Wednesday 2 May 2012

2.スリナガルの素敵な食事。

朝を目を覚ますと今日もスリナガルは霧の中にあった。遠くに見える山々の腹には、灰色の太く厚い雲が眠そうなその体を委ねている。アパートの同居人たちはまだ夢の中にあり、僕も窓の外をぼんやり眺めると、またブランケットに潜り込み同じ夢の人となる。

しばらくしてアパートの大家が、住人を起こしに来ると、みんなはあきらめたようにしぶしぶと布団からはい出した。朝の共同トイレはいつも順番待ちで、気の短い住人は、戸をキツツキのように叩いている。僕は運よくトイレに滑り込み、用を足して、桶にためてある水を柄杓ですくい行水をしていると、また気の短い住人が外からキツツキのようにドアを叩く。僕は急いで体を拭き、トイレからでてキツツキに一瞥すると、キツツキは叩いたのは俺じゃないよと言いたげに目を伏せた。

朝方の雨はぱったりやみ、午前中はアパートの住人に付き合いラルチョウクに買い出しに出かける。ジェラム川にかかる橋の上では魚売りの行商人たちが所狭しと座り込み、面前に水桶を並べて、その中には川魚が雨上がりの陽気を受けてきらりと滴を光らせている。行商のおかみさんたちがたくましい声を大きくあげつつ行き交う客を引き寄せている。そしてそこには鮒のようなもの、鯉のようなもの、ハタハタのようなもの、バラクーダのようなものと様々な名も知らぬ魚が売られている。

srinagar


ラルチョウクは相変わらず混雑しており、人と車といつもの喧騒が渦巻き、スリナガルの風物詩となっている。車の間を人が当たり前のように歩き、そして野良牛がそこに寝そべり、野良羊も隊を成して各々の意思でだけで、歩いている。空の低い所にはカラスならぬ、鷹もまた大きな羽根を広げてこの世界から生産されるゴミを狙っているのだ。

チクタン村からのアパートの同居人が目的の店を見つけたらしく、その店に入っていく。その狭く薄暗い店の中には。所狭しと医療用の危機が並んでいる。男は棚に並ぶ箱を指差すと、店の主人はその箱の上に積もった埃を払い落とし、男に渡した。箱を開けるとそこに、アクリルでつくられた義歯が横一列に暗いライトの中に浮かび上がった。男はチクタン村の小さな診療所の歯医者なのだ。男は真剣な目つきで箱を一つづつ検分して、その無骨な指先で義歯を撫でていき、気に入った箱を選んでいく。チクタン村のようなヒマラヤの深い不便な場所にある小さな診療所は、医薬品や医療品が不足したときは向こうから品物がやってくるのではなく、こちらからわざわざ街に出向いて品物を供給していくのだ。

srinagar


昼も過ぎた所で、僕たちはアパートに戻る事にした。アパートに戻ると昨日の食事の招待の約束の時間が迫って来ていたので、アパートよりジェラム川におりて、そこから渡し船で対岸に向う事とした。船頭も古いが船も古く、その木製の渡し船は不安定ながらもしっかりと水を掴んで水面をゆらりと滑っていく。ジェラム川と同じ目の高さより対岸の街並を望むと、イギリス植民地時代の古い建物が肩を並べてひしめき合っていて、平行な水面よりも右へ左へ手前へ奥へとほんの少し傾いて見える。栄光の時代の赤いレンガの面影は残っておらず、それは白くすすけた色のレンガに代わり、崩れ落ちたところから覗く古い木組みは、疲れた古老の骨の如くである。

srinagar


srinagar


srinagar


対岸に船が付き、さっそく階段を登り、ヒンドゥー教の寺院のある道を挟んで向こう側の細い路地の突き当たりにあるハバカダルの家族の家に向う。ノックを3回して、時計をみるとすでに約束の時間より30分以上も過ぎてしまっていたが、その家族は僕を優しく迎え入れてくれた。

srinagar



僕の前に食事が次々運ばれてくる。カシミールの伝統的な銀の食器にのった白いご飯から始まり、味が違う鳥を良く煮込んだカシミールカレーからカシミールチーズのカレーまで様々なカレーが運ばれて来た。カレーの表面は暗い部屋の中であっても、いつもキラリと輝いて、それはゆっくりと銀の淵を漂っているのが分かる。そしてさっそく宴は始まる。数多くの香辛料の結晶のこれらのカレーは見事に誇り高き香りをたてている。まずはチキンのカレーから頂く。適度にスパイスが効いているチリとマサラの後より、甘く煮込まれたチキンが様々な香辛料と共鳴して、口の中にじわりと広がっていくその様は、光と影が共鳴する始めてダル湖を経験したときのような、神秘的で、いてどこかものうげで、そして少しだけ眠たげで聡明なダル湖の朝のようであった。

srinagar


srinagar


次にチーズのカレーを頂く。チーズは表面を微かに揚げてあり、そこに甘いカレーが絡み付いている。これは先ほどのチキンのカレーとは反対に最初にはんなりとした甘さがわっと口の中に広がり、浅い所から深いところに味覚がゆっくり移動していくと、香辛料の中の大人の部分が顔を出し始める。チーズの不思議な食感も相まり、軽い刺激が底のほうから立ち上がって来て、舌だけではなくその香辛料たちの魔法は鼻に華麗に抜けていく。それは驚きでもあり喜びでもあった。

そんな感動が最初から最後まで絶える事無く続き、素敵な宴は手作りのラッシーで幕引きとなる。今年の初ラッシーはこの家族の味が最初となった。僕にとってというかカシミール地方にとっては、ラッシーといえば当然塩味なのだ。デリーなどでだされる甘いだけのラッシーとは違い、記憶に残るソウルドリンクのこのラッシーはやはり塩でなければならないと思う。しっかりとカシミール牛のミルクを撹拌されて作られたラッシーは上部に薄い泡の膜ができる。それを銀のコップにそそいで、出来立てのうちに喉で味わうのだ。それはキンキンに冷えているのが最高なのだが、温くてもなかなかいける飲み物だ。

宴は終わりも終わりに近づくと、家族の娘から携帯電話をおもむろに渡される。それは日本からのS氏の電話であった。彼はカシミールの滞在歴は長く、カシミールの研究家よりも、現在のカシミールを良く知り、良く愛する男だ。僕がチクタン村に行ってまたことらに戻ってくる事があったら、差し入れて欲しいものがあるという話だった。それは蕪菁(かぶ)であったり、ドライアプリコットであったり、中国製の茶器でえあったり様々だ。

中国製の茶器はチベタン・トレーダーがカルギルにはたくさん住んでいるので、中国製の品物は豊富にある。もちろん美しい茶器もたくさん揃っている。ドライアプリコットに関してもカルギルのまわりにはおいしいアプリコットが採れる村がたくさんあるので、いつもカルギルにはアプリコットのトレーダーが溢れている。そして蕪菁については、スリナガルでは採れる物の、標高が低いのでむっちりと美味しい蕪菁がなかなか手に入らないらしい。チクタン村の蕪菁は大きくてむっちりと太っていて、一口かじると汁が口の中にほとばしり、その甘みは口の中でハーブのごとく開花する程なのだ。

srinagar


僕はこの件について了解すると、去年と今年に撮ったこの家族の写真をプリントするために三たび街に向かう。
「リガル・チョウクにたくさんの写真屋がある。」
S氏はぽつりとそう言うと、電話を切った。

0 comments:

Post a Comment

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...