Wednesday 4 June 2014

10.チクタン城とプラタンと。

ジャファル・アリが家の敷地に腰を下ろし、ポプラの枝を10本ほど目の前に置き、その内一本を左小脇に抱え、その枝の太い方を両方の足の裏ではさみ、右手には小さな鎌を持ち、奥から手前に滑るようにして鎌でポプラの枝の皮を剥ぎ取っていく。彼の横には大きなポプラの木が立っており、その幹のへこんだ部分に剥ぎ終わったポプラの枝を数十本立て掛けてある。この枝は家を作るときに欠かせない部材で、例えばまず土台を作る。そしてその土台の縁を囲むようにして、石とか土とかで壁を作っていく。その囲むように作った壁の上に、このポプラの枝を敷き詰めて天井部分を作っていく。今はゲストハウスの二階部分の作成の準備にかかっている。土煉瓦を作り、ポプラに枝の皮剥ぎなどの準備をのんびりやっている最中だ。いつ完成するかは皆目検討がつかないが、あせらずゆっくりとやっていくのが賢明だと思う。




ちょうどこのゲストハウスから遠方にある木々の間に、崖の上から今にも滑り落ちてきそうなチクタン城が見える。朝の柔らかな光はヒマラヤの谷に優しく、そして日和も良いので歩いてチクタン城まで行こうかと思う。

ズガン・チクタンを出発するとすぐにチクタン村に寄り添うように流れる清流カンジ・ナラに架かっている橋を渡る。橋を渡り終えるとそこにチクタン村では、きっと今まで見られる事がなかった西欧風の黄色い色をしたモラビアン・ミッション・スクールのスクールバスが生徒たちを迎えに行く準備をしている。



そこを右折してカンジ・ナラに沿って古城、チクタン城に向かう。舗装されていないむき出しの道は車には厳しいが人には優しい。左手にはプラタンと呼ばれているそこでクリケットマッチができそうなほど天井部分が広く平たい台形の丘がカンジ・ナラ沿いに続く。しばらく歩くと川沿いに続いていたプラタンも終わり、見上げればすぐ近くまでチクタン城が迫ってきているのが木々の間より確認できる。チクタン城が乗っかり土台としている岩場は大きく川に向かってせり出しているので、僕が歩いている道もその岩場に沿って大きく迂回している。

その道を岩場に沿って周り終えると、道は真っ直ぐになりその両側に商店が続く。川は右手奥に向かって道よりどんどんと離れてゆく。そうすると道と川の間に広い土地が広がるので、そこは農地に活用されたり、病院の敷地に使われたりする。この村はカルドン・チクタンという名の村でチクタン村のメインバザールがここにあたる。このバザールを歩きながら振り返って見るとチクタン城を正面より眺め見ることができる。チクタン城は100年ほど前の王政が終わると共に、その王族の子孫が城の麓に住居を構える時、城から大量の石や土の煉瓦やら木製の装飾豊かな窓枠を持ち出して、城はまるで戦下で焼け落ちてしまったような今の姿になってしまったのだ。

バザール内を歩いてゆくと右手のガスショップ横にあぜ道の入り口が見え、それは裏手の農地へと続く。そこを入っていき、そのあぜ道は小さな水路に沿って作られていて、そのまま進むとポプラが横一列に並んでいるところに突き当たる。そこからあぜ道は右と左へ分岐しているが左へ行くと次の村への近道、左へ折れると緑の農地の向こう側の、岩場の上にそびえ立つチクタン城が、その美しい勇姿を見せつけている。



縦に並ぶポプラの木の前後左右に広がる麦畑、その向こう側には左手と右手に岩場が見え、その両岩場に間の遥か彼方には、今だ頭に雪を被っているヒマラヤの山々が見える。その右手の岩場の上には過去に重力を失ってしまったようなチクタン城の廃墟が、国破れて山河ありの詩に出てくるような風体を、青い空に向かって何かを思う残された花のようにただ咲いている。その空を100年前と同じように雲は流れ、100年前と同じように空は紺碧である。太古の自然の中に人がつけたわずかな引っ掻き傷は、時を追うごとに癒されつつあるし癒されている。城は花となり、花は時を歌う。

チクタン城から引き返す僕は、途中ヒマラヤのグランドキャニオン事、プラタンの登頂を試みる。とは言うもののたかだが30分ほどで山頂にたどり着く事ができるし、しかも車道もしっかり山頂まで続いている。僕はその車道を登っていくのだが、それはプラタンの周りをとぐろのように巻く形で作られている。その道を辿ってプラタンの裏側に出てみると、人の痕跡が確認できないなめし皮色をしたヒマラヤの尾根たちが、押し寄せては消えていく大海の波頭のように躍動しつつ連なっている。そんな山々の原始な様を見ながら、いつしか僕はプラタンの頂上にたどり着く。


プラタンの頂上は平たく広大な大地のようになっており、クリケットマッチは出来そうだが、強打者が現れるとその飛球はプラタンの縁より深い谷間に消えてしまいそうだ。この場所に今年モラビアン・スクール・チクタンの新しい校舎が作られる予定だったが、少し順延して来年の着工予定に変わったらしい。このような高所で吹きさらしの場所に学校が出来ることはとても想像しがたいが、確かこのエリアのシャカール村というところのハイヤー・セカンダリー・スクール・シャカールという学校がここと同じような高所に作られている事を思い出す。頂上にもしっかり車道の跡がつけられていて、僕はその跡に沿って歩を進める。その跡より逸れて、僕はプラタンの縁からチクタンの村を見る。足元は直角に深く奈落の底に向かっているが、高みから望み見るこの素晴らしい風景は、彼方にヒマラヤの白い尾根が見え、その麓からプラタンへ真っ直ぐ緑輝く農地が続いている。


ヒマラヤの谷は深く狭く、3000メートルというこの場所に悠久の昔に人は入り込み、開墾し、住み、耕し、エメラルドグリーンに輝くこの村を作り上げた。人はいつも自然と寄り添い、抗う事なく、恵みを享受し、分配し、生きてきた。それは人の核となる部分で、それを失うと人はきっと人として生きていくのが難しくなるのではないかと思う。自然を味方につけると人はとても強くたくましく生きていけるし、とても賢くなれる。自然は知の図書館のようだ。人が生きていく上でのヒントがたくさん隠されている。僕たちはいつもその側にいて、好きな時、好きな場所でそのページをただ繰るだけでいいのだ。




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