Friday 8 August 2014

33.新聞のコラムと世界の悲劇について。

ある朝の喧騒の中にあるアパートメントの一室で、床に数日前の新聞を敷いて、熱々のミルクティーと炙りをいれたカシミールパンをちぎりなら食べていると、ある記事が目にと飛び込んできた。この新聞はGreater Kashimirという名のスリナガルでも有名な地方紙で、日付は八月二日付けの中ほどのページに掲載されていたあるコラムが僕の目を惹いた。

『ガザのパレスチナの人々のために協力してください。



イスラエルに抵抗するために、若い人たちはフェイス・ブックを使わないようにしましょう。それはシオニストたちに一ヶ月につきRs10000crores(Rs100000000000=約二千億円)の損失を与えることになります。

文責:××××・ヤクーブ

八月一日スリナガル

カシミールの若い人たち、特に高校や大学の生徒たちに進言します。ガザに侵攻したイスラエルに対抗して一時的にフェイスブックを使うことをやめましょう。10パーセントのフェイスブック・ユーザーがアカウントの使用をストップすると、一ヶ月につき一千億ルピー=約二千億円の損失をイスラエルに与えることができます。これはそんなキャンペーンです。

今日ある大学の代表の女生徒がこう進言しました。ソーシャル・ネットワーク・サイトのフェイスブックはユダヤ人のマーク・ズッカーバーグが代表を務めるイスラエルの企業が運営しています。現在フェイスブックの収益は180億ドルに達しようとしています。(ビリオンをアメリカ単位で換算、イギリス単位で換算すると18兆ドル) もしフェイスブック・ユーザーが一時的にフェイスブックの使用をボイコットすれば、直接このイスラエル企業の収益を一ヶ月につき一千億ルピー=約二千億円減らす事が出来ます。

また別の女生徒がこうも言ってます。フェイスブックの一日当たりの情報量は50万GBです。十パーセントのユーザーがフェイスブック・アカウントの使用を一時的にもやめることが出来れば、その結果はもっと分かりやすく見えて来るようになります。フェイスブックの利用者が一時的にも突然減ることになれば、もちろんその理由はフェイスブックの中でも討論される事となるでしょう。そしてイスラエルに対抗したこのキャンペーンの趣旨がフェイスブック側に届いた時にはすでに、イスラエルの経済は一千億ルピー=約二千億円の損失を被っていることでしょう。もし仮に一ヶ月間に20パーセントのユーザーがフェイスブックの使用をボイコットすれば、それは一年間の100ものイスラエル製品やコンテンツを全てボイコットするのと同じ影響を与える事ができます。

多くの学生たちが路上のステージに立ち、ガザの人々のためにイスラエルに対抗しましょうと訴えています。またパレスチナへの侵略をやめるように訴えています。学生たちはこの夏休みの間、自分達の声がこの街角から広がり、若い人たちへ伝わっていくことを信じて止みません。』

こんな内容の短いコラムだ。なぜかインドの一番仲の良い国は、イランとイスラエルである。だからここインドではイスラエル人とイラン人が仲良くしている姿をよく見かけるし、喧嘩している姿もよく見かける。毎年スリナガルにはイスラエル人が押し寄せて来るのだけれども、今年ばっかりは、スリナガルで彼らを見ていないような気がする。さすがにイスラエル人もしっかりと空気を読んでいるみたいだ。今年のスリナガルのイード(ラマザーン明けのお祭り)は例年に比べてとても質素だった。それはイスラエルのガザへの侵攻の事もあり、とても素直に喜べる心境になれず、スリナガルの人々の心情に自制が働いたからだ。他国の人々の苦しみが、自分達の町の生活にも直接影響してくる。スリナガルの街を歩くと店先にガザの人々のために云々をしようというキャンペーン幕を良く見かける。もちろんそれはパレスチナの人々とスリナガルの人々は同じイスラム教徒という事もあるが、それだけでは計りしれない何かがあるのが感じられる。

もしタイの国境沿いで仏教徒が殺されたら、もしミャンマーの国境沿いで仏教徒が殺されたら、もしチベットでモンクが殺されたりしたら、日本のあらゆる小さな商店の軒先に、某国の仏教徒のために立ち上がりましょうという内容の旗がぶら下がり、日本中の商店街のいろいろな小道で学生たちがアジテイトする様子はちょっと想像できない。きっと日本では、いつもの正月はやって来るし、いつもの盆もやって来るだろうと思う。日本ではイスラエルによるガザへの侵攻をどう取り上げられているかはまったく知らない。日本政府がイスラエルに対して経済制裁をしようと動いているのかいないのかも知らない。また日本の新聞のコラム欄や社説にフェイスブックを使うのを控えましょうという記事が出ているのかどうかも僕は知らない。

