすると、最初ににんにくを薄く切ったものを油で炒めると香りがつき味が良くなるし、胡椒を振ると味に深みが出てくると思う。

大地に円を描いて座り、各皿にご飯を盛り、そこにカレーかけてゆき、煮込んだ鳥ものせて、薄く切った胡瓜をそれに加えてゆく。昼と夜がせめぎ合っているこの時間は、黄昏づいたオレンジの空の中にあり、流れる雲も微かな朱色に色づいている。和気あいあいの雰囲気の中、食事が始まり、長時間の運転を強いられ疲れている運転手の皿のおかわりは進む。食事が終わると、西瓜が切られ各々に分け与えられる。西瓜にきゅっとレモンの絞り汁をかけられ、それを一口かじってみると、これがとてつもなく旨い。西瓜の甘味とレモンの酸っぱさが共鳴し合って、軽やかな交響曲を演じている。これで一つのまったく違うジャンルの果物の味を作っているのだ。塩をさっとかける時やチリパウダーを塗る時もあるけれどレモンを絞って食べる方法が一番うまいと感じたし、この組み合わせは僕の中では黄金のレシピの伝導入りを果たしている。また西瓜にカボスを絞って食べるのも旨いのではないかと思う。皆さんも挑戦してみてはいかがですか。

夕暮れ時の空は徐々に藍色に染め上がると、ヌン・クンの衣も橙色に染め上がってゆく。ヌン・クンの対岸に沈んだ太陽がヒマラヤの山の峰々をまだほんのりと色づいてる空の背に浮かび上がらせている。すると大地は微かにほの暗くなり、濃く深い緑も、淡いブラック・スワンの羽根のような色を帯びてくる。冷たかった空気もよりいっそう引き締まり、僕はフードで頭をすっぽりと隠す。夜に来るかもしれないヌン・クンからの吹き下ろしの風からテントを守るために、補助ロープをタイトに締め上げる。手のひらは冷たく、息で暖めながら、ロープを締め上げる作業になる。ヌン・クンが今日最後の色彩を体から放つと、それは橙色から燃えるような火の赤に一気に変わってゆく。ヒマラヤの空に強烈に燃え揺らいでいるのはヌン・クンだけで、その周りの山々はすでにほの暗い影に変わり、空の藍色もいっそう深くなってゆくと、昼の影に隠れていた星たちがチラチラと輝き出す。すでに鳥たちの影も消え、羊や山羊や牛や馬たちの気配も消える。そして彼方の家々にはポツリポツリと灯が点り出す。ヌン・クンの最後の燃えかすもいつしか消え、その姿は早くも夜のとばりの影の一部となり、周りの山々も夜に塗り込まれてゆく。気がつくと夜は眩いばかりの星たちに包まれ、その光は微かな強弱の点滅を繰り返しながら、夜空に一種のソリチュードを歌い上げている。星たちが歌い上げる孤独も天文学的な数までに集められると、聴衆にとってそれは劇場に並んだ天使が歌い上げる声楽隊の舞台になる。その光の歌は朝の光により自身の存在がかき消されるまで続けられる。空気は無音の音をたてつつ引き締まり、時おり吹くヌン・クンからの風は凪いだ空気を震えさせる。夜もこうして深い眠りに落ちてゆく。








ピシピシという儚い音と共に僕は目覚める。寝袋から手を伸ばしテントに触れてみる。みごとに凍りついていた。ヌン・クンからに吹き下ろしの風が空気を急激に冷やすと、ダムスナの大地も凍りつき、テントも凍りつく。インド製の寝袋の保温力はその肉厚で重厚な手触りとは裏腹にとても低く、その口をきゅっと締めるも、首から肩にかけては冷気が居座っている。とても寒いのだ。もう一枚毛布を取りだし体をくるむと、なんとか寒さを意識から切り離し、僕は再び深い眠りに落ちる。

