Thursday 8 September 2011

8.ケッタラーマ寺のつれづれなるままに 其の二。

 スリランカの万物が全て黄昏れる時間帯に僕とダマが道を歩いていると、トゥクトゥクが僕らの横で止まり、乗らないかと云ってきたので、僕たちはどこかに行く当てがある訳ではなかったがとにかく乗り込む事にした。村では稲の刈り入れが終わり、稲の風選をしている光景がよく見られる。

 風選というのは稲を風の力を借りて良い稲と悪い稲を振り分ける方法だ。軽い稲はどこかへ飛んでいき、良い稲だけが残るという寸法だ。僕たちはトゥクトゥクでその風選をしている村人の横を通り抜ける。そして田んぼの中でトラクターを懸命に押している村人たちの横も通り過ぎる。

Sri Lanka


 そして僕たちはクルネーガラの市街地に向った。市街地は仕事帰りの人々で込み合ってはいたが、あくまでもそれはスリランカのゆるげでのんびりとのほほんとしているような喧噪だ。そのゆるやかなる喧噪を横目に街を通り過ぎる僕らの乗ったトゥクトゥクは、郊外に向っている。

 郊外のメインロードを外れて山に向う。山道をトゥクトゥクでトコトコ登っていく。山の頂上で停まったトゥクトゥクから僕らは降りると、目の前に靄に煙るクルネーガラ郊外の緑が広がる。霞空の下の風景は原始的で美しく太古の香りがする。

 ふと横に目をやると、なんと頂上にお寺があるではないか。僕たちはお寺を覗いてみる事にした。このお寺の名前はワラスガラ・ラジャマハウィハラ・エンシャント・テンプルという舌を噛みそうな程長い名前で、時代もかなり古いお寺なのだそうだ。

 お寺の入り口の詰め所のような建物の前では若いお坊さんたちが集まって雑談をしていた。スリランカのお坊さんの法衣はオレンジ色やえんじ色が多いので、その鮮やかな色は遠くからでもよく目立つ。固まって歩く姿はまるで錦鯉のようだ。ここのお寺も前日に行った寺と同じで大きな岩の縁を利用して寺が造られているのだ。

 中をのぞくとたくさんの色鮮やかな仏像たちが立ったり座ったりしていて、彼らの中心には涅槃仏が横たわっており、その巨大な体躯の主は、僕たちに優しいまなざしを投げかける。寺の外に出てみると当たりはとっぷりと暮れて、様々な虫たちが静寂の夜に鳴いていた。

 僕たちはトゥクトゥクに乗り込むと静かなる闇にくるまれながら寺に戻るのだった。

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 次の日の朝、寺に一台の小さな車がトコトコと入ってきた。ダマが運転手と一言二言話をし終えて、僕の方にやって来ると、今からダンブッラに行こうと云う。ダンブッラと云うのは、スリランカ最大の石窟寺院がある場所だ。僕は着の身着のままで車に乗り込む。

 ここスリランカでは着の身着のままという言葉はない。何故かと言うとそれが当たり前の日常だからだ。予定は実行される5分前ぐらいに決まる事がほとんどだ。しかもその予定はころころと同時進行的に変化していく。世の中は今より外はなかりけりなのだ。

 そして僕たちを乗せた車は北へ向った。ジャングルの中を貫くの一本の長い長い道は地平線まで届く。3時間ほど走っただろうか、ダンブッラの街を車は走る。そして交差点を左に曲がりダンブッラ・ロードをひた走る。途中ホテルで休憩をして(もちろんこのホテルとは露店の事だ。)そしてダンブッラも完全に通過する。

「えっ?どこ行くの?」
 僕が狼狽えながら云う。
「僕の生まれ故郷の村」
 ダマが当然だよと云う顔で答える。

 スリランカの辞書をには予定と云う言葉は存在しないのだ。もし載っていたとしてもきっとこう書いてあるのだろう。予定とは~気まぐれと同義語であると。

 ダマの村に来るのはこれで2度目だ。20日間で2回とはかなりのペースだと思う。ダマのジャングルの中にある家へ向う。この地域の乾燥度は高くて、かなり暑い。ここはまさにサバンナ気候だ。豹がふと茂みから現れてもきっと僕は驚かないだろう。ダマの実家で食事をし終えると僕たちは近くの湖に向った。

 ジャングルの中を30分ほど彷徨うと視界が開けてきて目の前に青い湖が広がる。遥か向こうの岸には朽ちた木が水面からゆらりと立ち上がり水面に何本もの影を落としている。白き水鳥が湖の淵で戯れている。古いカヌーが何艇も水際で佇んでいた。その際までよって見ると沢山の蛙が一斉に水の中に飛び込む。

 ばしゃぱしゃぱしゃ。

 水面の水紋がいくつも重なりながら大きくなったり小さくなったりして消えていく。ダマと運転手は放置されたカヌーに乗り込むと、ゆっくりと岸を離れていった。優雅に水面に足跡をつけながら進んだカヌーは湖の真ん中まで来ると転覆した。

「!」

 ダマと運転手は水に放り出されると、平然と二人はクロールで岸に近づいてくる。カヌーに穴が空いていたのだ。何事も無かったように二人は岸にたどり着くと衣服を脱ぎ、枝に架けて干す。一時間ほどで衣服は乾燥した。二人はそれを着ると車に乗り込む。

 そして僕も車に乗り込むと、クルネーガラに向けて出発した。片道4時間もの道のりを僕らは何事も無かったように帰っていく。きっと寺についても何事無かったように食事をして、何事もなかったように眠るのだろう。それは何も特別な事ではなく、日常の毎日経験し得る、ごく普通のあたりまえの出来事なのだ。

 その出来事は日記に書くまでもない小さな小さな事なのだ。でもそんな小さい事の毎日の積み重ねが、ここスリランカでの生活を豊潤でかけがえのない物にしているのだ。

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