Saturday 10 September 2011

10.ケッタラーマ寺のつれづれなるままに 其の三。

 今日もまた茜雲の下、僕はトゥクトゥクで外出をする。寺より15分ほど北へ向けて走るとクルネーガラの街に出るのだ。その街の中心にあるエレファント・ロックこと”アトガラ”の細い坂道をトゥクトゥクはその小さなエンジンをグィングィンと鳴かせながらトコトコと登っていく。

 トゥクトゥクは辞書によれば日本国内でも200台以上が公道を走っていると云う事だ。日本国内では4サイクルエンジン660ccと2サイクルエンジン360ccの2種類があるみたいだ。

 その正規ディーラーは僕の地元の愛知県小牧市に店を構えている。(もしかしたら国内唯一のディーラー?)スリランカではスリーウィーラーと呼ぶのが一般的らしいのだが、僕の滞在しているケッタラーマ寺ではトゥクトゥクという名がよく使われている。

 ある日、同じケッタラーマ寺に住まわれている日本人の僧裕士さんがスリランカの僧ダマこと、ダマナンダーに「リクシャは日本の力車から語源が来ている」との旨を伝えられたらしいのだが、信じてもらえなかったとおっしゃっていたのを思い出す。

 山の腹より揺れる木の間を通してクルネーガラの夜景がちらと見える。座席の横では途中ホテルという名の露店で買ったパンが香ばしい香りを放ちながら袋の中で揺れている。10分の山道を抜けると頂上だ。クルネーガラの街が柔らかな夜に包まれる頃たくさんの人たちがこの岩山に登ってくる。

 カップルや家族連れや学校友達や観光客、本当にたくさんの人が登ってくる。目の前には大きな体躯で涼しい顔で座していらっしゃるお釈迦様の背中が見える。高さ27mものその白く大きな釈迦像は今日もクルネーガラの街を優しく見守っている。この場所は土足厳禁の聖地なので靴を脱いで歩いていく。

 お釈迦様の横を通り抜けるとアトガラからの夜景が目の前に広がる。その夜景に見えるのは夏の夜に舞う蛍のように闇に淡い瞬きを散りばめていた。その景色を眺めながら夕食のパンを頂く。スリランカのパンは美味い。日本の袋入りのパンは薬の味がしてとても食べれるもんではないが、ここでは袋入りのパンでも出来立て無添加の、そしてたまにほかほかのやつも見つかる。

 もちろん露店売りのパンも美味い事は云うまでもない。僕は袋から日本のカレーパンのようなパンを取り出しほおばる。アトガラの頂上に吹いてくる優しげな風を感じて食するパンは、目の前に広がるおぼろげな夜景と相まり、それが夏の終わりを感じさせ、少しセンチな気分にさせる。

 パンを食べ終わると、僕はトゥクトゥクに戻っていく。そう僕はこの夜景を見るためだけに寺を飛び出してきたのだ。そしてこの夜にあわく瞬く光たちはそれだけの価値があると思う。

Sri Lanka


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 僕はここに来る前まではジャングルというのは虫がとにかく多く、とてもとても日本人の僕が過ごせる場所ではないと勝手に思っていたのだが、そう思っていたほどに虫もおらずなかなか快適なのだ。これなら日本の山中の方がはるかに虫が多い。

 日本ならば山中の家の中で明かりをあかあかと照らして窓を開け放そうものなら蚊の大群がやって来るが、今僕はジャングルの中で部屋の戸を開け放して机に向っている。しかし虫はほとんど入ってこない。

 たまにでっかい名も分からぬ虫が飛び込んで来たり、軒下で大トカゲが寝ていたりして驚く事もあるが、それもそれほど大事ではない。天気の悪い日は蟻が雨を避けて部屋の中を列を作り移動したりするのが見れるのだがそれも愛嬌だ。

