Sunday 11 May 2014

2.レーの街。


「ヴィヴェック、ほとんど無償のイングリッシュ・スクールや貧しい子供たちへの援助とか一体全体そんなお金どこからでるんだ?」
「ホンジョ、お金はいつもない。何かをするのに始めにお金の話をしてはならない。もし最初にお金の話をしたら、必ずそのプロジェクトは失敗する。お金がなくとも、ともかくするのだ。それが本当にすばらしいプロジェクトなら、お金はどこからからか生まれてくる。多くの私の友人はいつも言う。”お金がない。このプロジェクトは破綻するかもしれない。” 私はいつも言う。”大丈夫だ。すべてうまくいく。” そして最後には必ずうまくいく。」



車のハンドルを握るヴィヴェックの横顔に明かりが射す。

「例えばこんな事があった。私はそのころ小さなイングリッシュ・スクールを開いていた。生徒も増え、古い建物は手狭になってきていた。もちろん新しい学校を建てるためのお金なんかない。ある日の事だった。レーの街のにあるシャンティー・ストゥーパの麓の小さな小さなお寺に行った。私の兄が住職をしているのだ。ちょうどそこにイギリスからの観光客が来ていて私たちは他愛のない話をした。ところが私がイングリッシュ・スクールの先生だと知ると是非出資させてほしいと言う。私が丁重にお断りするもなかなか引き下がってくれない。ついには私の方が折れてしまい、後はトントン拍子に事はすすんで、とうとう去年に新しいイングリッシュ・スクールは完成した。そして今や多いときには100人もの生徒たちが寝泊まりできる大きな学校になった。」

レーの街が見えてきた。

「またある時はこんな事があった。私は講演のためビルマに行った。慣れていない旅行のため病気で倒れてしまった。そして現地の病院に入院したのだが、医療費がとても高くて払えない。どうしたら良いのかと路頭に迷っていると、どこから聞きつけたのか、以前私の講演を聞いた人が駆けつけてくれて、是非医療費を支払わせて欲しいと言う。私は彼の善意に甘える事となった。講演は無事成功に終わり、彼とは今も大変いい関係が続いている。」

レーの街を歩いている。

オフシーズンなので観光客は少ない。しかしカルチャカが近いので街中は工事でてんやわんやだ。だから僕は静かな地区を歩くことにする。トラベル・エージェンシーが立ち並ぶ街角を起点にして山側へ歩いていく。徐々に街の喧騒から遠ざかり、次の角を曲がると子供たちのさえずりが聞こえてきた。看板にミッション・スクールという文字が書かれている。その下にはモラヴィアン・スクールはっきり読み取れる名前がある。このモラヴィアン・スクールはあのチクタン村に新しく入ってきたレーでの分校だ。新しい校舎は今年建設される予定で、チクタンの村はまた賑やかになりそうだ。

モラヴィアン・スクールの前を通りすぎ、閑静なゲストハウス街を歩いていく。人影はまだらで、たまに自分の巣に帰る西洋人の姿が見える。石垣に囲まれた細い路地が縦横無尽に走っており、伝統的な作りのゲストハウスがところせましと立ち並ぶ。時々おもしろそうな店もあるのだがそのすべては閉まっている。ジャーマン・ベーカリー・ショップ。ライス・ボール・ショップ。和カフェ。アジアン・レストラン。かわいい店たちの前をただ通りすぎる。そんな店並みとは対照的に大きなマニ車があったり、古そうな小さなマニ車が立ち並んでいたりする。時々伝統的な朱色の服を着たお婆さんがマニ車をカラカラと手で回している。そんな光景を目撃すると、ここは小洒落たストリートなどではなく、チベット仏教圏なのだと気づかされる。



石垣の合間より小高い山頂に立つ白いストゥーパが見えてくる。その山の麓にたどり着くと、シャンティー・ストゥーパまで続くつづら折りの長い階段を仰ぎ見る。ここを登るのは何回目だろうか。一歩一歩階段を登っていく。地上の半分ほどの酸素量は早く体力を消耗させる。意識して足を持ち上げ階段を踏み込んでいくのではなく、あくまでも自然に歩を出していく。決して急がず、ゆっくりと、一歩一歩身を任せつつ、かつしっかりと登っていく。階段の中腹にも小さなストゥーパがあり、小休止してみる。振り返れば広く深いラダックの光景が視界を覆う。今日のように暖かい日に出会うとラダックの光景もまた違って見えてくる。凍てつく厳しい冬に優しい木漏れ日が射してくる。春が近いと実感させられる瞬間だ。



また階段を登り始める。山頂に近づくにつれ傾斜がきつくなる。階段の折れ方がタイトになってくる。ゆっくりゆっくりと登り続けるときっと頂上にたどり着ける。時には休みながらゆっくりと目指すのだ。そんなに急がなくてもいい、またずっと立ち止まって動かずにいるのもまた一つの人生なのかもしれない。ただゆっくりのんびり歩き続けるのだ。そうすればその先にきっと見えてくる。あなたの目指す物が見えてくる。ほらね。




頂上のにあるシャンティー・ストゥーパの白い肌は青い空にとてもよく似合っていた。レーの街が一望できるここは、僕にとっても、観光客にとっても特別な場所だ。風が心地よいのは、ある種の達成感とここから見える素晴らしい景色にまた巡り会えたからで、実際の風はとても冷たい。もし道半ばで諦めていたら風はまったく心地よく感じられない、ただの冷たい風のままだ。そして手すりにもたれかかりながら、よりいっそうこのパノラマを感じてみる。レーの街はヒマラヤに優しく抱かれながら広がっており、その向こうにはラダックの原野が続き、そのはるか向こうもまたヒマラヤである。長く続く遠くのヒマラヤの尾根は空と繋がっており、その空は天を駆けて、この自分がいる山頂と繋がっている。不思議なものである。結局僕たちはすべての物と繋がっており、影響し合って生きている。確か星野道夫さんがこんな事を言っていたのを思い出す。少し違うかもしれないが、思い出すままに書いてみる。
「僕たちは都会の喧騒の中にいながらにして、はるか遠くのアラスカにいるジャッカルの息吹を感じる事ができる。」
僕たちが満員電車の中で揺られている時に、世界のどこかで例えばヒマラヤで雪豹が雪原を渡り歩いて見つけたマーモットに飛びかかっている瞬間が演じられているのかもしれない。僕たちはある瞬間に別の世界を生きている何かを感じる事が出来るときだけ、きっと世界と繋がっている事を感じる事ができるのかもしれない。








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