Tuesday 21 January 2014

9.チクタンを歩く。


チクタン村・ズガン地区の中心を流れる清流チュルングサに沿って少し歩く。ヒマラヤの雪解け水が上流から来る時に小さな流れとなって作られたのがチュルングサで、この清らかな小川を中心にして左右にすり鉢状に村は広がっている。その左右はやはり岩山になっていて、このズガン地区も他のチクタン村の地区と同様に、高いのところの家並みは岩山にへばりつくように広がっている。そんなチュルングサを上流の村の端まで上っていき、チュルングサと別れて右に折れ、岩山側にへばりつく家々の間の細くて不思議な感覚の路地を進んでいく。そして突き当たりの家を今度は左に折れるといつの間にか家並みは無くなり、花で囲まれた細い道が続いているのが分かる。そしてその花の道を通り抜けると、大きく一気に視界は開け、チクタン村の裏庭とでも言おうか、ヒマラヤの日光に照らされた緑の絨毯が広がっている美しい場所に出る。そしてその絨毯の中にぽつんと一つの崩れた遺跡が堂々としているが、どこか控えめな感じで鎮座している。壁しか残っていないその遺跡はリンチェン・サンポの建てたゴンパだと言われている。このエリアでのリンチェン・サンポによる仏教寺院はワカとチクタンにゴンパが建てられている。またムルベクの仏石像もリンチェン・サンポによるものだと伝えられている。イスラム教が入ってくる前までは、このチクタン村が仏教徒の村だった確かな痕跡だ。チクタン村の文化の中にはイスラム教以前から風習や民話も数多く残っており、その一つに山の神の話がある。それは昔々にチクタンの中心を流れるチュルングサに沿って、神と共に2人の女の子が山に登る話がある。そしてその女の子たちは二つの大きな岩に姿を変えられてしまったのだ。この岩はチクタンの裏山をチュルングサに沿って上流に登って行くと今でも見つける事が出来る。それは純粋なイスラム以前の民話だ。

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そしてリンチェン・サンポの建てたゴンパ跡の後ろには小高い山がある。その大部分を岩で作られている山に登って行く。山の頂上に辿り着くとそこからはチクタン村が360度一望できる。左手には麦畑がチクタンの谷の彼方まで広がる続いているのが見渡せる。右手の奥にはチクタン城の勇姿が見え、正面にはチクタンの切り立った台地、プラタンが目の前に広がる。

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裏山を降り途中の民家の庭から良い香りがしたので覗いてみると、その家の家族が小麦を砂と共に大きなフライパンで丁寧に炒っている。砂と一緒に炒ると良く小麦に火が通り、美味しいヨスという弾ける一歩手前のポップコーンのような食感の不思議な食べ物が出来上がる。それを少し頂いてまたチクタンの中をふらふら歩く。すると今度はチュルングサの左側の山側の上の方に、新婚家庭が完成間近の新居をお披露目していた。チクタン村からのたくさんの人たちが家に集まっている。新婚さんは新居の中で村のみんなにちょっとしたごちそうを振る舞っている。それはお祭りでもなく、儀式でもなく、村の井戸端会議の延長に近い感覚で、誰でも出入り出来る。

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午後、僕はカブ大根の収穫を手伝う。広大な畑に縦や横にきれいに並んで植えてあるわけでもなく、ただざっくばらんに驚く程適当な位置に埋まっているカブを手で引き抜いていくのだ。また近所の子供たちも途中から参加して鍬でカブをほじくり出すのだが、三回に一回は見事に鍬がカブに直撃して粉々になる。それも大切にほじくり出し、土を払い、大きな大きな無骨な麻袋に詰め込んでいく。チクタンのカブはカルギル地区では、大きくて甘い事でとても有名で、サラダとして食べてもいけるし、茹でても、蒸かしてもいける。大きいカブになると人の顔程の大きさにもなる。カブを麻袋一杯に詰め込んで、よっこらしょ、どっこいしょと背中にのせて、中腰になりながら、ふらふらと運ぶ。

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そういえばこのよっこらしょとかどっこいしょという言葉でちょっと思い出した事がある。僕は日本国内にネパール人の友人を持っているのだが、この友人がどこかで、高齢の方がこのかけ声を上げているところに遭遇したらしく、どんな意味と聞かれた事がある。日本では今まで人生でこの言葉の意味を考える場に遭遇した事などなかったのだが、突然質問されると僕は言葉に窮した。熟考したあげく”力を入れる時に使うかけ声”と答えたが、ニュアンスがうまく伝わったかどうかは、良く分からなかった憶えがある。そういえばここチクタン村の高齢の方が良く使うかけ声ナンバーワンは、ムスリム地区と言う事もあり、”ヤ、アッラ”となる。これは日本でいう”どっこいしょ”の使い方とほとんど同じだ。

話しを元に戻そう。収穫したカブの麻袋を背負った僕は、それをとりあえず家の二階の屋根に運んでいく。階段が急なので、バランスを崩して階段から転げ落ちそうになるが、それでもなんとか屋根の上に辿り着くと袋の中のカブをぶちまける。畑と屋根を10往復ほどして本日収穫のカブをすべて屋根の上に運び込む。次にカブの横に座り込み小さな手斧でカブを乱切りにしていくのだが、みなさんの乱切りの仕方がとても雑で、ああインドだなぁという気分に浸れて、かえって清々しかった。村人のみなさんは手斧を振り上げるとガッツンガッツンととても適当に、乱雑に文字通りカブを乱切りにしていく。僕は日本の性格が抜け切れず、すべての乱切りのカブの破片が、みんな同じ大きさで形も同じになってしまう。これではダメなのだ。手斧でバッコバッコと叩き付けながらも、形をそろえようとか、うまくやろうとか、そんな雑念を抱いてはダメなのだ。とにかくダイナミックに雑で大雑破にカブを破壊していく醍醐味が必要なのだ。全てのカブを手斧で切り終わると、僕は出されたお茶をズズズとすすった。みんなの顔も土でまみれて輝いていた。秋の収穫は小麦だけでなく、このカブや人参や他にも多くの野菜があるのだが、冬の到来がすぐそこまで来ているので、早めに住ませなければならないのだ。冬の間食料として、野菜を乾燥させておかねばならない。極寒の冬期は穀物は育たない。この乾燥保存食はチクタン地区での古くからの知恵の文化だ。日本の乾物の文化に大変似ている。そんなチクタンの谷にもうすぐ長く深いヒマラヤの冬がやって来る。

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