2014年6月4日水曜日

11.あるロシア人との会話。




ペンキを塗り終えたばかりのようなその茶屋の壁はまるで新しい店のようにてかてかと光ってはいるが、部分的に崩れ落ちている土煉瓦壁の質感や数年かけて汚れたのだろうと思われるガラスなどから、とても古い店だろうという事が分かる。そして僕とウラジミールはその店の一番奥にあるテーブルを挟み向かい合わせに座っている。この時期の朝のカルギルの喧騒は、冬が解け、春が歌う風物詩となっているが、その店の奥のテーブルからは、それは全く感じられない。



僕とウラジミールが出会ったのは、カルギル・ディストリクト・オフィスでチクタン・エリアの今期二度目の入境許可証(インナー・ライン・パーミット)を取りに行った時の事だ。オフィスから声を荒げている声が聞こえたので覗いてみると、赤いパーカーを着た神経質そうな一人の長身の男が、カルギルのオフィサーに抗議をしていた。話を聞いてみるとこんな感じだ。男はインド・パキスタン国境沿いの村バタリクに行きたがっている。しかしオフィサーはそのエリアの許可を得るには、最低四人のツーリストとの同行が必要なので、ロシア人あなた一人のためだけの許可証は出せないと言う。男は政府系のツーリズムのパンフレットにはそんな事は一言も書いてないじゃないかと言う。そこに僕が割って入ってオフィサーにこう提案をした。僕が行くチクタンエリアと男が行くバタリクエリアを一括りにして一枚の許可証に僕と男の名前を書き込む。四人のツーリストは集められないが、こんな事でインドとロシアの関係に亀裂が入るのはあなたにとっても得策ではない。悪い話ではないと思うんだがいかがかな?オフィサーは一瞬考えたようだったが、この内容で快く承諾した。ゆえに僕らはチクタン・バタリクエリアのインナー・ライン・パーミットをなんとか得る事ができたのだ。

そして翌日のカルギルの茶屋である。

僕は茶屋の主人にチャパティにサブジーこと野菜のスープとミルクティーを注文する。

「時に日本では昔からロシアと言えばシベリア鉄道が人気で、また僕もいつかは乗って見たいと思うのだが、その事についてどう思われるかね?」

ウラジミールは注文したチャパティを二枚重ねて炒めたパラタにサブジーを浸けて一口頬張るとこう言う。

「あんなものに乗るなんて正気の沙汰とは思えないね。いいかね、電車の中で何日も過ごす事になる。一歩も外に出られない。窓から見える景色だけでロシアの自然を満喫するだと?いったい全体それになんの意味があるのかね。もしあなたが本当にロシアを味わいたいのなら、悪いことは言わないとにかく歩きなさい。」

ウラジミールは会話の合間にミルクティーを一口啜ってこう続ける。

「よろしい私がここにロシアの旅のプランを示して見せよう。あなたはまず日本から船でウラジオストクに上陸する。あなたはウラジオストクに二日ほど滞在する。」

そして一息おき、パラタを頬張るとまたこう続ける。

「次にパターンが二つに分かれる。ひとつ目はウラジオストクからクザスニャズスクに向かう。ここはとても美しいところなのでいつか行ってみるといい。もうひとつはウラジオストクからイルクーツクに向かうプランだ。イルクーツクにはバイカル湖がある。ここはまだまだ手付かずの自然が残されていて、湖とその周辺の森は大変美しい。」

ウラジミールはウォッカをあおるようにミルクティーをあおる。

「次にあなたはイルクーツクからノヴォシビズスク方面に向かうバスを捕まえる。そして途中アルタイであなたは下車する。イルクーツクからアルタイまでは20ドルから30ドルほどで行ける。このアルタイは私の中ではロシアで二番目に美しい場所に数えられる。広大な緑広がる高原の向こうにその姿が凛として美しいアルタイの山脈が見える。あなたもイメージしてみるがいい、あなたはその偉大なる自然の中を歩くのだ。」

ウラジミールはパラタが無くなったので茶屋の主人にパラタとミルクティーの追加注文をする。そして続ける。

「アルタイを満喫したらまたバスを拾いノヴォシビズスクに向かい、ノヴォシビズスクからとうとうあなたは西の果ての首都モスクワにたどり着く。モスクワであなたは一週間ほどいくつかの博物館を見学しながら過ごすといい。モスクワからサンクトペテルブルグまでは列車に揺られ一泊二日20ドルほどで行くことができる。とても良い町なのでそこに向かうのもよかろう。そして最終目的地、あなたはロシアで一番美しいクリミアに向かう事になる。」

僕はクリミアの名前を聞いて一瞬驚くのだが、これはきっと僕たち西側諸国とロシアの東側諸国とのクリミアにおける報道のされ方の違いにほかならない。西側からしてみればクリミア半島をウクライナからロシアが力ずくで奪い取ったように見えるが、この事件はロシア側からしてみればウクライナのロシア系住民を混乱の渦中から救ったヒーロー譚にすぎない。ウラジミールは僕が驚いた様子をみてとりこう言った。

「Japanese born to work.  Russian born to fight.」

そしてニヤッと笑うとパラタにかぶりついた。そして続ける。

「モスクワからクリミアまではフライトで130ドルほど。クリミアの空港コードはSIP。スカイスキャナーズでも使って検索してみるといい。ベストシーズンは5月8月9月だ。しかし4月がら10月までは通してまずまずのシーズンだ。」

いつしか日本とロシアの文化の話になる。僕は日本について古い文化から新しい文化までを語った。

ウラジミールはグラスの縁を見つめたままこう言った。

「コミュニズムがロシアからすべての文化を奪い去った。」

その鮮烈なまなざしは、僕を一瞬ざらざらとしたある種の世界へ引き戻した。そして平和という名ばかりの破片が胸の奥深くにするどく突き刺さったまま取れなくなった気がした。






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