Tuesday 5 August 2014

32.アパートメント。

スリナガルのラルチョークと呼ばれるメンバザールの喧騒から逃れ、西に少しだけ歩くとカシミールの古きジェラム川が悠々と流れている。その川に沿って歩くいてゆくと、道沿いには、アイスクリーム売りの屋台、果物売りの屋台、串焼き売りの屋台。搾りたてのジュース売りの屋台。甘味処の屋台などいろいろな屋台が並ぶ。僕は昨日、生ぬるく白いそうめんのような麺と少しとろりとしたアイスクリームが入っている容器に、不思議な汁を手桶からざばっとかけたものを食べたのだが、なんてことはない味だったけれど、その後すぐにトイレに駆け込む事となった。

そんなロシアンルーレットのような通りを過ぎると、いつしかジェラム川の支流の川原にある緑色の帽子をかぶった小さなモスクのそばの橋を渡り終えて、数えること二本目の道を右折するとそこにも細い道ながら小さな商店が続いている。その中にある牛乳屋が見える。一つ高くなった古い帳場のようなところに大きな銀色の金属の入れ物がいくつか並べてあり、その中には牛乳やヨーグルトがたっぷりと入っており、それらの手の届くところに頭にちょこんとのせたイスラム帽と長い髭を蓄えた親父が群がる蝿を払いながら座っている。日本の牛乳は紙パックで一リットルサイズのをスーパーマーケットやコンビニなどで手に入れる事ができるが、ここカシミールでは各家々が持ち寄った容器(主に金属の容器)に、親父が銀色の入れ物から柄杓ですくった牛乳やヨーグルトを入れていったり、又は小さなビニール袋に牛乳やヨーグルトを入れて持っていってもらう。そんな通りからふたたび細い道に入ってゆくと、大きな金属の扉が見え、そこをくぐると三階建てのレンガ造りのアパートメントが建っている。





そのアパートメントの三階の部屋に僕は逗留している。ラダックの友人が借りている部屋だが、苦学生らしく部屋の中には生活できる最低限のものしか置いていない。木張りの床はそのまま使うと二階が覗けてしまうので、そこには緑色のシートが敷いてある。シートの上にはガスコンロ一台、電気コンロ一台、炊飯器一台、食器洗い用の桶が一つ、トイレで汲んできた飲料水が入ったバケツが一つ、扇風機が一台、本棚が一つ、本棚の一番上の段には書籍、二段目、三段目には食器、調味料類がのっている。そして布団が数セット壁際に重ねられている。

三階の部屋の天井はアパートメントの屋根である。昼間は屋根で熱せられた部屋の中の空気はほどよいサウナ状態になるので、それを扇風機でかき回すとその熱が部屋中にまんべんなく行き渡る。サウナ好きにはたまらないが、そうでない人には違う意味でたまらない。今はモンスーン・シーズンでもあり雨がよく降るのだが、スリナガルの電気事情はとても貧弱で雀の涙ほどの雨が降っただけでも電気の供給は止まってしまう。これが夕食の準備中だったりすると、電気コンロからガスコンロに切り替えて料理を続ける。夜中だったりすると蒸し暑い夜の扇風機が止まるので、みな寝返りをうちながら、アチチーと独り言を言い、適度にのたうち回るだけである。そして暗闇からパチンと蚊を叩き潰す音が時おり聞こえてくる。



礼拝を促すアザーンの音は夜明け前から鳴り響くが、昨夜も電力の供給と扇風機が止まったので、心地のよい眠りに入ったのは明け方近くだった。朝起きて顔を洗い、歯を磨き、髭を剃るのだが、日本から持ってきた電気シェイバーは、知り合いにすね毛と腕毛を剃るのに手荒く使われ、カバーの金属の部分が壊れて中の歯が丸見えになってしまい、これを使い続けるとあごが血まみれになってしまうので、近所の店でT字型の剃刀を買うことにした。買ってきたインド製の剃刀をおそるおそる使ってみたのだが、これはよく髭が剃れたので、インド製でも使えるもあるのだという事を発見でき、驚くべき新たな世界が見えてくると、それはそれで今家宝となっている。