暁の淡い光で目覚めた僕はテントの外に出てみる。日はまだ山の端の向こう側に隠れているが、空が微かな古いフィルムのような暗い青に色づき、夜が朝に侵食され始めていた。世界はまだ冷たく、僕以外の生き物の気配はせず、まだ僅かに夜が足元で喘いでいる。僕は毛布にくるまりながら、ざらついたほの暗い青を背にした山の稜線を眺めている。足元にはプリムスのガスバーナーがシューという音をたてて、その上の小さなアルミの鍋に入ったお湯がすでにコトコトと鳴いており、僕がカップにブルマンの粉を入れ、鍋の沸騰したお湯を注ぐと、その周りの空気が霧で霞み始める。カップの縁から黒い液体を一つ啜った瞬間、山の稜線と宇宙の間一文字に閃光が走る。僕のカップを持つ手が止まる。夜の空気が朝に一気に溶け始める瞬間だ。星たちの光は朝の光に抱かれポツリポツリと静かに消えてゆく。かろうじて残った三日月は僕と共に舞台の袖から朝と夜が演じ続けるそんな様をそっと眺めていた。





そして朝が来た。

仲間はゴソゴソとテントから抜け出し、冷たい川辺で顔を洗うと朝食の準備に取り掛かる。朝の光が包む大地に何匹かの鱒が放り出される。ダガーナイフを取り出すと、仲間たちは頭を落とし、内臓を取り出す作業にいそしむ。そして鍋に油を注ぎ火にかけると、鱒に塩とチリパウダーをまぶし、一匹づつ熱々の油に落としてゆく。カリカリに揚がった頃合いにそれらを取り出しながら皿に小分けし、それに平行して小麦粉を練って焼き上げたタキを鱒がのった皿に置いてゆく。香り高く紅茶も出来上がると朝食が始まる。タキに揚がった鱒を挟んで食べる。とても旨い。魚は半年ぶりくらいだろうか。よく覚えていない。体が魚をとても欲しているのが分かった。チリと塩の味付けもいいが、塩だけとか塩と胡椒の味付けで是非食べてみたいと思った。



後片付けを終えると僕たちはさっそく車に乗り込みパニカル村に向かった。車は清流沿いを流し、再び緑が濃く眩しい村に入ってゆく。パニカル村だ。カルギルから南へ67キロのこの村はヌン・クンの懐に広がっている。ヌン・クンにはこのパニカルからではなく、もう一つ奥のツァンブ村からのアクセスが良いとされている。夏の間はこの美しき緑に加え様々な種類の花々とのコラボレーションが楽しく、あらゆる色がこの谷に舞う。パニカル村は世界中の登山家のための様々なヒマラヤの山々へアクセスするためのベースステーションにもなっている。氷の高地の縁にあるベース・キャンプへのアクセスはここからショート・トレックで行くことができる。パルカチク村やヌン・クンを含めたこのエリアは様々な氷河が横たわっており、ヌン・クンの断層帯にある氷河からの眺めが様々なヒマラヤの峰々を見渡すことができ、最も美しいとされている。パルカチク氷河は、ヌン・クンの斜面を下っていて、そこに壮大な氷の滝も見ることができる。またスル谷特有の深くて広く美しく輝くこの谷は、夏の抜けるような青空がよく似合う。スカーフで髪を覆った牧童たちが、はしばみの枝を空高く振り上げ、山羊や羊を追っている。スル・リバーへ注ぐ山から滲みてきている煌めく清流で、衣服を洗濯している女たち。夏の終わりから秋にかけては、黄金色に揺れる小麦を家族総出で刈り込む姿。色濃く描かれる自然とラダック特有の文化が絶妙にブレンドされているこの村は、時おり僕の歩を止める。ラダックの砂の文化にいると時おり濃い緑が恋しくなる。そんな時はよくこのパニカル村へ足を運ぶ。もちろん登山家だけではなく、一般のツーリストにも門戸はいつも開かれている。四季を通じてカラフルな顔を持つこのパニカル村はラダックの良心であると共に、もっと緑が深くなるであろうラダックの未来の姿を垣間見る事ができる。そんな未来は、フンザだけでなく、桃源郷のラダックがここにあるという事を世界はもっと知ることになるだろうとも思う。










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