Thursday 31 October 2013

1.ムンバイへ。

早朝に秋の気配が色濃く残るスリランカを飛び立って数時間後、僕は熱気と喧騒で潤む街、ムンバイの空港に降り立った。次の便まで21時間待ち、さてどうしようかと途方に暮れながら空港の前のカフェでお茶を濁していると、入れ替わり立ち代わり様々なホテルのポン引きが声をかけてくる。空き時間、ホテルで休むのもいいだろうと思っていたが、彼らが提示する金額は予想以上に高く、僕も次から次へと断っていた。ムンバイは結局の所、まともなホテルは先進国の人々向けなのだ。スリランカでは一ヶ月日本円にして千円以内で過ごしてきた僕は、一泊するだけで数ヶ月分の生活費が飛ぶことにとても躊躇していたのだ。



そんなとき年は初老にかかったばかりだろうか、ほのかに眼光鋭い、他のポン引きとはまとう雰囲気が違う人物が近づいてきた。人物がそっと名刺をテーブルの上に差し出すと低いが良く通る声で言った。
「あなたが即決する場合に限り、今だけここのホテルなら1000ルピー以内で泊まれます。」
僕はその名刺を手に取って部屋の価格欄を見ると、すべてが3000ルピー以上になっている。しかし、今回に限り1000ルピー以内という言葉は信じられるのだろうか?という疑問も湧いていたが
「安く泊まれるなら、そのホテルでお願いします。」
旅の疲れと入れ替わり立ち代わり目の前に現れるポン引きへの嫌気と相まって即答した。事が悪く回っても何とか切り抜けられるだろう。今までもそうだったし、これからもきっとそうだ。根拠なき自身は自分の強みでもある。

人物はすくと立ち上がり、携帯で一言二言ホテル側と話すと
「五分ここでお待ち下さい。」
と言い、その背中は遠ざかっていった。五分後きっかりにホテルからのタクシーが到着した。きっとすでに近くで待機していたのだろう。タクシーの運転手は僕の名前が間違いではない事を確認すると、荷物を手早く後部座席に詰め込み、そしてそそくさと出発した。

タクシーでムンバイの街を流す。高層ビルが所々に立っているがその谷間にはスラムが広がっている。陸橋の下。淀んだ川の両岸。商店の谷間。路地裏。いたるところにスラムが見える。逆だ。スラムの中に近代が垣間見えるようだ。そして世界で一番大きなスラムもこのムンバイにある。巨大な川だ。川を流れてくる様々な事物が文明なのかもしれない。飲み込まれつつ飲み込んでいく。このスラムの川はどこから流れてきて、そしてどこに向っているのだろうか。

20分程流しただろうか、タクシーは突如止まり、運転手は荷物を外に運び出す。大通りから路地に入ると、貧民地区ともスラムとも見分けがつかない場所に入っていく。ホテルらしきものは見当たらない。セメントの剥がれ落ちた路地の壁からは小便の匂いが鼻を突いてくる。背中で野犬が吠えている。脇のごみ溜めには無数のカラスが昼食を取っている。しゃがみ込んでいる労働者はチャイをすすりながら、しかし目は宙を漂っている。しばらく路地を歩き、露店のチャイ屋の前で立ち止まる。チャイ屋の正面に小屋がある。ホテル?そうこれがホテルだ。中に入ると小屋の内部は漆喰のセメントで作られていて、所々に大きな穴と黴がはびこっている。荷物を部屋に運ぶ。部屋は日本の小さなビジネスホテルくらいだろうか。部屋のセメント漆喰壁はひび割れていて、それは湿気をたくさん吸っているので、壁一面の壁にみごとに奇怪な芸術を描きあげている。ボーイかこの辺りの住人か素性のよくわからない青年に一泊分800ルピーを払うと、青年は部屋を出て行く。部屋には一つ窓が付いていて、鍵が壊れている。窓を開けると路地の突き当たりがこの窓になっているようだ。ヒンズー教の祭りでよく使われる太鼓の音がこぎみよくその暗い路地にこだましている。その音を聞きながら、菌糸のようにまとわりつく汗とムンバイの豊熟した熱気を冷たいシャワーで洗い流した。金目の物はしっかりシャワールームに持ち込んで..。

chiktan


洗濯したシャツを背中で乾かしながら、とりあえず辺りを散策してみる。ホテルの前の路地を抜けて大通りに出る。やはり高層ビルは建っているが、その谷はスラムである。大通りに沿って歩いてみる。小さな川を渡る。川の両岸はやはりスラムである。小さなマーケットに出た。地元の人たちでごった返している。様々な海の幸が店先に盛られている。僕はヒンドゥー語は話せない。分かるのは”キャ”と”ナマステ”くらいだ。露店の店主にしかし僕は語りかける。
「メ、モカッダ?」
(これはなんですが?)
「マル、マール」
(魚だよ。魚。)
えっ????通じた。シンハラ語が通じる。僕は次々とシンハラ語で様々な店主に話しかける。
「オヤゲ・ナマ・モカッダ?」
(あなたの名前はなんですか)
「オヤゲ・ガマ・コヘデ?」
(あなたの村はどこですか)
ことごとく通じる。びっくりするくらい通じる。なんてこった。書き言葉は違うけど話し言葉は同じなのか?よくわからないがとにかく通じる事は確かだ。誰か南インドの言葉とシンハラ語の親和性について詳しい方がいらっしゃいましたら教えてください。

「マタ・チキン・ブイヤーニ・カンドーネ」
ある小さな店に入り、チキン・ブリトーニを注文する。色の付いた安いお米に、固めのチキンがのっている。数十ルピーの安いそれは、味も安い。ただ空腹を満たすためだけに食べる。ひたすらかっ込む。
しかし店主には
「ラサイ」
(うまい)
と一言いって店を去る。

chiktan


マーケットの狭い路地の奥にはたくさんの羊がつながれている。その近くの店には人だかりが出来ている。その繋がれていた羊を一匹づつ店主は角を掴んで見せの前に引き込む。えっ?と思った瞬間、羊の喉が横一文字に引き裂かれてそこから鮮血が吹き上がる。そのまま数分寝かせて血抜きをしていくのと同時に羊はゆっくり、そしてなすすべなく痙攣とともに絶命していく。肉切り用の大鉈で首は落とされ、体は手早くしかしあきらかに雑に解体されていく。それを見ている客たちから、やんややんやの歓声が上がる。まるで東京築地のマグロの解体ショーだ。羊は次から次へと解体されていく。ここで生は物に変わっていく。どこにも情も非情も見当たらず、またそれに声を荒げて反対する団体もなく、ただ生も死も人も動物もみんな同じ、あらゆる時間に存在し、そして消えていく。それは日常の中で蛍の光のように明滅を繰り返し、考える事が馬鹿げているかのように、そこにあるしそこにない。ムンバイの眩いばかりの生と死の明滅は、ある種スラムを構築する大きなうねりとなってゆっくりとしかし確実に動いている。

chiktan


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部屋の中でうつろうつろしている。窓の外の路地からはヒンドゥー教的な音楽が絶え間なく聞こえてくる。漆喰の壁からは黴の匂いがやはり鼻を突く。そして遠いどこかでの祭りはまだまだ続く。菌糸がまた体に絡み付いてくる。外から褐色の女の歌声が聞こえたような気がした。そして僕は夢と現実の境目が分からなくなったところで、絶対的で完全な気の遠くなるような深い深い眠りの谷へ落ちていった。

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