 いつだったか部屋の中に大きな蜘蛛が入ってきた事があって、ダマがほうきでそれを追い出したのだが、またまたその蜘蛛が部屋の中に入ろうとしたので僕がもう一本のほうきで侵入を遮り、それを外に放り投げた時があった。投げられた蜘蛛は地面に叩き付けられ動かなくなってしまったのだ。

 僕が「死んでしまったよ、蜘蛛」と云うとダマがすごく悲しげな表情を浮かべてたのを今でも良く覚えている。僕はその蜘蛛の死骸を眺めていると蟻がめざとくそれを見つけて、一匹が二匹、二匹が四匹となり、気がつけば蜘蛛の上を蟻の大隊が出来ていた。

 その蟻たちは長い長い列を作りどこかの巣穴まで蜘蛛の死骸を運んでいこうとしているようだったので、僕はその巣穴の場所をを確かめるために蟻の後を追いかけたんだ。どれだけ辿っても長い列が続くだけで、穴が見つからない。

 結局その穴がジャングルの中にその場所から数十メートル離れたところで見つかった時は、なんて長い距離を移動するんだと驚いた事があった。でも日本にいるときは蟻に興味さえ示さなかった僕が、ここまでして蟻を追っている僕自身に一番驚いたんだ。

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 ある日の昼下がり、ある僧とダマと僕で寺を出てトゥクトゥクでそのジャングルの中を走る。ココナッツの木やバナナの木の森の間を細い細い道がジャングルの中を縦横無尽に走っている。時々森が開けた場所よりこがね色の田んぼが広がって見える。

 スリランカの田んぼは一年に二回稲を収穫する二毛作がほとんどだ。だから目の前に開けて見える田んぼも8月9月にかけては収穫の時期なので虎刈りのところが多い。田んぼの収穫は家族総出でやる事が多く。自分の店を休んだり、子供たちも学校を休んだりして手伝っている。

 そんな中をトゥクトゥクは颯爽と駆け抜ける。僕たちはジャングルの中のある一軒の家の前で降りた。その家の玄関の前でその家族は出迎えてくれた。家の人は一人ずつ僧たちの足下に座り、静かに手を合わせる。スリランカの仏教徒のマナーだ。

 すると一人の僧が袂からおもむろに銀のネックレスを取り出して、右手でそれを掴むと先についている銀のペンダントを静かに揺らし始めた。その僧は振り子のようにペンダントを揺らしながら家の周囲を歩き始める。水脈を探しているのだ。

 この家族より井戸を掘りたいので水脈を探して欲しいとの依頼が寺にあり、それで僕たちはこの家にやってきたのだ。これもりっぱなお寺の仕事なのだ。もし水脈が真下にあれば大きくペンダントは回り始める。僧は家の裏に回ったり家の境界の付近を歩いたりしながら念入りに振り子の反応を見ている。

 なかなかペンダントは反応してくれない。いい水脈が見つからないのだ。そして調べること小一時間ペンダントの振り子はゆっくりそして大きく回り始めた。振り子は静かに反応した。ぐるぐるぐるぐると回っている。この真下に野太い水脈があるのだ。僕は木を拾ってくると、それをその場所に打ち込む。

 これが井戸を掘る場所の目印だ。そして僕たちの仕事は終わり、この家で紅茶とお菓子を頂くと寺に向った。トゥクトゥクで森の中を走ると茜色も薄くなり夜の帳が空を覆い始めてきた。寺に着く頃にはすっかり周囲は暗くなっていた。ふと僕が見上げると寺の木が夜に向って天に伸びている。

 その枝葉の中にひとつまたひとつと線香花火の終わる寸前の小さな火玉のようなものが光出す。それは蛍だった。まるで早いクリスマスが来たかのような静かなるイルミネーションが枝葉に騒ぎ始めていた。僕はぼんやりとそれを見ている。眼の先には収穫後の田んぼが広がっており、その田んぼの至る所で蛍が大きく小さく明滅していた。

 僕は蛍の単語が思いつかなかったけれど、とっさに声を上げた。
「フライング・リトル・ライト」
 すると周りから笑いが漏れた。

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