Friday 1 November 2013

2.更に北へ。

早秋のスリナガルの空港に降り立つ。雲は高く、日差しは強いが、空気はまとわりつかず、引き締まっていて、ところどころに秋の気配を感じさせる。友人のユスフが空港まで迎えにきてくれていた。しかし飛行機は3時間遅れの到着だったので、彼の表情も少し疲れているようだった。街を流しながらアパートに向うのだが、去年に比べて軍と警察の数が多いような気がした。装甲車も主要な交差点に配備されており、ちょっとものものしい雰囲気だ。その事をユスフに伝えると、彼はカフューズだと言った。要するにストライキだ。つい先日まで大規模なストライキがあったが、また近々大規模なストライキが始まるかもしれないという、もっぱらの噂だ。ストライキになると、戒厳令が敷かれ、商店はことごとく閉まり、アパートやホテルから一歩も出られない日が続く。カシミールでは日常だが、旅人にとっては、それは厄介なものだ。

アパートに到着して荷物を部屋に運び入れると、僕はさっそくこの近所に逗留している日本人に挨拶に行く。人物はこのアパートから5分くらい離れた場所にあるカシミーリの一家にお世話になっている。網の目路地を造り上げているハバカダル地区を行く。イギリス植民地時代からの古い家が押し合いへし合い、所狭しと立ち並んでおり、カシミールの下街たる顔を今の時代に刻み込んでいて、大変味わい深いところだ。扉を開けると人物は奥のダイニングにいた。人物のそのカシミールに関する博識は精緻を極め、情報はスリナガルだけに留まらず、またここでの遊び方も豊富に知っており、それはみな実の体験から来る物なので、いつ聞いてもワクワクするし、ほうと唸らせるものがある。僕はそこで翌日にランチタイムに再びうかがう約束をする。翌日その人物とその一家を交えてカシミール料理に舌鼓をした後、彼の運転するバイクの後部シートにまたがり、スリナガルの街を流す。メインマーケットのラルチョークは行き交う人々で活気を帯びていた。中には外国人観光客の姿も見かける事ができる。ダル湖にひっそりと浮かぶ知り合いのハウスボートでバイクは止まる。ハウスボート・オーナーの逗留する部屋の他に部屋が3つ程ある。人物はこのハウスボートにも部屋を借りていた。部屋の中には日本から持ってきた釣り竿がある。スリナガルにもけっこう釣り好きはいるようで、ラルチョークにあるジェラム川近くに数件の釣りショップを確認する事ができる。

アパートに戻るとユスフが明日にでもストライキが始まるかもしれないと言った。そんな情報があるし、そんな気配もすると言う事だ。僕は明日の早朝にさらに北上する決心をする。人物には、明日出発する旨を伝えた。

早朝の乗り合いタクシーはラダッキやカルギリーでごった返していた。しかし朝日に照らされたカシミールは気持ちよく、空気は良く澄み渡り、刈り入れがおわった田んぼの脇に、豊潤な稲がこがね色の輝きを放っている。カシミールの盆地や平野のアップリケ模様のフィールドは、ゴッホの絵のように眩しい色彩を放っており、漆喰塀に投影された遠い昔の映画のフィルムを覗き込むような感覚の、ざらついているが、どこか純粋で、何かある種の大切な心象風景が胸の奥から霧のように沸き上がってくるようだ。

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車はゆっくりとでも確実につづら折りの道を駆け上がっていく。高山の緑に覆われた山々のその頂きは射すような鋭角である。嶺近くの山の谷には小さな氷河が見え隠れする。ゾジーラの峠の道は去年来た時よりも格段にきれいになっているが、時折、道にタイヤをくわえこまれたトラックの横で、運転手が遠くの山々を見ながらタバコをふかしている。渋滞もなく、移動時間は応幅に短縮され、息切れする事もなく、峠を越える。峠の向こうはあのラダックの無垢な太古の風景が広がる。どこまで走っても、火星の表面にいるようだが、木々あふれる緑のオアシスが見つかると、その光景は鮮やかなコンストラクトを放ち、天国の入り口に立った感覚に陥る。目を凝らすとさらに遠くの山肌に羊の群れが無数の点を描いている。

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街が見えてきた。広い盆地に緑が広がり、人の住むところでは世界に二番目に寒い記録をもつドラスの村が見えてきたのだ。タクシーはその村で休憩を取る。ティーストールでお茶を啜りながら思う事は、去年スリナガルからカルギルまでは、道の悪さや峠開きを待っていた多くの車のタイミングが重なって、16時間程かかったのを覚えている。今年はこのドラスの地点でまだ4時間しか経っていない。休憩が終わりまたタクシーは走り始める。川沿いの道はとても美しき時折羊たちの群れで行き先を阻まれるが、その時はクラクションを鳴らす訳でもなく、彼らが通り過ぎるのをゆっくり待つ、そんな余裕が今年はある。羊の海で漂った車は再びゆっくりと走り始める。

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なめし革色をした山々のひだは遥か彼方まで続いている。紺碧の空はラダックの色をよりいっそう浮かび上がらせるのには十分であった。所々に見えてくる緑のオアシスは、全て村であり畑だ。8月下旬から上旬にかけてこのエリアでは小麦刈りを終える。小麦刈りは一家総出なのだが、見たところまたは体験したところ、男性よりも女性のほうが体力があるし気持ちも強い。このきつい作業は男ではとうてい無理だと思ってしまう。それほどこのエリアの女性は逞しいく頼もしいのだ。渓谷沿いの道ほひたすら北上していく。左手には清流とその向こうにヒマラヤの山、右手にもヒマラヤの山々が続く。街道に沿ってポツポツと家々が見えてくる。カルギルの端に辿り着いたようだ。バルチ・マーケットを過ぎ、右側にジャーマ・マスジドが見えてくると、もうそこはカルギル・マーケットだ。ラダック最北西の街カルギル。レー方面。ザンスカール方面。スリナガル方面へ向う観光客やビジネストレーダーたちの交通の要所。国境と言う概念がなかった遥か昔は北のギルギットやフンザとも自由に行き来できたし、今もそれを望んでいる人々は多いし、去年程から事務レベルでインドとパキスタンとのギルギット・カルギル・ロード再会のための調整が始まっているという話しもちらほら聞こえてきている。そしてここは何時来ても活気があるし、安心できる街だ。腕時計の文字盤を見るとスリナガルをたって、まだ5時間程しか過ぎていなかった。

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