Wednesday 4 June 2014

8.チクタン村。

僕はカルギルの街にあるデグリーズ・カレッジの入学式での講演をなんとかこなすと、午後にチクタン村入りをした。5月下旬のチクタン村はまだ肌寒く、しかし子供たちの元気な声は村に溢れていた。




春のチクタン村は少し忙しくなる。麦畑を耕し、苗付けの準備、新築の家の建設、家の補修、ポプラの苗木植え、学生は新学期の準備、先生は新入生の受け入れ準備、春生まれたばかりの羊や山羊の世話、畑への水路の引き込みなど多くの仕事が待っている。



僕はポプラの苗木を畑のあぜ道まで運び、穴を50センチほど掘って、苗木を立てていく作業を少し手伝う。春になるとネパールからの出稼ぎの労働者がインドにたくさん働きに来る。チクタン村も例外ではなく、多くのネパーリーが働きに来ている。村人と僕とそしてネパール人の労働者は新芽が吹いたばかりのフィールドに腰を下ろし、そしてお茶の時間にした。



ネパール人労働者がバター茶を口に含むと口を開いた。
「いやーバター茶はいいね。これを飲むと故郷を思い出すよ。」
僕も一口飲む。
「ネパールも同じ味なのですか?」
するとネパール人がバター茶をもう一口含み、
「少し違うかな、ま、でも似たようなものだ。話は変わるが、ネパールと日本は絆がとても強い友好国だ。今、私の息子も日本の大学へ留学している。10万以上の費用がかかるので、それを捻出するためにインドに出稼ぎに来ているのだ。日本は賃金も高いが生活費もとても高い国だと聞いている。」
息子が日本に留学しているネパール人が、こんなインドの片隅まで出稼ぎにきて、そして僕という日本人に出会っている事に不思議な縁を感じた。ネパールからたくさんの人たちが日本で留学している。発展途上国、新興国からの学生たちにとって、日本への留学の一番の壁はやはりその費用と日本語習得の困難さだ。日本語が習得できていないとほとんどの大学へは進めないし、前段階の日本語学校にしたって、とてつもない費用がかかる。お金でしか回せない国と、そうでない国の仕組みのギャップを埋めるには大変だと感じる。

夕暮れ時前にモラビアン・ミッション・スクール・チクタンで小さな小さなイベントが行われた。このイベントはチクタン村にモラビアン・スクールが出来て以来はじめての催し物だ。生徒たちが歌や踊りや演劇などを披露して、チクタン村の人々に楽しんでもらうための催しだ。午後3時半、学校に続々と村人たちが集まってくる。学校の先生たちは去年より三人増えた。そんな先生たちもこころなしか緊張ぎみだ。さっそくイベントが始まった。



始めはギターの名演奏者で誇るアッサム出身の先生が奏でるメロディーに合わせて子供たちが歌い、そして踊る。最初は緊張ぎみの子供たちだったが、数曲進めるうちに心がほぐれ、笑みがこぼれ落ちるようになる。最後の曲になると全身で表現しながら楽しく歌い踊っている。中にはキリスト教的曲も含まれてはいるが、イスラム教とのコラボレーションは子供たちの世代では上手くいっているようだ。





次の催し物は演劇で、インドの家庭での日常的シーンから始まる。きっとこんな話だった。娘さんが家でお茶を出したり、料理を作ったり、洗濯をしたり、幼い弟たちの面倒を見たりして一日が過ぎ去ってゆく。ある日この架空の村に学校が出来た。するとその娘さんは学校に行き、家に戻ると家事手伝いの合間に勉強するようになる。なぜかそれを見かねたお母さんが娘さんの耳を引っ張りこう言う。
「勉強なんか女のすることではありません。家では家事をしていればいいのです。」
最後には出演者みんなによってこう締め括られる。
「インドでは多く村々で女性たちの学ぶ機会が奪われています。それだけではなく働く機会さえも奪われています。この演劇は女性たちの地位向上を訴えるものです。」
そして最後に出演者が大きな声で訴える。
「女性の地位向上を。ウーマンパワー!」
ここで興味深いのが日本の小学校ではこのような社会派演劇はあまり行われない。しかし多くのアジアの国々ではインドだけではなく、例えばスリランカの小学校でも社会派演劇は頻繁に行われている。中にはもっとシビアな題材もあって、小学生が最後に首を吊って死んでしまう演劇も見たことがある。それだけこのような問題は根が深く、いっこうに無くならないのだろうという事が容易に分かる。問題の根本は数千年も根付いている文化的宗教的な伝統的怠惰が社会よりも上に位置してる事だろうと思う。問題はすでに認識されているのだ。ただインド中を雲の巣のように張り巡らされたこの伝統的怠惰を解す術が解らないのだ。



次は先程のシリアスな出し物と変わり、楽しすぎるヒンディー・ダンスだ。先生が神妙にかつゆっくりとコミカルな呪文を読み上げながら、バイクにまたがりアクセルをふかす動作をさりげなくする。
「アワァナ・ブンチカ・ラカチカ・ブン」
すると子供たちもその呪文に呼応しながら同じ所作をする。
「アワァナ・ブンチカ・ラカチカ・ブン」
次に先生は動作を早くし、2回目のブンのところで両手でハンドルを握る真似をしながら、その右手は素早くスロットルを開けている。
「ブンチカ・ブン」
子供たちもすかさずその真似をする。
「ブンチカ・ブン」
これにはいろいろなパターンがあって、今はバイクバージョンだがここから泣きバージョンへと変わる。基本的には文言は同じに聞こえるが、動作がまったく変わる。先生がゆっくりと大袈裟に泣く動作をしながら文言を唱える。
「アワァナ・ブンチカ・ラカチカ・ブン」
すると子供たちも同じ動作をしながら呼応する。
「アワァナ・ブンチカ・ラカチカ・ブン」
そして先生は以下の文言でついには爆発的大泣きをする。
「ブンチカ・ブン」
子供たちもなんとかついていく。
「ブンチカ・ブン」
そして最後にはまたバイクバージョンに戻っていくのだ。先生たちのほとんどはチクタン村出身ではなく、ヒンディー語を主な言語として話すみんなも良く知る典型的なインド人なのだが、まぁそのノリが半端ではない。面白すぎる。なんでここまで覚醒できるのかと不思議で仕方がない。だから子供たちも大喜びだ。


そして次の催しのアーシャルアーツの真似も元気に終わり、最後には先生と生徒とご父兄の方々みんなでインド国歌を歌いお開きになった。あぁこのよく耳にするメロディーと歌詞は、今、流行りのヒンディー・ソングではなくインド国歌だったのだと始めて気づく。


そして日も徐々に暮れてゆき、山の端がわずか橙色に色づく時間になると、子供たちの声は家のなかに収まり、外は川のせせらぎの音だけを残して静寂がおとずれ、夕べの鳥たちはみな巣に帰って行った。


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