Thursday 20 February 2014

10.チクタン村のある一日。

大自然と共存共栄している村の生活は、当初想像していた時よりもずっと快適で、電気やガスや水道の事を思い出す事はとても少なく、それはあきらめではなく、その生活に大変喜びを感じている。とても嬉しいのだ。哲学とか、何もかも語り尽くされている本とか、宗教とか、それらの知の淵より天を仰ぎ見た時のような、もっともっと深く高くそして静かに躍動している自然そして人たちの営みががそこにはある。僕にとっても、いつしか冒険は日常に変わり、歓喜は心地よい倦怠に変わる。 

朝の興味深い作業が始まる。ラダック・チクタン村の家々のトイレはだいたい二層になっていて、二階部分がトイレのスペース、一階部分が汚物が溜まる場所だ。二階部分の用を足すための穴の周りには、土が盛られていて、用を足したらスコップを使い土を穴に落としていく。すると一階部分の汚物は土が被さった状態になり、時々一階に行き、その汚物と土を混ぜ合わせる。時間が経つと一階部分の汚物と土は堆肥に変わっていくのだ。また二階部分に置いておく土は、牛小屋で使われている土を運んで二階のトイレスペースに置いておくのだ。と言う事は、その土自体すでに、牛の排泄物が混ざっている栄養たっぷりの堆肥という事となる。 

今日はその堆肥を一階部分から、畑に運ぶ作業をするのだ。その作業をするのは一般的に全て女性だ。僕はそのグループとともに堆肥を運ぶ。僕を含めた女性たちの背中には、背負った籠がある。この籠もまた手作りの籠だ。そこに堆肥が穴からもれないように、籠の内側にふくろをかけたり、丈夫な布をかけたりする。この籠自体はいろいろな用途に使われる。堆肥運びから、様々な農作業、時には赤ん坊のゆりかごになる。
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そして作業は始まった。一階の光が届かない場所へ籠を背中に背負って入っていく。彼女たちは完全防備で、口と鼻は、舞う土を吸い込まないようにスカーフで覆われている。中に入ると1人の女性が無骨なスコップを堆く盛られた堆肥の山に刺しては、堆肥をスコップですくいあげ、狭く暗い部屋に入ってきた別の女性の背中の籠にそれらを入れていく。そこは真っ暗で何も見えない。感じるのは、人の気配だけだ。その中で堆肥がもくもくと空間に舞う。スコップが土を噛む音だけが、まるで時を刻むように暗がりに鳴り響く。1人入っては、堆肥を背負い、そして出て行く。また1人入っては背負い、出て行く。僕もまた暗がりに入っては、堆肥を背負い、そして出て行く。行く先は家の裏手にある畑だ。籠の堆肥はいっぱいにすると、それはバランスをとるのが難しい程重く、ふらふら歩きながら、遊歩道を進み、畑に出ると、背中の籠の中の堆肥をおもいっきりぶちまける。そしてほっとするのも束の間、また暗がりに戻っていくのだ。それを何十回も繰り返すと、さすがに足腰が立たなくなってくるので、途中でお茶の時間を挟む。これら一連の地味な作業は見た目よりも重労働で、僕がチクタンで経験した中では、小麦の収穫の次に大変な作業だった。お茶が終わるとまた作業に戻る。そして暗い部屋の中の全ての堆肥を畑へ持ち出すと作業は終わる。その後、みんなはこの家のリビングに招かれお茶会になる。僕はお茶を持つ手が疲れで少し震え、ちらと彼女たちを見るとそこに疲れた表情は見えず、とてもたくましく、そして美しいと思った。 

今日は昼ご飯にはトゥクパを頂いた。このトゥクパというのは、このチクタン村のみならず、またラダックだけではなく、チベット文化圏に広がる麺の食文化だ。小麦粉から作られる麺は、細いのから太いのもあり、柔らかい麺もあるが伊勢うどんのようなころころした歯ごたえのある麺もある。基本的には、塩味なのだが、そこにカレー風味を絡めて、時にはそこに鶏肉や羊肉が入る。今日は野菜たっぷりのトゥクパで、ヒマラヤンテイストのさらっとした味わいで、何杯でもいける。

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しばらくすると子供たちが学校から戻ってきた。子供たちも昼食を取り、親戚だけどいつも一緒にいる仲良しな2人は、いつも笑顔だけれど、時々泣いたりもする。学校が終わると2人は毎日忙しく遊んでいる。家の中でも外でもそんな感じで、夕暮れ時、家に戻ってくる頃には砂まみれになっている事も多い。

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外に出るとたくさんの子供たちが遊んでいた。懐かしい感じがするその遊びは、最近めっきり日本では見られなくなったなと思う。ロンドン橋落ちるのようなチクタン村の遊びだ。この遊びは名前を変え、ルールを変え、世界中にあるのだなと思う。子供たちは畑の中で遊ぶ。2人はお互いに向き合い、両手を組み合わせ、橋を作る。そして残りのみんなは前の子供の肩を両手で掴み列を作る。そしてかわいい小歌をみんなで口ずさみながら、この遊びは始まる。遊びの中心に歌があるチクタン村は、別名フォーク村とも言われていて、伝統的な歌が数多く残されている、貴重な村でもあるのだ。歌の申し子たちは、高い高いヒマラヤの空の下、今日も元気に羽ばたいていた。


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チクタン村だけではなく、どんな車で行く事が困難なほどの深いところにある村でも、必ずといっていいほど路地や広場や家の中は子供たちの声で溢れている。ここラダックでは僕は限界集落というものを見た事がない。経済という魔物や重税という妖怪からはほど遠いところに村々は存在しているのだ。またこの辺境の地の村々は医療もたいへん優遇されている。それが理由の一つでもあるのか、人口は減らないし、子供から老人までが、とても幸せに暮らしているのだ。この医療についてだが、基本的に無料だ。風邪をひいたとか歯が痛い時とかに役に立つ小さな診療所が、村にはあるのだ。もちろん日本のように最先端の医療器具が揃っている訳ではないが、とりあえずは事足りる。たまに病気になったり、歯が痛くなった外国人旅行者が診療所を訪れたりする。一昨年は日本人観光客が虫歯の治療でやってきた。彼らはチクタンの病院の無料の噂を聞きつけてくるのだ。最低限の福祉は揃っている。この村だけ特別に税制の面も優遇されているのか、またインド全体がそうなのかわからないが、ただ生活するだけならば、税金はほとんどかからない。日本のように生きているだけで税金がかかる国とはまったく違う。日本でも危険レベルの集落においては税制の特別優遇とか、医療費を無料にしたり、自給自足を目指すパーマカルチャー的なモデル地区を作ったりすれば、若い人たちが流入してきて限界集落がなくなるじゃないかなとも思う。ともかくいつでもどこでもここでは子供たちの笑顔は絶えない。

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今は10月上旬。ここチクタン村はあと一ヶ月もすれば気温がぐっと下がり、雪もちらつき始める。チクタン村とコクショー村を結ぶ峠の道は11月に入ると吹雪く時も多くなるだろう。ゲストハウスの建設は来年の春まで持ち越しだ。そして僕もチクタン村からレーに戻り、日本に向けて機上の人となるだろう。この村の冬支度は今日ですべてを終えた。多くの鳥たちも南に向けて出発する。そしてもうすぐこのヒマラヤの谷のチクタン村に深くて長い冬がやって来る。

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