Tuesday 1 May 2012

1.初夏のスリナガル

インド一の厳しい警備を誇るスリナガル空港を出て、友人の車に揺られて街中に向う。スリナガルの喧騒は毎年相変わらずなのだが、デリーのちゃんこ鍋をひっくり返したような怒濤の喧騒とは違い、それらは昔ながらのトレーダーの街としての喧騒だ。

それでも交通のルールはあってないようなもので、時々気を抜いた走りなどをしていると、正面から逆走してくる車や、道のど真ん中をどこ吹く風かというような趣で口笛を吹きながら走っている自転車に出会い驚く。

ここでの5月の昼の気温は32度にもなるが、前日に味わったデリーでの42度に比べると涼しく感じられるし、日本でのねっとりまとわりつく菌糸のような湿度もないので、からりとしている。しかし時折射すような日差しは痛く感じられた。

運転席のユスフの横顔も去年とかわらずで無精髭を蓄えた若き学者のような横顔にスリナガルの午後の太陽が容赦なく差し込み、ヒマラヤのその白き青年をほんの少し黒く逞しく見せている。

スリナガルの繁華街ラルチョウクに立ち並ぶ店たちの鼻先をかすめて、その先にあるジェラム川にかかる橋を渡り、右折してしばらく行くと目的のアパートはあった。

srinagar



アパートはコの字型をしており、その開いた部分がジェラム側に面している。アパートの窓を開くと柔らかな風が部屋で渦を作り、そこから見えるジェラム側の水面がスリナガルの午後に照らされて静かに揺れ、そこには対岸の建物が映り込んでは消えていき、まるで世の儚さをみせつけているかのようでもあった。

対岸の建物の中にはインド軍の古い寄宿舎も見え、そのテラスには銃を持った兵士が右へ左へと所在無さげに移動しながら警備をしているのが見える。時折その兵士と目が合うが、兵士はそんな事には気にも留めない様子で、彼はひたすら形だけの警備をしているようであった。その兵士はいつも対岸のこのアパートの住人たちと目を合わせているのだろうかと思うと少し心楽しくなる。

srinagar


寄宿舎の隣では古いヒンズー教の寺院が深くて厚い鉄条網に守られいるが、当の寺院は昔から何食わぬ涼しい顔をしてそこに鎮座しているのが見てとれる。

そしてこのアパートの一室はユスフの家族がスリナガルに滞在する時に借りた物件なのだが、今はチクタン村の人々がみんなスリナガルに滞在する時に必ず使っているので、その日にちが重なってしまうと8畳ほどの部屋に10人近くの人が泊まる事もある。

今日は僕がスリナガル入りするという事を聞きつけてチクタン村から数人がこの部屋に訪れていた。去年取った写真をザックから取り出し、みんなに見せてやると、みんなは我先にと写真を掴んでは眺めている。

チクタン村からのお客には小さな子供も混じっていて、その子供が写真をわしづかみにすると写真はあっという間にただのしわくちゃな紙切れにかわってしまう。とにかく何百枚のもの写真は部屋の中で乱舞して、収集がつかない状態になるが、それもまた良しな気持ちになる。

日本を出て30時間。その夜はチクタン風カレーを胃袋にかっ込み、泥のように眠った。

次の朝、僕はアパートのテラスの屋根を叩く雨の音で目を覚ました。最近のスリナガルは晴天が続いているが、それでも一週間に一度は雨が降るらしい。5月のスリナガルの朝は涼しく過ごし易い。朝霧の中、聡明な空気は街を包み、窓から見えるジェラム川にしんしんと雨が落ちている。そこに大きな亀が右から左へとゆったり流れていき、目を凝らすとその背中には数羽の名も知らぬ鳥たちがのっかっている。

朝食の時間になると雨はすっかり上がり、雲の間からはいつもの日差しが顔を出し始めていた。朝食は素焼きの焼き物の内側に貼付けて焼いたカシミールの名物パン、ギルダとスクランブルエッグ、そしてミルクティを頂いた。

ギルダをちぎって卵を少しずつはさみ、口の中に持っていくと、ぱりっとした生地の中から、半熟のほのかな甘い卵がゆっくりと溢れ出し、口の中にスリナガルの朝が広がると、ミルクティの香りで去年のスリナガルの記憶を思い起こす。

srinagar


アパートの共同シャワーで二日分の汗を洗い落とすと、僕はスリナガルの路地に飛び出した。ジェラム川にかかる橋を渡り、対岸のハバカダル地区を歩く。路地は網の目のように張り巡らされていて、そこにはイギリス植民地時代に建てられた古い建物がひしめき合っており、どれも今にも崩れそうだった。

市井の人々の暮らしはぶりは実に質素で、そこから感じられる様子は日本の戦後の昭和にもにた雰囲気を持っている。ボロ着をまとった野菜売りが色とりどりの多彩を大八車に乗せて狭い路地をひいき歩いている。至る所に汚れた犬が寝そべっていて、午前の眠りをむさぼっている。赤黄橙のパンジャビ服をまとったおかみさんたちは、井戸端会議に忙しそうだ。そして昼のアザーンの声が市井に響いてくると、みんなぞろぞろとモスクに向い歩いていく。

srinagar


去年お世話になったとあるカシミーリの家族の家に向う。僕の事を覚えていたらしく家族は僕を快く迎えてくれた。去年よりこころなしか、家族のトーンが沈んでいるように感じたので少し聞いてみた。今年の3月に家族のおばあさんが亡くなったと言う事だ。僕は30分ほど話し込んで、明日の昼、食事を作ってくれると言う事なので、また出直す事とした。

その足で繁華街のラルチョークに向おうと思ったが、雲行きが怪しく、その後すぐに割れたアスファルトに落ちると濃く初夏の匂いを放つ大粒の雨粒が落ちて来たので、アパートに引き返す事にした。

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