Wednesday 4 June 2014

12.ロシア人とチクタン村。

ウラジミールがチクタン村にやって来た。男は僕の滞在先を村人たちに聞きながらやってきた。バタリクからチクタンまで歩いてきたその男の顔には疲労が見られた。なぜならガルクン村でのトレッキングで男は足の裏を負傷していたのだ。ゲストハウスの庭にザックを置くと男は洗い場で負傷した足を洗ってから、マクスマの作ったミルクティーをすする。ミルクティーを飲み終わり、男が庭にロシア製の頑丈なテントを設営していると石と土で作られた塀の向こう側、横一列に子供たちの顔が興味深そうにこちらを覗いている。





ウラジミールはテントの設営を終えると口を開いた。

「村の美しいところへ案内してくれ。」

陽は西に傾き、すでにあらゆる影は長くなっている。僕は男に問いかける。

「足は大丈夫なのか?」

「大丈夫だ。大したことはない。私の足はベアフットだ。」

ウラジミールはそう言うと右足の甲を一回叩いた。

僕らは村の裏手にある小高い丘を目指す。いくつかの家が丘の斜面にきのこのように立ち並んでおり、家の間の細い路地を抜けていくと、羊や山羊たちのケージが見えるので、その横を通りすぎながら、丘の屋根に向かって動物や人が付けた足跡が続いているところを登って行く。するとすぐに丘の頂上に出ることができる。



ウラジミールは丘の縁から垂直に落ちている断崖を形作っている岩の上に座ると、目を細めてこう言った。

「美しい・・・・。」

「この世界が美しいものを作っているのではなく、きっと美しい何かがこの世界を作ってるんだろうね。」

僕がそうつぶやくとウラジミールが静かに頷いた。僕たちはしばらくそのままでいたが、ウラジミールが足の砂を払いながら立ち上がると、その丘を後にした。



チクタン村は両側を二つの丘に挟まれた谷に位置する。ひとつの丘は征服し終えたので、もうひとつの丘を征服すべく登ってみる。その丘の斜面はなだらかで多くの家がそこに立ち並んでいる。家の間や木々の間を抜け、家々が無くなるところまで来ると、そこから散歩道が丘の奥へと続いている。その道を僕らが歩いて行くと遥か昔に建てられたゴンパの壁だけが残っている場所に出る。このゴンパはリンチェン・サンポという名の僧侶がチベットからカシミールにかけ、百八のお寺を作った内の一つに数えられている。そして僕が後ろを振り返ると多くの村の子供たちが興味深そうについてきていた。

僕らはゴンパ跡の横を通り抜け、小高い岩山の頂上を目指して登っていく。子供たちは慣れている様子で僕らの横をすり抜けて、我先にと頂上を目指す。足もとの岩山は縦に走る皺の深い地層で出来ていて、有史以前に横からの強い圧力を受けた事が分かる。縦の地層の岩はとても滑りやすく、僕らはそこを注意深く登って行く。そして頂上に到達すると岩山の向こう側にも、夕日に燃えるチクタンの緑の眩しい農地が、彼方の名も知らぬヒマラヤの山々まで続いているのが見てとれる。



子供たちは子供たちで楽しんでおり、追い駆けっこをしている男の子たち、夕日に向かい歌を歌っている女の子たちと様々だ。ウラジミールは山の端に腰を下ろしながら、面前に広がる光景を楽しんでいる。しばらくそんな、何もしていないけれどとても充実した時が流れる。ウラジミールが静かに口を開く。



「今、私は故郷の事を思っている。そしてまた私はネパールに移住するか、それともモスクワからクリミアに住居を移して暮らすか迷っている。もしネパールならばそこでトラベル・エージェンシを開き、多くの外国人のトレッキングのサポートをするだろう。そしてクリミアならば私はそこにヒマーヤーナスタイルのメディテーション・センターを作るだろう。」

ウラジミールは複雑な表情を浮かべさらに続ける。

「私は未だ本当にロシアを愛しているのだろうかと自問自答しているところだ。」

僕はそんなウラジミールに尋ねる。

「あなたはブッディストだったのですか?」

ウラジミールは山の端に沈みつつある陽を眺めながら続ける。



「私はブッディストだ。ロシアには仏教徒は少ない。キリスト教徒が90パーセント、イスラム教徒が7パーセント、そして仏教徒が3パーセントだ。イスラム教徒の多くがチェチェンに暮らしているのと同様に、大部分の仏教徒はモンゴルとの国境沿いに暮らしている。またロシアの若い世代はキリスト教を信じていない。若者で日曜礼拝に行くものはほとんどなく、教会を町や村にあるオブジェとしか思っていない。私は危惧している。ロシアの未来はどうなるのだろうかと。」

「あなたはロシアを愛しているのですね。」

僕がそう言うと、西陽が射してそう見えたのか、はたまた心の霧がどこかに流れていったのか、実に晴れやかで清々しいウラジミールの表情がそこにはあった。そして僕らは再び立ち上がると、子供たちを引き連れて山を降りていった。



ウラジミールがゲストハウスの前にシートを敷き、念入りにヨガを始めると、さっそく塀の向こうにたくさんの興味深げな子供たちの眼が並ぶ。村には礼拝を呼び掛けるアザーンが響くが、ヨガを終えたウラジミールは座禅を組み、瞑想に入っていく。それは実に奇妙な光景だった。仏教式の深い瞑想に入ったウラジミールは、イスラム式のアザーンの音に揺られている。そんな村はインドというヒンドゥー教の国に囲まれている。ここは万物が抽象的に渦巻く世界。時には争い、時には寄り添い合う。悠久の時は過去から未来に流れているが全ては抽象的だ。未来の全ては聖書やコーランに書かれていたりもするが、それらもまた抽象的だ。確かなのは今この瞬間であり、それさえも次の瞬間には風と共に消えていく。時を具体的に知覚できるのは夜に浮かぶ星を眺めるときだけで、それら過去の輝きが、今を生きるあなたに手紙として届くのだ。圧倒的なこの静けさの中で、夜空に書かれたその手紙を受けとるとき、あなたはいったい何を思い、何を感じることが出来るだろうか?





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