時おり外から聞こえてくる”ゲェ、ゲェ”という音はきっとカラスの鳴き声である。闇夜に激しく喧嘩する獣はきっと野犬である。塀の上を時にそろそろと時に駆け抜ける影はきっと猫である。残飯は川の堤防の上、塀の上、道の影になったところなど、いたるところに置いておくと、カラスや犬や猫がそれらを食べてくれる。いつしか隣の親父が残飯を道に捨てたところ、野良犬がやって来てそれを貪り始める。そして今度はカラスがその野良犬の横に着地してその残飯を漁りかけ、野良犬は食事を横取りされたと思い、カラスに飛びかかると、ウーと唸りながら首を激しく左右に振って、その噛みついた腹を食い破ろうとしていたところを見ていた親父は、すぐにその野良犬をエイヤッと追い払ったが、可哀想にカラスはすでに絶命していた。

トイレは三階から一階まで駆け降りて、中庭を突っ切った端の離れにあったりすると、ちょっとお腹が緩いときなどは時間との戦いになる。トイレの中にバスルームがあり、またトイレの中に洗濯するスペースもあり、このような共用トイレだとなかなか気兼ねしてゆっくり体や衣類を洗うことができないので、住人にはそれなりの神経の図太さが必要となってくる。でもこのアパートは一般的な方で、いつか僕は別のラダッキの友人が住んでいるとあるアパートメントに遊びに行った事がある。



友達のアパートに行く途中にちょっと魅力的なアパートがあったので、よく見てみると、それはきっとイギリス植民地時代からのもので、四階建てのそのシックな延び放題のつたで覆われているアパートはこうべを垂れるように右に大きく傾いていて、四階部分の屋根は抜け落ちてどうしても見当たらず、まるで廃墟のようなのだが、各窓辺には青や赤や黄色の洗濯物がぎっしりと干してあるので、人がしっかり住んでいるのが分かる。いつか住民が古い扉から出てくるのを見たとき、彼らはカシミーリではなくネパールからの期間労働者の家族のようだったが、そこからは貧困や貧相な様子は感じられず、一般的な普通の家族だったのを覚えている。時折そこに住んでいる自分を想像してみたくなる。部屋の中にもつたがはびこっていて、都会の中の森に住んでいるような感じなんだろうとも想像ができ、もしかしたらけっこう快適なのではないかとも感じ、住んでみないかと言われたらきっと迷ってしまうような、たまらなく不思議な物件である。



さて友達のアパートである。アパートの建物は見えるのだが入り口が分からない。となりの小さな縫い物屋に聞いてみると、床に座って古いミシンを繰っていた親父が手を止め、にんまり笑うと店に入ってくるように促される。店の壁には子供用の色彩鮮やかな服が一面にぶら下がっていて、きっと全てこの親父が作ったものである。そして親父は奥のドアを指差すとそこに入るように言う。僕がそのドアをくぐり抜けると猫の額ほどの狭い土地がそこにはあり、そこから隣のアパートへ螺旋階段が続いている。友人のアパートに行くにはこの縫い物屋の中を通らなければならなかったのだ。階段を登ったところにある二階の掘っ立て小屋が友人の逗留しているアパートメントである。一階部分はトイレとバスルームと洗い場兼用で、その二階部分が部屋である。アパートメントとはいっても物件はこの一部屋しか見あたらず、トイレは贅沢に使い放題である。そんな部屋は板で囲ってあるだけの簡素でいて粗雑な作りで、夢のツリーハウスのような雰囲気も醸し出しており、窓の一つにはガラスも何もついておらず、いろいろな小動物が自由に入ってこられる作りになっている。コンセプトはそんな素敵な感じなのだが、一見しただけでは、インドの工事現場によくある掘っ立て小屋にしか見えない。住んでいるものにしか分からないこの変な充実感がある。一帯全体このキテレツな物件をどこでどうやって探してきたのか問い詰めてみたくなる。



日本のアパートとはまったく異なるスリナガルのアパートメントは、やはり植民地時代からのとても味わい深い古い建物数多く残っている。もちろんそのほとんどが日本ならば、おとり壊しか改築しなければ居住許可がおりないものばかりである。もしここが西洋の国々ならば、それは中世からの古い建物に住んでいるのが画家や作家などの芸術家たちのような日々を思索にあけくれていうような人たちが住むようなところを、ここスリナガルでは下層から一般までの人たちが住んでいるところにとてつもない魅力を感じるのだ。こんなところで市井の人々の小さな物語が数多く日々産み出されているわけである。古い建物には何かしらドラマがありそうで、そんな意味でもいろいろ夢想してみたくなるのだ。


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