Wednesday 4 June 2014

9.羊と山羊と水の引き込み。


春のチクタン村は羊と山羊と牛の赤ん坊がたくさん生まれる。僕が滞在しているご家庭でも多くの羊と山羊の赤ちゃんが生まれた。そこには羊と山羊と牛のための石と土でできたアパートが作ってあり、それは二階建てだ。一階は牛のための居住区、二階は羊と山羊のものだ。二階に上るための動物たちの石の階段が取り付けてあり、動物たちは朝は二階から降りてきて羊飼いと共に山に出掛ける。夕方は山から降りてきた羊と山羊は階段を上り自分達のアパートへ帰ってゆく。






というわけで朝から夕方まで羊と山羊たちは山にいるので、残されるのは生まれたばかりの赤ん坊たちだ。彼らは日がな一日、アパートのケージの中の狭い世界ではあるけれど、毎日見るもの触れるものすべてが新鮮でその世界は彼らにとっては今だ未知の広い世界だ。今、5頭の羊と山羊の赤ちゃんがそのアパートで眠ったり、遊んだり、食べたりしている。



一番小さいのはまだよちよち歩きで、よく前につんのめったように倒れ、動かなくなったと思うとそのまま寝に入っている事がよくある。ほかの4頭はそこそこみな同じ大きさで、えさの時間になると仲間同士でよくいがみ合ったりする。そのいがみ合い方がまた可愛く、まだ角も生え揃わないその頭同士でこつこつとぶつかり合い、仲間をえさ場の外に出して、自分のポジショニングを良くしようとする。押し出された方もやんちゃ坊主なら、やり返して、逆に押し出すのだが、気の弱いのが押し出されると所在なさげに、その回りをうろうろしている。一番人懐っこいのが黒い山羊で、名前はクロと僕は呼んでいる。クロはまるで犬のように後ろの二本足で立ち上がり、僕にじゃれついてくる。まるで猫のように僕の足の親指を舐め出したら(きっと本当は噛んでいるのだと思う)止まらない。みなさん餌は何でも食べる。干し草、青草、タキ、カンビル、ご飯、干ぶどう、干しアンズなどなんでも食べる。






春は畑で野菜を作る準備をする季節でもある。この野菜の畑は小さいので、牛や耕運機を使わず、人の力で耕していく。二メートル四方の小さな面積の畑を縦に五張り、横にも五張りほどこしらえていく。畑は一張りづつ低い尾根で囲み、縦の畑の間には尾根を二つ並べて作り、その尾根の間に水路を走らせる。そして野菜の苗を畑の中に植えてゆき、最後に水を引き込む。



カンジ村から流れてきたカンジナラという名の川がチクタン村の縁を通っているのだが、そこから畑の近くまでは村共有の水路が作られており、そこから実際に村人たちが各々の畑に続く水路を自力で作り、それが村内を迷路のように張り巡らされている。そしてその一本が我が畑にも、もたらされているわけだ。引き込まれたその水路に近い畑の張りから順番に水を引き入れていく。水が一気にすべての畑の張りに流れ込まないように他の張りの口は石で塞き止める。そして一つ目の張りに水が行き渡ると、一つ目の張りは石で塞き止め、次に二つ目の張りの口の塞き止めてあった石をよけ、そこに水を流し込む。このように順繰りにして一張りづつ水を流し込んでいくのだ。



この水の引き込み役を家族の一番下の娘マクシマがやる。去年まではひとつ上のお兄さんのマディがいたのだが、今年からスリナガルの学校に行ってしまい、最後に残ったマクシマが今や一人で家の仕事を引き受けている。毎年家族の誰かが学校への進級のためだったり、就職が決まったりで一人づつ居なくなる。そしてマクシマの家庭での仕事は料理、洗濯、農作業、朝の飲料水運び、羊と山羊の朝の山への追い出し、夕暮れ時山から降りた羊と山羊のシェルターへの追い込み。牛の散歩。羊と山羊と牛へのえさやりなど様々事をしている。そして昼間は学校に行く。とても大変な毎日だ。しかし当の本人はまったく大変な事とは思っていない。山の民として当然だと思っている節がある。




ここで生まれて、ここで暮らし、ここで一生を終える生活は今や昔の話になってきている。ここの生活自体は昔のままなのだが、学校から就職に至るまでのシステムが近代化してきている。そして山の民の下界への移動が毎年顕著になってきている。もう二度と戻らない人もいるし、一度出て行き、再び戻ってきてラダックの素晴らしさを再確認する人もいる。これがラダックの人たちにとって良い事なのか悪い事なのか僕には分からない。ただひとつ言えることは、ラダックに住む人々の生活が少しづつ変わりつつあるという事だ。ラダックから外に出ていった人たちは、そこで近代文明の洗礼を受ける。そしてその洗礼を受け戻ってきた人の中から逆に、都市部へまたは外国へ、ラダックの文化や伝統的システムを発信している新しい世代の人々もたくさんいる。そのような人々の中には西洋文明が決してパーマネント・カルチャーではないと気づいてしまった人もいる。ラダックの持続可能なこの素晴らしい文化は、西側諸国のように低いところからなにもかも吸いとってしまう事で成り立っている文化ではなく、すべて手の届く範囲の物や事だけで回していくのが可能な文化にある。水はヒマラヤの山から、燃料は牛のふんから、食べ物は目の前にある大地から、すべてはこの小さな世界で回していく事が出来る。昔の日本もこんな感じだったのかなとたまに思う。僕も含め世界はいろいろ考えなければいけない時が来ているのではないかなと時々思う。それがもしかしたら一番大切な事ではないかなと、様々なきざしからしばしばそう思う事もある。




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