2012年5月3日木曜日

3.東洋のスイス。

今日の朝もスリナガルは濃密な霖霧と壮言なアザーンのこだまの中にあった。雄大で湿った濃く深い緑の山々を、古い木製の窓枠を通して眺める事が出来る。朝食の卵に浸したカシミール・パンのギルダと塩茶を食べ終わる頃には、雨も徐々に上がりかけていた。スリナガルの雲の間より姿を現した太陽で、壁面に掛けられた洗濯物を、アパートたちは気持ち良さげにその背中で乾かし始めた。ダル湖に出かけるにはいい陽気だと思った。

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アパートを出ると7人のチクタン村の住人とスリーウィーラー(三輪オートタクシー)を捕まえるために、砂ぼこり舞う道路上で立っている。白いスカーフを頭に巻き紺色の制服姿の学生たちが同じ方向に向かって歩いている。大八車に緑赤白の色とりどりの野菜を乗せた男が、車の間をよろよろと引っ張りながら、大声を上げつつ客呼びをしている。縫い物屋の店先で暇を持て余していたカシミール・コートを着たひげ面のおじさんは、くしゃくしゃのライジング・カシミール紙を取り出して紙面に目を漂わせている。そして道路の両側に並ぶ古く少し崩れた赤煉瓦作りの家々は、みんな少しづつ傾いていた。

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そうしているうちに一台のスリーウィーラー僕らの前に止まった。僕ら7人はスリーウィーラーに乗り込むと、定員オーバーで破裂しそうなその車は、苦しそうなエンジン音を鳴かせながらダル湖へ向った。喧騒のスリナガルの街を抜けると15分ほどで左手にダル湖が見えて来た。朝のダル湖の湖面は眩しくキラキラと輝いている。水面すれすれに水鳥の群れが広がりながら飛び交っている。そして彼女たちの背中もまた、スリナガルの朝の太陽で美しく輝いているのだ。湖の淵のハウス・ボートはゆったりと波打つその波間で、ゆりかごのように揺られて停泊している。

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ダル湖の西岸には緑が目に沁みる程の美しい山々が、湖を見下ろしている。初夏のスリナガルは空と湖の青と木々の緑と街部の茶がちょうどよく混ざり合い、東洋のスイスたる煌めくコントラストを生み出している。そこからしばらく20分ほど湖の西岸を舐めるように走る。左手には青く煌めく湖、右手には天高くそびえる緑濃い山々を眺めつつ、標高1600メートルのスリナガルの涼しい風の中を進むと目的のシャリマ・ガーデンが見えて来た。

シャリマ・ガーデンはイギリス式に作られた美しい庭で、自然の中に作られた人工的な左右対称の作りが、日本での借景的な庭とは違うので、少々困惑させられる。しかし庭の中心にまっすぐに伸びた水路の周りには色とりどりの花が整列され、そこで咲き誇っているが、風に漂う風花が心地よく匂う様は、整列や混沌、人工や自然の区別は無く、有史以前よりあたりまえのように続いている大地の血潮なのだ。水路の真ん中にも真っすぐ噴水が列をなして優しく協奏曲を奏でている。僕たちは濃い芝生に座りしばらくここで旅の休憩をとった。

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シャリマ・ガーデンを出ると、僕たちはバスに乗り込み次の庭に向う。ダル湖の古バスはいつも満員で地元の人、観光客を問わず賑わっている。今度は右手にダル湖、左手に山々を見つつ次に向う。ニシャット・ガーデンに到着すると僕たちはさっそくバスより吐き出された。

一人10ルピーの入場券を買い、ニシャット・ガーデンに入る。切り出した石に美しい模様を刻んで積み上げた古い壁が入り口の門になっている。その門をくぐり抜けると左右対称のムガル帝国時代に作られた庭が広がる。

真ん中を貫く歩道を歩き後ろを眺め見ると、広大なダル湖が広がっており、その一直線上に孤島が浮いていて、そこに古い古い木造の橋が架かっているのが見える。そのもっと奥の対岸の丘の上には、悠久のハリ・パルバット城がうっすらと浮かび上がっている。そして正面をみると緑の山がニシャット・ガーデンの真後ろにそびえ立っている。

この広大なる庭はその正面の山とダル湖に浮かぶ孤島の一直線上に作られている事が分かる。しばらく中を歩くと、古い石の壁が右から左にまっすぐ伸びていて、たくさんの蔦がそれに絡み付き、壁は僕たちに多くを語らずもひっそりと時代を語っていた。そしてまたしばらく歩くと左右に伸びる古き壁がある。またそれを乗り越えてしばらく歩くと古き壁があり、それも乗り越えて庭の最深部までいき振り返ると、段々畑をお流れ落ちる用水のように真っすぐ伸びては、下に落ち込み、また真っすぐ伸びては、下に落ち込み、また真っすぐ伸びて、その先はダル湖につながっている。山から流れてくる川がムガル帝国時代に作られた庭園の中を通りダル湖に流れ出しているのだ。

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その水は再び水蒸気となって天に昇り一筋の雲になり、また山に雨として降り注ぎ、またふたたびダル湖に流れ返ってくる。それは人と関わらない所で輪廻して、そして人と関わり合いながら輪廻して、また人と関わらない所で輪廻を繰り返す。気の遠くなる程の昔から、気の遠くなるほどの未来へずっとずっと続いていくのだ。

ニシャット・ガーデンを出るとまた僕たちは古バスに揺られながら次の目的地に向う。途中のダル湖が見える湖岸でバスを降り、そこから山側に向って歩いていく。左手にボタニカル・ガーデンを見つつゆっくりゆっくりと坂の道を登って行く。ボタニカル・ガーデンはカップルたちの聖地になっていて、覗き込むと池にたくさんの手漕ぎボートが浮かび、カップルが語らいでいるのが見える。

歩く事30分、山の腹にシャシマ・シャイ・ガーデンが見えて来た。ここは山の中腹より流れ出した神秘の水がわき出す所に作られた庭なので、入り口をくぐり抜けるとすでに多くの観光客で溢れかえっていた。たくさんのペットボトルを持参した人々が泉に列を作っている。僕は山の澄んだ空気と濃い緑に育まれたこの庭の泉の列に並ぶ。その泉が湧き出る建物は大きな茶色のスクエア型に尖った緑の屋根を被っていて、これもムガル帝国時代につくられた聖なる泉のためのものなのだ。

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僕の番が番がまわって来た。両手を柄杓型にして、流れ落ちる水に触る。冷たい。カシミールの山で長い年月をかけて濾過されたこの神秘の水は、キンキンに冷やされたところが両手に流れ落ちた。この沸き立つ神秘を両手ですくって口にもっていく。
うまい!
硬質な水なのに口の中で柔らかく弾け、無味なはずなのに、微かな甘みがゆっくりと鼻に抜ける。このまろやかで甘い奴が口元からこぼれ落ち、左手の袖口でぐいっと拭い上げると、再び神秘なる奴を両手で救い上げ口に持って行く。一度目は口で二度目は喉で味わう。のどが鳴り、胃袋にさわやかなところが落ちて行く。そしてゆっくりと立ち上がり仰ぎ見ると、傾きかけた太陽が今日もまた庭に長い長いいく筋もの影を作り、風が出ててくると上昇気流と遊んでいた鳥たちは隊を成して山に還っていく。そして僕も濃密な無となり街へ還って行く。

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