Sunday 11 May 2014

4.ストク・トレイル



朝に僕はダンマ・ハウスに併設されているイングリッシュ・スクール前の土地に石を積んで土留めにする作業をし、その後、裏山のトレイルに出掛けた。両側が土レンガでできている塀に囲まれた細い道を行く。しばらく進むと木陰に一列に並んだチョルテンが立っている。静かな朝で風は凪ている。耳を澄ませると聞こえるのは鳥の声だけだ。今日はトレイルにはとてもよい日だと思う。暑くもなく寒くもなく、そして空は晴れ渡り、ほんの少し春の香りがする。チョルテンたちの横を通りすぎると人と動物が行き交う際にできた跡がヒマラヤの山肌に続く。その跡をたどりつつ、徐々に高度を上げていく。一年通して乾燥しているラダックでは山々ももちろん例外ではなく、そのさらさらな山肌は時に旅人たちの足を止める。たとえヒマラヤの中では低い山でも、高度三千メートルを越えるこのラダックでは,酸素量が地上の2/3ほどになるので、疲れはすぐにやって来る。





滞在しているダンマ・ハウス兼イングリッシュ・スクールでは毎朝6時に起きてジョギングをする。とは言ってもたかだか一キロぐらいなのだが、しかもほとんどは歩きでなかば少し走るだけだ。にもかかわらず圧倒的な酸素量の不足でバテるのは早い。海と共に育ってきた海洋民族の日本人と山の民のラダッキとはやはり体の作りが違う。彼らは山の中でどこまででも走ることができる。・・・ところは見た事がないが。



振り向くとストクの農地が澄んだ空気の中に広がっているその姿は、まるで天空に浮かぶ村の様である。小麦色をした山肌に一本の長い線が引かれている。その線は時に二本になったり三本になったり、時には離れた線が一本になったりまた離れたりしながら、山の周りをぐるりと回り、いつしかつづら折りになりながらどこかに続いている。人や動物がつけたその跡は山の頂きに続くもの、山の縁をなめながら後ろの山に続くもの、そのままどこかの村に続くものと様々である。それは山肌についた引っ掻き傷のような道だが、どこに続いているのかさっぱり分からないので少し迷ってしまう。山頂を目指すならそのまままっすぐ登ればたどり着けるかもしれないのだが、山の中腹を過ぎると傾斜がきつくなり、それではきっと滑り落ちてしまう。道を間違えたならまた戻ってこれば良いのだし、ルートは無数にあるので、それはそれでちょっとしたパズルのようでもある。





山の中腹に少しだけ平らな場所があり、そこに石を積んで作られた小さな塔が二つ並んでいる。いつも思うことなのだが、その塔は宗教的な意味があるのか、はたまた道しるべなのか、村人のただの戯れ事なのか、また日本にある願掛けのような風習なのかとちょっとだけ考えてしまう事がある。そしてそこから延びるルートは二つあり、一つは山を降りていっているように見えるルート、もう一つは山をまるで垂直に登っているように見えるルートだ。きっと山を降りていっているように見えるルートは隣の村とか隣の山とかに続いているのだろう。ならばもう一つの山を垂直に登っているように見えるルートにめぼしをつけた。登るのは容易くなさそうだが山頂に続いているように見えるルートはこれしか見当たらないのでこれで登る事にする。



この道は山肌は乾燥している上に、すぐにがれ石に足をとられるし、登っていくにしたがって傾斜はきつくなるで、七転八倒なコースだ。ついには山肌にかすかについた傷のようなルート跡も消え、ルートとも呼べなくなってしまった。ともかく山頂までは、今となってはどこもひどい傾斜なのだが、それでも一番まともな足を置ける場所を探しながら行かなければしかたがない。足の踏み場を間違えるときっと滑落してしまうし、ここで引き返すのは、谷側に思慮なく身を投げ出したスノーボーダーのようなもので、どうぞこのまま滑り落ちてくださいと言っているようなものだ。今は傾斜のきつい山肌にへばりついて、にっちもさっちもいかなくなった、哀れなスパイダーマン状態なのだが、悲観的になっている余裕もないし、同情を買う余裕もないし、買わせる相手もこんな人里離れた僻地にはいない。しかしなんとか僕にも運の残りを少しは持ち合わせたらしく、手がやっと頂上に届くと、ぐぃと体を持ち上げた。




頂上から望むストクの光景は絶品だった。おいしそうなウェアハースをパッチワークのように一面に敷き詰めたと勘違いしてしまいそうなその眺めは、まさに地球の遺産と言っても過言ではなかった。山の縁を覗きこむと中腹を通って下り、隣の村にでも抜けていくように見えたルートは、山の裏側を周りながらまた戻ってきていて、緩やかなで優しいラインを描きながら頂上に向かっていた。それは僕が通ったルートとも言えないルートよりも明らかに容易く見えた。見上げると空はどこまでも澄みわたり、そこに飛行機が一本の白い線を描いていた。





後方には、同じ高さの山がいくつも連なっているのが見え、頂きから頂きへの移動は尾根伝いで行くととても簡単そうだ。僕は尾根かけ降りたところで、それはすぐに緩やかな登り坂に変わり、そしてそれをかけ登っていく。その山の頂上には大きな石積みの塔が立っていて、それはタルチョの旗で何重にも巻かれていた。塔の横からちらりと遥か向こうに見えるものは標高6000メートルを越えるストク・カングリ雄姿であった。



尾根伝いに次の山に渡ると、その山はストクの一番端の山で、そこから見える景色にはちょっと息を飲んでしまう。広大とか雄大とかの言葉が非常にちんけに思えてしまう。レンブラントでさえもこの光景を描くのは難しいだろうし、ミケランジェロでさえもこの光景を彫刻するのは難しいだろうし、ベートーベンのシンフォニーでさえもこの光景を産み出すのは難しいかもしれない。僕は今、山の端のきっと世界中で一番の特等席に立っている。右手のはるか彼方から世界を渡り歩いてきた大河、インダスが悠久の時を越え流れ来るのが見える。僕の目の前を事もなく流れ進んでいき、左手のはるか彼方にそれは消えていく。大河の背には日に照らし出されたヒマラヤたちが各々白き帽子を被りつつ、その雄々しい姿を惜しげもなくさらけ出し、世界の一部を作っていた。この瞬間の目に見えるもの、肌に感じるもの、聞こえるもの、香るもの、舌先に触れるもの、心の奥底で震えているもの、その全てがいとおしく感じた。僕は今世界の子宮に抱かれている。そして明日もきっと新しい自分が生まれてくるのだろう。ヒマラヤのどこかで揺りかごに揺られている自分がいるのかもしれない。



0 comments:

Post a Comment

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...