2012年10月29日月曜日

7.ウルパタラガマ村。

クルネーガラより北へ向って、おんぼろバスに揺られている。バスの中は満員で足の踏み場もないほどだ。クルネーガラを出発したばかりのバスの中はワデー売り、とうもろこし売り、お菓子売り、新聞売りなどの売り子が乗っては出て行き、出ては乗るのくりかえしで、スリランカの朝の街の喧騒を形作っている。そんなバスに乗っているといつも平和だなと思う。ある国ではバスの窓枠に手榴弾よけの柵が作られていたり、ある国ではボディチェックをしなければ乗れないバスがあったりするのを思い出す。バスはコールタールがきつく匂う新しいアスファルトの上を走っていく。それでも街の喧騒は一端郊外へ出ると自然が造り出す色と音に代わり、朝のジャングルの日差しは眩しいけれどとても柔らかく、そして人々はこんな眠た気なまどろみの中で左右に揺られている。疾走するバスが走る街道沿いの青く茂る森の木々には様々なフルーツがたわわに実り、ときおりそれらは風に揺れている。また今まで見た事もない色鮮やかな鳥がバスと並走しているのを見ると心楽しくなる。しかし2時間も走るとそんなジャングルの様相もしだいに変わり始め、木々の間は次第に広がり、茶色の中に点在する緑に変わってくる。乾いた土地では視界が一気に開け、より大地の広がりを感じる事が出来る。たいらでまるい地球の表面から時々頭をもたげている低い山々。右から左へ弧を描いて走る緑の地平線。そしてそこから空が始まり、見上げるとペンキを頭上にぶちまけたような青い青い紺碧がどこまでもどこまでも羽根を広げている。

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クルネーガラより三時間、何もない小さな小さなバスの停留所で降り、側道を低木が茂るジャングルの中へ入っていく。10分ほど歩くと本日宿泊する家がある。この家のある集落はウルパタラガマという名の村で、スリランカでも非常に貧しい村の一つだ。家はレンガが積み上げられて作られており、間口は日本の下町にあったような長屋のごとく狭く、間口から一歩入ると土ぼこり舞う土間があり、そこに蚊帳のない木のベッドが一つ置かれている。土間と居間は直接つながっており、玄関らしいところはあるのだが、いくら観察しても扉はついていない。家の窓は枠だけでガラスやしきり物はなく、熱を抱いている緩やかな風が時々入り込むだけだ。しかし庭は土地の境界がどこなのか判別できないほどゆったりと広くとられている。そこにはテーブルと椅子たちが灌木の木陰に並んでいて、ブレイク・タイムの主人を待ち構えているようだ。赤い太陽がジャングルの果てに沈むとき、午後のうだるようなけだるい熱気がうそのように、涼しい空気が夕暮れを浸食し始めていた。枯れた草の間からは虫が静かに鳴く声が聞こえて来て、遠くには白い点にみえるさぎたちがその日最後の陽を浴びながら遠くに飛び立っていく。黄昏が姿を消しジャングルに夜が沁みてくると、あたりは静寂で神聖で独特な空間に包まれる。北部の乾燥地帯にもところどころにやっと秋のような顔が見え隠れするようになった。聞く話によると、今は平静で平和な時を迎えていて、この村では闇が怖くなくなってから数年経つが、この近くにはLTTE(タミル・イーラム解放の虎)の村々があり、5年ほど前まではこの村も時折襲撃を受けていたという事で、平和が訪れた事を知らない夜の闇は、いまだ何かにおびえているようだった。

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夕食の時間がやって来た。テーブルの上には白いご飯が光っていて、その周りには色とりどりのおかずが並ぶ。皿にご飯をよそい、その上に適量ずつおかずを乗せていく。この皿の上に広がる花を食していくのだが、その方法は慣れない者には難しく、慣れている者でもさらりと優雅にこなすのは難しい。ご飯とおかずを少しずつ右手の指先で混ぜ合わせると、それを皿に少し押さえつけ握り寿司を片手で握った状態にし、手のひらをくるっと天に向けて、人差し指と中指の付け根のあたりに混ぜ合わせた飯を乗せる。そのあとその手をさりげなく口元に持っていき、時に大きく時に小さく口を開け、飯たちを親指の背でそっと押しながら口の中に滑り込ませるのだ。口に運んでは一握り摘み、一握り摘んでは口に運んでいく。そうしているうちに皿の料理はきれいになくなり、右手をボールの中の水で洗い清めると次には紅茶と茶菓子が出てくる。でてきた茶菓子がまた逸品で、タルと呼ばれて黄色いふわりとした容貌の茶菓子だ。タルはスリランカ北部でよく見られるフルーツで、ここではココナッツが少なくなり代わりにタルが登場するのだ。これはタルという名の果物の中身を取り出し粉状にして、米粉とココナッツ粉を混ぜ合わせる。そしてマンゴー大のおにぎりの形をいくつも作り、それらを蒸気で蒸していくのだ。一口かじりついてみる。微かな甘みと口当たりを伴っているのはタルの旨味の特徴で、僕にとっては大変懐かしい味がした。これはまさに芋が入っていない鬼まんじゅうといった味で、この鬼まんじゅうは僕の実家ではよく食されている。そういくつもいくつも食べたくなるソウルフルな味なのだ。紅茶はハクルと呼ばれる黒砂糖のようなものと合わせて出てくる。このハクルはココヤシの蜜を集めて煮立てた後に固めたもので大きいと簡単に割る事が出来ないが小さいものは歯で簡単に崩すことができる。味は黒砂糖が固い味だとするとこのハクルは優しい柔らかい味だ。紅茶は砂糖を入れないで、このハクルより甘みを感じ取って飲んでいくのだ。これを一口噛み、紅茶をすする。紅茶をすすっては一口噛むという様に茶の席を進めていく。ハクルは砂糖代わりになり(砂糖以上の旨さなのだが)、お茶請けとして途中タルを食していく。シンプルの中にこそ贅沢がある。僕にとっての贅沢というものは、このジャングルの静寂の中で、すする一杯の紅茶はその一つにあたる。僕はその夜、灌木の林の中の小さな小さな家の木製のベッドに横になると、あっという間に眠りに落ちた。太古の夜のジャングルはさながらゆりかごにもなるようだ。

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