Bruce Chatwin のTHE SONGLINES というとても良い本がある。その昔オーストラリア中の土地を歩き続ける文化を持っていた先住民族のアポリジニたちは、一本の長い道を歩いていた。ある日突然その道は白人たちにより閉ざされてしまう。白人は言う。ここから向こうは俺たちの土地だ。お前たちは向こうに行くことは許されない。その日以来アポリジニたちは長い間ひとつの土地に閉じ込められる事となる。この挿話が様々な疑問を僕が受け取るきっかけとなっている。それ意外にもこの本にはアポリジニが歌う歌で世界が作られる神話を探る話が、実に多岐にわたり、そしてとても深く描かれているので、興味を持った人には是非とも読んでいただきたい一冊だ。オーストラリアはアポリジニのものなのか?白人のものなのか?そのどちらでもないのか?きっとこの時代のあらゆるところで、同じようなことが白人たちによってなされていた事は簡単に想像できる。アポリジニは国という概念もしくは領域という概念を持たなかった民族なのだ。

トルコイラク北部・イラン北西部・シリア北東部等、中東の各国に広くまたがる形で分布する、国家を持たないシリア内のクルド人(右側)

それでは世界地図を見てみようか。アフリカや中東諸国にはまるで定規で真っ直ぐに引かれた線によって分けられたような国々がとても多い事が分かる。もちろんアメリカ大陸もご多分に洩れずそんな国々があるところのひとつだ。アフリカの部族たちもアポリジニたちと同様に国や領域の概念を持たなかった。そしてイスラムの部族たちもそうで国や領域の概念を持たなかった。遥か昔より彼らは自由に様々な土地を行き来していたのだ。そんな国境線を眺めているとそこに住んでいた部族たちの悲劇は簡単に想像できてしまう。ある日突然やって来て、土地に線を引き、その所有を宣言するのである。とても簡単な事だ。もしそれが拒否されればアングロサクソンたちによるアメリカ・インディアンの悲劇の歴史が物語っているようにただ殺戮してゆけば良いだけの話なのだ。どうにもこのアメリカ・インディアンとパレスチナ人は僕には重なって見えてしかたがない。



そしてイスラエルである。戦後エルサレムのあるあの場所にほとんど強制的に土地を中東諸国から取り上げて作られた国がイスラエルだ。それは欧米人たちが過去にずっとやり続けてきた失敗を近代に入りまた繰り返してしまったのだ。とてもうまくいくはずがない。またイスラエルがパレスチナに対して行われていることは、過去にナチスがユダヤ人に対して行ってきた事とほとんど変わらないような気がする。だからナチスとイスラエルの違いが結局のところ僕にはよくわからないし、根元的な部分では同じなのではないかとさえ思ってしまうのだ。



そして部族の話に戻そう。基本的に国家とか領域の概念は欧米国家と他の一部の国の概念で、それは到底この惑星のすべての土地に当てはめることができない。部族は移動しながら共存するものであり、そこでは様々な宗教と民族との融和ができていたのだ。そこに領域の概念を当てはめると歪みが出てくるのは当然だと思う。現在国家間紛争の問題を抱えている国の多くには、欧米国家により押し付けられた国境で苦しんでいる部族たちが数多く住んでいる。様々な問題の発端は明らかなのだが、それを解決しようとイニシアチブを取ろうしている国の多くは欧米人たちの国家だ。もちろん私利私欲でできているこのグローバルな世界がとても良くなる見込みはこのままだと決してないと思う。ではどうすれば良いか。

シリアのベドウィン(ノマド又は遊牧民)の少年たち。

僕はカシミールパンを二枚食べ、ミルクティーを一気に飲み干すと、頬杖をついて、うだるような朝の陽気の中、窓の外をただ眺めるばかりだった。名も知らない数百羽の鳥たちがパキスタンとの国境に向かい飛んで行くのが見えた。

"his bravest work yet....... No one will put it down unmoved."
                                              from Australian tail


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